第3話 狐と狸は犬猿の仲?
「御職がふたり、いるの……?」
「あい。おふたりがおふたりとも、互いに決して譲りいせんで……」
「何しろ、それぞれ狐と狸のあやかしでありんすゆえ」
「ああ……」
犬猿の仲とは言わずとも、狐と狸は化ける獣の筆頭として張り合うものなのかもしれない。
「ねえ……」
女同士の鞘当ての恐ろしさと、雅な名前の美しさ。その両方に溜息を吐きかけて──千早は、不穏なことに気付いてしまった。ぴくぴくと動く
「御職の花魁には、真っ先に挨拶したほうが良かったんじゃないの?」
言った瞬間、ふたりの尻尾がぶわりと膨らんだ。千早の懸念は、どうやら当たってしまっていたようだ。どれほど美しくても、花魁は──女というものは、自分とほかを比べずにはいられない。現世でもあやかしの世でも、それは変わらない業のようなものらしい。
「だ、だって」
「怖かったのでありんすもの」
ガマの穂のように膨らんだ二本の尻尾が、べしべしと千早の手を打った。珊瑚と瑠璃の怯えと混乱を、訴えるかのように。
「どちらを先にしても、もう片方の姉さんは必ずお怒りなさいんす」
「座敷から出てくださんしたら、成り行きでご挨拶できるやもと思っていたのに」
ついでや偶然を装って、挨拶することができたら、と。ずるずると後回しにするうちにここに至ってしまったらしい。
(ほかの人から聞いて、面白がって閉じ籠っているんじゃ……)
百戦錬磨の花魁というのは──怖いのだ。千早もよくよく知っている。禿や新入りを揶揄ったり試したりするのは常のこと。廓勤めの憂さ晴らしでもあるし、ある意味では貴重な教えとも言えるだろう。
だから、珊瑚と瑠璃も、叱られるなり嫌味を言われるなりは、勉強と思うべきなのかもしれない。見世の同輩もあしらえないようでは、先が思いやられるのだから。でも──へたりと垂れて震える猫耳を見ていると、可哀想にも思えてしまう。
「じゃあ──おふたり同時に挨拶できるように、やってみようか?」
言いながら、千早はふたりの頭を順番にそっと撫でた。艶やかな髪も、柔らかな耳も、掌に伝わる感触はうっとりするほど気持ち良い。
「え……?」
思わず目を細めて笑った千早に、ふたりは大きな目をぱちぱちと瞬かせて首を傾げた。
「かようなこと、いかにして……?」
「葛葉姉さんと芝鶴姉さんが一緒に並ぶことなど──」
そう、確かに。売れっ妓花魁というものは、禿や新造に傅かれて座敷を出る必要などほとんどない。新入りがどちらに先に挨拶するか、今は高みの見物を決め込んでいるところでもあるだろうし。
(よっぽどのことがなければ出てきてくれない、でしょうね)
廊下の隅に屈んだ千早たちの傍を、見世の者たちが足早に行き交っている。視界に落ちる影の中には、時々明らかに人で「ない」ものもある。珊瑚と瑠璃のような獣の耳、ふさふさとした尻尾、鳥や蝙蝠の翼のような──顔を上げないほうが良い気がして、千早は禿たちと目を合わせることに集中した。
「うん、難しいとは思うんだけど──」
言いながら、腰を探って帯留めを外す。春が終わり、初夏に向かう季節に合わせた、藤の花のつまみ細工。小さな紫色の花を連ねて、歩くのにつれて揺れるように作ったもの。
(寿々お嬢様にもうひとつ、って言われてたなあ)
下働きの忙しさゆえ、とうとうその時間を捻出することはできなかった。小さな胸の痛みは押し込めて、千早は小さな飾りを珊瑚と瑠璃の目の前で揺らした。
「千早……?」
「何ぞ、それは……?」
挨拶の順番で不安に揺れて、今にも泣きそうだったふたりの目が、まん丸く見開かれて、藤の花の帯留めに吸い寄せられる。大きな瞳孔も、花房が揺れるのに合わせて左右する尻尾も、寿々お嬢様の愛猫・
(あ、やっぱり猫なんだ……それも、まだまだ子供の……)
それなら、猫又扱いに憤るのも、毛並みの柔らかさも無理はない。
「うん、『よっぽどの騒ぎ』があれば花魁も出てきてくれるかなあ、って思って」
猫の遊び相手を務めるのは、
「よっぽど、とは?」
「妙案でもあるのかえ?」
揺れる藤の花房に目も意識も釘付けになって、瑠璃と珊瑚の問いかけも上の空だ。良い頃合いに仕上がっている。それに、廊下の人通りも、あつらえたようにちょうど途絶えて、階段まで見通せるようになっている。
「それはね──」
(今!)
顔では意味ありげに笑い、心では気合を入れて叫ぶ。そして、清水の舞台から飛び降りる思いで、千早は藤の花の帯留めを放り投げた。
「にゃ?」
「うにゃっ」
瞬間、目の前をふた組の耳と尻尾が駆け抜けた。弧を描いて飛んだ帯留めを追って、珊瑚と瑠璃が跳躍したのだ。獲物を狙う時、猫は余所ごとは目が入らなくなるもの。後先も考えずに飛び出せば──
「ど、どうした!?」
「瑠璃と珊瑚か! 何をやってる!?」
幸い、ふたりの下敷きになった人はいないようだった。器が壊れたり、花魁の着物や飾りが痛んだり、ということも。ただ、とにかく音と振動がものすごかった。すわ何ごとかと、廓中の注目がこの場に集まりつつあった。ある意味では、千早の狙い通りでは、あるのだけれど。
(こ、ここまでの騒ぎになるなんて……)
震える千早の耳に、襖ががらりと開く音が届いた。それもふたつ、ほとんど同時に重なって。次いで、水晶の鈴を振ったらかくや、というような、鋭くも涼やかな、美しい女の声も。
「何の騒ぎだえ。騒々しい……!」
「見世が開く時だというに、
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