第3話・惚気大会

 婚約破棄された当初はラウレンツ殿下の誕生会翌日に帰路につく予定だったけど、お互いに対魔獣と瘴気に関心があるとわかったあとに、翌日から三日後に変更となった。殿下が、深紅の騎士団の演習や魔術師団の研究の見学を計画してくれたのだ。


 初日は、魔術師団長の異空間口に対処する新しい魔法についての講義と実演。なかなかに面白かった。終了後は殿下とティータイム。壁際にはいつもどおりに、ずらりと並んだ侍従侍女。


「ヴァネッサはずいぶん熱心だった」と殿下。笑っている。「企画してよかったよ」

「ええ、とても勉強になりました。うちの魔術師たちに伝えます」

 講義についての話が盛り上がる。殿下は現場に出たのは数えるほどと言うわりには、魔獣退治の造詣が深い。


「ところで」と殿下。「ヴァネッサはどうして魔獣にこれ程の関心が? なにかきっかけがあるのか?」

 投げ掛けられた質問にドキリとして、手にしていたカップを置いた。膝の上におろした手を見つめる。慎ましやかな白い手袋に包まれている。

 きっかけは家族や屋敷の人たちはみな知っている。だけど私自身で他人に話したことはない。


「失礼な質問だったかな。すまないね」

「いえ」顔を上げてラウレンツ殿下の顔をまっすぐに見た。「母の死に魔獣が関係しているだけのことです」

「確か馬車の事故ではなかったか」

「はい。私が八歳のときです。走行中、そばに異空間口が開いて魔獣が出てきたのです。それに驚いた馬が暴れて」

「そうだったのか」

「――私も乗っていました。母は私を守ろうと必死に抱き抱えていたせいで、横転した際に首の骨を折ったのです」


 きゅっと手を握りしめる。あの日のことは昨日のようにはっきりと覚えている。馬車には対魔獣騎士が随行していた。異空間口がもっと離れたところに開いたならば、彼が対応して事なきをえただろう。運が悪かったとしかいいようがない――と母の葬儀のときに大人たちが話していた。


「ご母堂は」と殿下。

『ヴァネッサを守ることができて、きっと安心しているよ』と言われるのだろうか。親戚たちはみなそう言った。

「これ程立派になったヴァネッサを見ることができなくて、さぞかし無念だろう。そのような人を少しでも減らせるように私は、王子を辞めても対異空間口活動を続けるつもりだ」

「殿下……」胸の内になんとも言いがたい感情が湧き上がる。「……ありがとうございます」

「いや」なぜか照れている。「私はやりたいことをやっているだけだ」



 この人だったら結婚しても、うまくいったかもしれない。



 唐突に、そう思った。父も『ヴァネッサは気に入らないだろうが、私はラウレンツ殿下なら大丈夫だと思うよ』と言っていた。


「実は――」

「そろそろお時間が」

 殿下と、控えていた従者の声が重なった。

「なんだ、もうそんな時間か」

 このあと彼は、誕生会のために訪問した隣国の大公との約束がある。


「すまないヴァネッサ」

「いいえ。お付き合いくださりありがとうございます」

「続きはまたあとで」

「はい」

 立ち上がり、部屋を出ていく殿下を見送る。


 ラウレンツ殿下は掛け値無しに素晴らしい人だ。王族離脱は国にとって損害だと思う。

 それに少し、レイに似ている。話すテンポとか、気遣いの仕方とか。安易な励ましをしないところも。


 彼には幸せになってもらいたいな。



 ◇◇



 夜遅い時間、メイドに先導されて廊下を進む。晩餐のあとに第一王子妃様に誘われて、女性だけでボードゲームをしてきた。メンバーは楽しい人たちばかりだし、お酒は美味しいしであっという間に時間が過ぎてしまった。たまにはこういうお付き合いもいいのかもしれない。


 メイドが足を止めた。見ると廊下の角から第一王子妃様が出てきた。こちらに足早にやって来る――。


 え、と思わず来た道を振り返る。彼女とは別れたばかり。どうして前から来るの? しかもひとりで。


「あれ、ヴァネッサ」と第一王子妃様。

 いや、彼女は優しく『ヴァネッサさん』と呼ぶ。

「あ、そうか。私ーー」と彼女も振り返る。「来る」

 彼女はそう言うと私の手首を掴み、メイドを見る。

「君。案内はもうしまいでいいから、ここから放れてくれ」

 そして私を連れて手近な部屋に入り、扉を閉めた。


「急に悪い。私だ、ラウレンツ」と第一王子妃様。

「ラウレンツ殿下……」ということは「認識変更魔法ですか?」

「おや、知っているのか」


 知っていますとも!

 認識変更魔法は名前そのまま。魔法をかけた対象物が、第三者からは別の物に見えるようになるものだ。人にも使える。他人の姿になるためには初回だけ髪の毛が必要だけど、二回目以降はなくてもできる、便利魔法。なんと声まで変化する。

 だけどレベルが高く、使える魔術師は少ないと言われている。


「いや、大公令嬢がしつこくて」と第一王子妃様の姿をしたラウレンツ殿下。「追いかけてくるから、義姉の姿を借りた」

「災難でしたね。でも――」

「大丈夫、義姉には『いつでも使って』と言われている」

「美男の王子は苦労が絶えないのですね」

「まっまくだよ。これだから城の生活は――。そうだヴァネッサ、ちょうどふたりきり。聞き耳を立てる者はいない。恋バナでもしないか」


 昨日約束をした恋バナ。まだできていない。ラウレンツ殿下と会うときは常に何人もの侍従侍女がいる。未婚の男女ゆえの配慮。殿下は気にならないみたいだけど、私は彼らの前で恋愛の話をするのは恥ずかしい。


「いいですね」

 私たちは部屋の奥に向かい、それぞれ椅子に座った。殿下はまだ第一王子妃様の姿のまま。もし部屋を覗かれてもいいように、魔法を解かないらしい。


「殿下のお相手様は都にいらっしゃらないのですよね」

「ああ」

「残念です。殿下がいかに素晴らしいかを伝えてお役に立ちたかった!」

「ありがとう。だが彼は私が王子だとは知らないんだ」

「まあ」

「この魔法を使っているときに出会ったんだ」と殿下。「だからまず実体を隠していたことを謝罪するところから始めないといけない。――彼は怒ると思うか?」


 王子妃様のお顔が不安そうなものになっている。


「おふたりの関係性を知らないのでなんとも言えませんが、殿下のことをよくご存知なら悪意はなかったと考えてくださるのではないでしょうか」

「そうか。だといいな。彼は短気でね」

「どんな方なのですか」

 殿下の顔がにへらっとだらしなくなる。

「無鉄砲の負けず嫌いで喧嘩っぱやい」わ


 それは意外だ。殿下とは正反対の人のよいに思える。


「だけど弱い者の味方でね。真っ直ぐなヤツなんだ。意見の相違からよく口論もしたけど、真っ赤になって怒っている姿が結構可愛くて、わざと煽ったりもしたな」

「それはひどい」笑って相づちを入れる。「可愛いタイプの方なのですね」

「いや、男前タイプだ。俺から見たら可愛いところもあるってだけ」


『俺』? 殿下はいつも自称は『私』だった。あれは表向きだったらしい。


「それなら『なぜ早く打ち明けてくれなかった』と怒るかもしれませんね」

「そんな気がする」

「でもすぐに許してくれますよ、きっと」


 それは自分に向けての願いでもある。私もレイに己を偽っている。


「だといいんだが。うまくいくよう祈ってくれるか?」

「もちろんです」

「望みは薄いけどな。まずは身分を隠していただろ」と殿下は指を折る。「同性同士で」また指を折る。「アイツは俺に恋愛感情は一切無し」三本目。「そしてどこにいるかわからない。魔法でマーキングでもしておけばよかった」

「え? 居場所がわからないのですか?」

「話してなかったか?」

「私と同じなのですね」

「『二度と会わない』と言っていたのは――」

 うなずく。

「ヴァネッサとは不思議な縁だな」王子妃の顔で殿下が笑う。

「本当に」

「君の思い人はどんな方なんだ?」

「そうですねーー」レイの姿が脳裏に浮かぶ。「自己中心的なオジサン」


 ふはっと殿下が吹き出した。


「あまり魅力を感じられそうにないワードだ」

「そうなんですよ。自分の意見ばかりを主張して面倒くさい人。でも根は優しくて、そのギャップがいいというか」

「ノロケているなあ」

「殿下だってさっきは散々!」

「仕方ない、この上なく魅力的なヤツだからな」

「私の彼だって! オジサンだけどいざというときは颯爽としているし強くてカッコいいんですからね!」

「強い?」

「対――」


 コンコンとノック音がして扉が開いた。侍従が顔を見せ

「あ、いらっしゃった」

 と安堵の表情になる。

「妃殿下、失礼いたします。ヴァネッサ様、護衛たちがお戻りにならないと心配なさっていますよ。もう遅い時間ですから」

「そうだった!」

 本物の第一王子妃様の元を発ったあとメイドに、『今から戻る』と魔法メッセージを送ったのだった。


「興が乗ってきたところだったのに」不満そうな妃殿下の声。「だが確かに遅いか。令嬢を引き留めていい時間じゃない」

 自分に言い聞かせるかのように言って立ち上がる殿下。

「彼のことを話したのは殿下が初めてです」

「そうなのか?」

「ええ。また明日、続きをしましょう」

「もちろんだ。私も全然話し足りない」 差し出される拳。「あ、令嬢はやらないか」

 無言で拳でタッチする。

 嬉しそうな顔をする殿下。

 私もこれをするのはレイと別れて以来だ。

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