第8話 託されたもの

 ぺタルダは歪みそうな顔をなんとか必死に、いつもの状態へ保たせようとしている。


「相当、怖い目にでも遭ったのか? これまでの体験が俺の死を連想させるか? あのな、お前らだから死にそうな目に遭ったんだぞ。俺は何度も地上世界に行って、食糧を調達してるし、近くの地形の調査もしてる。お前らと出会う前はこいつら『種族の敵』の対策組織に属して戦っていたんだ――俺もマナも、簡単には死なねえって」


 だから泣くなよ、と冗談のつもりで言ったはずのワンダさんの声がきっかけになった。

 がまんしていたぺタルダの栓が抜けて、感情が溢れ出す。


 僕は、こんなにも取り乱したぺタルダを、初めて見た。


「嫌よ……、このまま、お別れだなんて――ッ、絶対にッッ!」


「うん、うん。……ぺタルダ、私もね、心配なのよ。ワンダくん、こんなことを言いながらも何度も死にかけたんだから。その度に奇跡的な運の良さに助けられて、確実性なんてひとっつもないんだから。待っている身にもなってほしいものよね」


 よく見れば、ぺタルダを落ち着かせようとするマナさんも、ぺタルダにつられて感情が漏れていた。頬を流れる涙に、僕は心臓の痛みを実感する。


 ……男の役目は、これなんだ。


 守ればいいってだけではないのだ。――こんな顔をさせないためにも。


 だからワンダさんだって、男としては、まだ一人前とは言えない。


「自覚はあるんだぜ、アル」


 口に出していない僕の考えに返答される。

 いいや、ちゃんと呼ぼうか――と、僕の名をあらためて呼ぶワンダさん。


「アルブル。お前にやるよ、このコート」


 ワンダさんがいま着ているコートを脱いで、僕に渡した。

 明らかに僕にはサイズが大きい。ぶかぶかで、長い裾が地面についてしまう。


 ……これは、僕にくれたもので、今の僕にではない。

 未来を見て、ワンダさんの期待が詰まっていたのだ。


「さて、じゃあマナ、お前のバンダナを寄越せ。俺が一緒に連れて行ってやる」

「……ふえ?」


 ぺタルダと同様に、涙と鼻水を拭いているマナさんはきょとんとした顔だった。


 ……ったく、とワンダさんが僕に見張りを任せて、マナさんの元に近づく。

 腰にしまってあったバンダナを取り出し、自分の腕に巻いた。


「約束だ。絶対に返しに戻る。

 アル、お前もそのコート、お前が立派になったら返せよ」


 僕はうんうん、と頷く。

 冗談だ、と言われたが、僕は返す気満々だった。


 だから、ワンダさんが死ぬなんて考えもしなかった。


「ワンダさん、これを飲めば、僕も力が使えるように……?」


「ああ、お前のシルキー族としての力、そしてぺタルダにも飲ませて、アンギラス族としての力を使って、ここから抜け出せ。

 地上世界に出てからも同じだ。ひたすら地下世界を探して隠れろ。

 やることは一つしかねえぞ――生き延びるんだ」


 なんて大ざっぱな作戦だと思ったが、しかしシンプルで、これ一つで全てが解決する。


 生き延びればいい。

 逃げようとも、戦って撃破しようとも、心臓が鼓動していれば僕たちの勝ちなのだから。


「……ワンダさん」


「行けよ、男同士、言葉はいらねえだろ。背中を見た、目を見た、拳を突き合わせた。そんなもんだぜ、男の会話っつうのはよ。

 その分、女とはきちんと話せ、理解しようと努力しろ。じゃねえと俺みたいになるぜ。マナしか理解者がいない寂しい野郎になっちまう」


 そんなことはないと思ったが、そうだとしてもワンダさんは、幸せそうだった。


「……じゃあ、行きます。ワンダさん、僕は――あなたを越えたい」


「越えたい、じゃねえよ。越える、と言い切れ。まあ……越えてみろ、クソガキ」


 ワンダさんの背中を最後に見届け、僕はマナさんに近づく。

 マナさんはワンダさんの背中を見つめ続けていた。


 僕は渡されたガラスの筒の栓を抜き、中身の液体を半分ほど飲み込んだ。


 残りをぺタルダに飲ませる。

 すると、僕の方に変化はなかったが、ぺタルダの方は分かりやすい。目を見開き、力の流動を感じ、ぺタルダの服装を破らずに、大きな翼が背中に現れた。

 さっき見た小さな翼を、そのまま大きくしたような形だ。


 マナさんの支えを必要とせず、ぺタルダが翼を使ってふわりと浮いた。


「アンギラス族はメンタルを取り込むことで翼による長時間の飛行、特別な『術』扱えるようになると言われているわ。でも、少ない量のメンタルだと、術は無理そうよね……」


「私、術のやり方とか知らないわよ?」

「あ、そっか。……ぺタルダは、そうだもんね。仕方ないか……」


 マナさんが言うには、今は翼での飛行だけあれば充分らしいのだ。

 蓄えたメンタルのことを考えれば、もしも使えたとしても術は控えなければならない。


 では、僕は? メンタルによって使えるようになる僕の力とは――。


「じゃあ、アル。私に触ってみて」


 マナさんに言われ、差し出された手に触れてみる。

 それだけではなにも変わらなかった。目を瞑ってみて、と言われ、おとなしく従う。


 再びをまぶたを上げると、


 ――僕は目を疑った。


 目の前にいたはずのマナさんが、目の前から消えていたのだ。


「――えっ!?」

「大丈夫、ちゃんとここにいるから。……というか、手を触ってるでしょ?」


 声はきちんと聞こえる。冷静になれば気配も匂いも、そこにあるのが分かった。

 ただ単に、いるはずの場所に、姿が見えないだけだった。


「シルキー族は存在感がとても薄い種族。それをメンタルによって強めることで、自分や他人の姿を消えたように見せることができる。ワンダくんはアルの隠密性能とぺタルダの機動力を組み合わせたかったのね……、この二つの力を使えば、逃げ延びることができると信じて」


 信じてくれたワンダさんを裏切るわけにはいかない。


 ワンダさんの期待に応えたい。だから僕が言うべき言葉はこれだけだ。


 これから先は、僕の役目になるだろうと予感して。


「…………行こう」

 



 透けた翼は完全に実体化しているとは言い難く、かと言って幻というわけでもなかった。


 手で触れることができるし、毛並みを撫でれば、きちんと感覚がぺタルダに伝わるらしい。


「んっ、ちょ、アルッ……くすぐったい、わよっ……!」

「ご、ごめんッ!」


 興味本位で触っていた僕を睨み付けるぺタルダ。

 責め立てるその視線から、僕は逃げるように顔を逸らす。


 ぺタルダのお腹にしがみつく僕とマナさん。……マナさんはサッキュバス族と呼ばれる種族で、なぜかなにも説明をしてくれなかったが、細長い尻尾を持っている。

 普段は服の下に隠しているため、長年一緒にいても気づけなかったのだ。


 ぺタルダならまだしも、男の僕がマナさんの裸を見る機会などないのだから、尻尾を見つけるのは難しい。意識して見ていないと発見するのは困難だろう。


 その尻尾を、僕とぺタルダが落ちないように巻きつけることに使っており、マナさんは自分の力だけで、ぺタルダにしがみついている状態であった。

 マナさんも一応、ぺタルダと同じく翼を持ってはいるものの、メンタルなしでは一人分をやっと浮かせるので限界なのだと言う。


 長時間の飛行は難しい。


「ぺタルダ、大丈夫……? 私たち、重くない?」


「重くないわけじゃないけど、大丈夫よ。アルの力……『神通力じんつうりき』のおかげで姿が相手に見えないわけだし、ゆっくりでもいいのはかなり助かってるわ……」


 僕の力が神通力と呼ばれているのではなく、僕を含めて、全種族がメンタルを体内に取り入れて扱えるようになる力を、神通力と呼ぶらしい。

 だから僕のこの姿を消す力も、ぺタルダの翼による飛行も神通力と呼ばれる。


 常識と言える知識だろうけど、僕はまったく知らなかった。


 記憶喪失だったからと言っても、無知過ぎるとは思うけど……。


 そうなると、マナさんの神通力も気になるけど、どうしてか顔を真っ赤にして拒否された。


「私の口からは言えないの……。そんなことより、怪しそうな場所があったら言ってね。……そうね、意外と自然物が密集していない場所にあったりするの、地下世界の入り口はね」


「そうなると候補がとても多いような……」


 そうだよね……、と苦笑いするマナさん。


 地下世界から無事に脱出した僕たちは、上空から真下の地上世界を見下ろしている。


 森を作る木々は枯れ果て、幹が倒れて灰になっている。

 地面には亀裂が入り、割れて隆起している箇所がいくつもあった。


 空気が淀んでおり、呼吸をしている分、体に悪い気がしてくる。

 空は明るいが、一面に染まった赤色によるものだった。


 だが、明るさを覆うように薄暗くしている原因が、舞っている黒煙だ。

 見える町の建物は崩れて廃墟になっており、瓦礫の山が作られている。湖はからっぽで、川は薄黒く汚染されている。

 地面に散らばる骨の数々、転がる死体たち。生物は、見える範囲にはどこにもいない。


 地上を徘徊しているのは、地下世界を襲った、老木のような六本腕の敵だけだ。


「これが、地上世界の現状……」


「酷いものでしょ? 私とワンダくんが二人を保護したずっと前から、世界はこんな感じだったんだから。……私たちはね、ずっとあの敵にやられっぱなしなの」


「確か、ワンダが言っていたけど、対策組織があったのよね? それはどうなってるのよ?」


「うぅーん、たぶん今も活動はしていそうだけど……どうなのかな。現状、こうしてなにも変わっていないところを見ると、活動しているかどうかも怪しいよね」


「……どうして、二人はその組織を抜けたの?」


 ぺタルダの質問に少しの間をあけて、マナさんが答えた。


「方向性の違い、かな」

「なによそれ。打倒あの敵! っていうのは変わらないでしょ」


「そうなんだけどね……そこは、うん。仕方ない事情があった、と納得してくれる?」


 マナさんは誤魔化そうとしなかった。

 言えない事情だから察してくれと直球で言われてしまえば、ぺタルダも身を引くしかない。


 食い下がったところで、マナさんは絶対に答えないと宣言したようなものなのだから。


「…………あれ、人……?」


 大きな岩の後ろに、背中を預けて隠れている人を見つけた。明るい色をしたコートで身を包み、丸い帽子を被っている。

 すると顔を上げ、僕たちの方向を見た……。奇妙な模様があるお面を被っていることに意識がいきがちだけど、僕たちの方を見たことの方が重要だ。


 僕たち三人、姿は消えているはずだけど……?


「偶然こっちを見ただけ、ってこともあり得るよ? それに、姿が見えないだけで話し声や翼のはばたき音は聞こえているはずだしね。それを聞き取れるのも凄いんだけど……」


 音を感知されないように、少し高めの場所を飛んでいるのだ。だが、見つかったとなると、この位置は地上の敵からしても見つけられる位置であるとも言えてしまう。


「マナ、どうするの? あの人のところに降りる?」

「……いや、やめておこっか。ひとまずは私たち自身の安全を確保しないと」


 ぺタルダは、そうね、と頷く。

 僕も首を縦に振ろうとしたけど、下にいる人の、体の震えを見てしまった。


 怪我をしてがまんしているのかもしれない、地上世界で敵から逃げる重圧に耐えられずに、恐怖を感じてしまっているのかもしれない……、どちらにせよ、見捨てるのは後味が悪かった。


 これから見つけた人を全員、拾うことはできない。だけど、この繋がりこそが僕たち種族がヤツらに勝つために大事なものなのではないかと、僕はそう思うのだ。


 僕のそんな甘さにぺタルダは猛反対した。


 マナさんは困った顔で、しかし否定はしなかった。


 僕がしようとしていることは、かつてワンダさんとマナさんがしたことなのだと言う。


 ……僕を保護した時も、今のような状況で。


 そんな方法で救われた僕が、同じ方法で誰かを救おうとすることを、マナさんは嬉しくも思っているのだ。


「……アルが決めるのよ。ワンダくんから、意志を託されたんでしょ?」


 そう言われれば、やりたいようにやろうと思った。


 僕はぺタルダの反対を押し切って、あの人の元へ向かう。

 言い合いをした結果、ふんッ、と不機嫌になったぺタルダは、僕のわがままを聞いてくれることに。渋々、下降したぺタルダによって、僕たちは久しぶりに地に足をつける。


 神通力を解除したので、目の前の生き残った人にも僕たちの姿は見えているはずだ。

 ちなみに、姿を消していても、僕たちは互いの姿が見えている。


 厳密に言えば、姿を透明化させているのではなく、存在感のなさを強調しているので、そこに人がいると思っていない人には効果的であるけど、最初から互いに認識していれば、その効力は発揮されない。


 マナさんは生物の擬態能力のようなもの、と表現していた。


「あの……」

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