goat Devil
海野ぴゅう
第1話 ヤギになったらしい
朝起きたらヤギになっていた。それもザーネン種。名前からしていかにも残念な感じだ。
ヤギはウシ科ヤギ属の総称だ。
古い時代から家畜化され500以上の品種・亜種があるが、日本ではあまり普及していない。中国の『ウーヤン伝説』ヨーロッパの『聖書』に登場する人間に馴染みの深い動物だ。
大学生の僕が多少ヤギに詳しいのは、夏休みに五島列島の牧場でアルバイトしているからだ。
サークルで新美芽衣子に『夏休みのバイトが無くなってお金がないから実家に帰れないんだよね…』なんて言ったのがきっかけで誘われた。彼女の伯父が経営する牧場だ。
それでなければヤギには一生縁がなかっただろう。僕はクールな化学者を目指しているのだ。フリードリヒ・ヴェーラーが僕の神である。その神の誕生日である今日、7月31日にヤギになっていた。因果関係はない、と思う。たぶん。
五島列島は140あまりの島々からなる。九州の最西端だ。
僕は飛行機で本州から長崎県に飛び、長崎港から船に乗って五島列島の福江島へやってきた。
素敵な旅だった。海に島々の浮かぶ景色もいいが、特にトビウオを出汁に使ったあごうどんは絶品で毎日食べたい旨さだ。
新美芽衣子の伯父が経営する牧場は、風光明媚な広い敷地にあり、ゆったりヤギを飼育している。
話を僕に戻す。
日本人のヤギのイメージは某アニメ―ションに登場する乳用のザーネン種が一般的だ。その白いヤギに僕はなっていた。冒頭に言った通り残念だ。
(どうせなら戦国武将の兜にありそうな角を持つマンクス・ロフタン種が良かった…)
「めぇー」
『ひでえ』と言ったつもりなのに『めぇ』という音が小屋に響く。
(悲しい…悲し過ぎる。なんだこれ。めっちゃ普通にカッコ悪い。個性が埋没しまくってる…)
周りには同じく白いヤギが集まって寝ている。彼らは集団で生きる動物なのだ。彼らに僕が含まれている悲しさ。
(ああ、こんなことなら芽衣子ちゃんに告白しとけば良かった…もうめぇしか言えないよう)
僕は悲しみでいっぱいになり、小屋の壊れた板の隙間からこっそり外に出た。やや東の空が明るい。
(そうだ、僕がいないとヤギの世話はどうなるんだろ…ふぅ、気持ちいいな)
ジャジャジャー
自然に大量のオシッコを気持ちよく垂れ流す自分が嫌で泣ける。お椀一杯分は泣ける。
ぼんやりしているうちに空が明るくなり、他のヤギも騒ぎだした。
すると昨夜まで寝泊りしていたログハウスから人間の僕が出てきて、僕の頭を撫でた。
「勝手に出てくるぬよ」
それはいつも僕がヤギにかけていた言葉だった。
(いや、それより、ぬ、ってなんだ?ここの方言?こんにゃろ、僕のイメージを壊すな!)
「メ!メ!メ!!」
僕が怒ると、偽の僕は耳の番号札を見てニヤリと笑った。
「そうか、おまえは元のボクだぬ。身体を交換したか諦めるぬ」
偽の僕はさっさと小屋に入り飼料をヤギに与え始めた。
(おいおい、僕の仕事!!)
そう思っても腹が減ってはなんとやら、僕は餌にがっついた。干し草と少量の人参が美味しい。一匹のメスヤギの前にだけやたら山盛りになってる飼料を横目で見ながら頬張る。
(うおっ、こんなものが死ぬほど美味しいだなんて…僕終了の合図!っていうかあいつメスの顔色見やがって…エロか、エロヤギなのか!)
他のヤギたちに混じって海が見える丘でうろうろしながら雑草を口にしていたら、自然に排便をしていた。空と一体になったかのようなとてつもない解放感が僕を支配する。
コロコロと落下する小気味いい音が僕の世界を揺らした。
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