12




「ノア、?」

「どこがカッコ悪いのか、教えてくださいよ……」

「ノ、ア……、ノア、ノア……っ!」


 力が抜けたように地面にドサっと倒れ込むノアに、必死に声をかける。その左肩には毒針が刺さり血で滲んでいた。


「なんで、帰ってって言ったのに……っ」

「あなたを残して、帰れるわけないでしょ……」

「……ノ、ア…………」


 どうしよう、私のせいだ。私のせいでノアが……っ、こんなはずじゃなかった……なんで、なんでこうなるの……?

 視界が歪み、涙がノアの服を濡らす。

 泣いてる場合じゃない。早く、解毒剤っ、アレクお兄様ならきっと持ってるわ……!


「お兄様はっ⁉︎」


 そう問いかけるも、徐々にノアの息遣いがハア、ハア、と苦しそうになっていく。


「今針を抜くから!」

「触、るな……っ!」


 毒針の刺さった左肩を触ろうとした手を、ノアの右手に強く掴まれた。こんなにも私が触ることを拒絶するのは初めてだった。針に毒がついてるから触らせてくれないんだ。

 うぅ……涙が止まらない……私は未熟だ。推しの命を救うなんて言っておいて、こんな大事な時に何もできない……


「黒だ……」

「黒髪だっ」

「に、逃げろーーーーっ!」


 付近に集まっていた野次馬勢は、ノアの頭を見て恐怖からバラバラに散らばっていく。

 すぐ側にいたローズは、目前に見える髪色にカタカタと肩を震わせていた。先程地面に体を打ちつけた衝撃で、ノアに被せていた茶色のカツラが取れてしまったのだ。


「ローズ様、近づいてはいけません」

「きっと俺たちに何かするつもりなんだ」

「逃げようローズ、こいつは危険だ」


 やめて……ノアが何したっていうの?

 ローズを守ろうとした私ごと、助けてくれたんだよ……?


「黒髪なんて気色悪い」

「どうして生まれてきたのかしら」


 うるさい……うるさいっ

 勝手なことばかり言う人間に怒りで震え、余計に涙が出た。はらわたが煮えくりかえるとは、きっとこのことだろう。

 私はそっと震える手でノアの両耳を押さえ、外部の声が聞こえないよう遮断させた。


「聞かなくていい。聞かなくていいからね……」


 そしてアレクがいないか付近を見渡す。暗殺者の一人を捕らえ戻ってきた護衛騎士は、足を負傷していてノアを運ぶのは難しいだろう。頼みの綱はアレクだけだった。


「……不吉」


 ふとその時、私は近くで動けず震える彼女が、ボソッとそう呟く声を聞き逃さなかった。


「おい、大丈夫かっ」

「お兄様……!」


 任務のため完璧に変装しているお兄様は、強盗犯を捕まえた後すぐに駆けつけてくれたみたいだ。護衛騎士が連絡を取ってくれたんだろう。

 

「話は聞いた。とりあえずこの解毒剤で効くはずだから、帰り着くまでこれで我慢しろ」

 

 アレクはそう言いながらノアに刺さっている毒針を引き抜き、手早く左肩の応急処置をする。

 アレクぅぅぅ〜〜……! あなたはなんて心強いの……それに比べて私は……

 

「……っ、ゴホッゴホッ」

 

 アレクが解毒剤を飲ませようとすると、ノアは咳込んでうまく飲み込めない様子だ。


「飲み込みづらいか……空の注射針を持ってきてたら良かったんだが」

「お兄様、その解毒剤もう一本ある?」

「あぁ」


 私は新しく渡された解毒剤を受け取ると、蓋をポンと開け、自分の口に含ませる。そして……──


「⁉︎」

「きゃあっ!」


 アレク同様、その場にいた傍観者は目を大きく見開いていた。聞こえた声は全て悲鳴に近い声。私はノアの口を少し開けると、自分の口から解毒剤を直に彼の喉に流し込んだのだ。


 お願い、ノア。飲んで……──

 その時の私は、彼を救うためにそれしか考えていなかった。ゴクンと飲み込んだ喉元を見て、一安心する。


「なんと穢らわしい」

「気味が悪いわ」


 そうやって周りからヒソヒソと聞こえる言葉は、汚いだとか、不潔だとか。私だけに言うならいいけど、明らかにノアを傷つける言葉だ。

 やっぱり、おかしいよ……ノアやピピの、ただ髪が黒だというだけで、差別されてしまうのはおかしい。暴力を振るわれるのもおかしい。

 その染みついた固定観念自体が腐っているということに、どうして気づかないんだろう……?

 どうして見た目だけで判断して、中身を知ろうともしないで、酷い言葉をぶつけることができるんだろう……?


「ノア、帰ろう?」


 顔の近くでそう声をかけると、うっすらと開く澄んだ瞳が揺れていた。その瞳は海の宝石のように繊細で美しく輝いている。

 徐々に呼吸も落ち着いていき、ノアは安心したように目を閉じた。

 とりあえず命の危険は免れたみたい。よかった……


 アレクは眠ってしまったノアを背中に抱え立ち上がると、小さく「セリィを守ってくれてありがとな」と、優しい声色で声をかける。その言葉に、また私は涙がこぼれ落ちた。

 自分が思っている以上に、推し達は私のことを大事にしているような気がして。私が与えたい愛を、渡して満たしたい愛を、その何倍にもして返してくれようとしている気がして。

 苦しいなあ……幸せにしたいのに、私のほうがみんなより幸せになってしまってるよ……


「ちょっと待って!」


 ノアを連れてそそくさとローランス家に帰ろうとしていると、ローズの一言に引き止められた。そういえば、アレクとローズは結局出会ってしまったな……


「あなた、何者?」

「私はこの子の家族だよ」

「もしかして、あなたも実は黒髪……?」

「……だとしたらどうする? さっきみたいに話し合って、分かり合おうとしてくれる?」


 彼女の肩がピクッと動いた。私に話せばわかる、と言った平等なローズと、ノアの髪色を見て本音らしき言葉を言ったローズに対しての皮肉だった。


「ぶつかったことは謝るわ。本当にごめんなさい」


 アレクがもしローズを好きになっていたとして、私とローズが不仲となればきっと、アレクを困らせてしまうだろう。だから敵でも味方でもない中立の立場になるしかない。関わりたくなかったけど学園で会うことになる運命だ。

 

「ただこの子があなたの命を救ったということだけは覚えていてね。さようなら、ローズ。また会うと思うけど、それまでお元気で」


 そう言って、再び歩き出す。

 一緒に振り返ったアレクの視線の先にはきっとローズがいたはずだ。でも私の視界からではアレクの表情は見えなかった。



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