妹に吐いたウソの顛末

道楽もん

第1話 某年 八月 午後五時


 その日は、ヒグラシがよく鳴く日だった。

 

 酷く耳障りで、自宅より外には逃がさないとでも言われているかのよう……まるで鳴き声のおりに閉じ込められた気分だ。

  

 その所為せいか見慣れたはずの玄関も異質で、ひたすらに濃い赤と黒だけに塗りたくられている様に見えた。今ではもうほとんど見ることも無くなった、写真のネガを透かして見てる様な。

 そんな異空間の隅の方、漆黒に切り取られた天井の角へと懐中電灯を持つ手を向けてしまった僕は、何でそんな事をしたのかと直ぐに後悔した。


 ボヤけた光はいたずらに不気味さを増すばかりで……せっかく蓋をしていたハズの、何か『よからぬモノ』を目覚めさせてしまうんじゃないかという恐れから、次第に耳の奥がキーンと塞がれて……。


「また、どこか行くの? 兄貴」


 突如として闇の中から湧いた声に「うわっ」と、我ながら情けない声を上げて明かりのスイッチを切った。それを後ろ手に隠しながら暗がりに目を向けると、家の奥から音も無く現れたクレハの姿に更に口の中が酸っぱくなってくる。


「おま……脅かすなって。灯りくらいつけろよ」


「それはこっちのセリフ。……懐中電灯なんて、何に使うの?」


 緩やかにうねる黒髪を肩に垂らして首を傾げながら、髪質とは違うストレート過ぎる疑問をぶつけて来る妹に僕は、かすれだす声をようやく絞り出した。

 

「……ホラ、社会人になって数年が経つけど、ぼ……俺の車に積んで無いじゃん? 何かあった時の備えっていうか……」


「帰ってきたなら何も起こるはず無いじゃん。もうすぐ暗くなるっていうのに……友達も彼女もいない寂しい兄貴が、ウキウキしながら懐中電灯を持っていくなんて……」


「知らない人が聞いたら誤解する様なこと言うなよッ! ……彼女は居ないけど、友達くらい……居るわッ。現に、これからまたユウスケの家に戻るつもりなんだから……」


「まさか……とは思うけど……」


 僕のツッコミの声を完全に無視して名探偵さながらに腕を組み、一段高いところから見かす様なジットリ視線でめつけてくる一つ歳下の妹が、ゆっくりと唇を開く。


「……肝試しや怪談に使うなんて……言わないよね? 兄貴」


 ――言外げんがいに幾重にも編み込まれた圧力プレッシャーに耐え切れず、僕は思わず顔を背けた。




 思春期に色々あり過ぎて、青春とはかけ離れた学校生活を終えたばかりの当時の僕が、唯一とも言える友達のユウスケから肝試しをやろうと誘われたなら、断わる方が難しいだろう。


 まだ陽が傾いたばかりで肝試しには少し早いからと、一旦帰宅した所で一番厄介な奴にエンカウントしてしまった……簡単に今の状況を説明するならそんな所だと思う。

 

 普通の家族だったなら、肝試しに行くくらい多少は眉を寄せられたとしても正直に打ち明けたかもしれない。……けれども、生意気にも睨みつけてくる妹に対して僕の口を突いて出たのは、真逆の言葉。

 

「……ンなわけ、ないじゃん」


「ホントに……?」


 意外そうに両眉を上げて聞き返すクレハ。


「……ホントだって! そんな誰も得しないウソ、吐くわけ無いじゃん」


「……一応言っておくけど、私が、今まで、どれだけ霊障れいしょうに苦しんで来たのか……兄貴は判ってる、よね? 」


 いぶかしむような眼差しで、過去に起きた哀しみを強調する様にぶつ切りで訴えてくる妹の目を、僕は直視することができなかった。


 端的に言うと、クレハは霊感が強かった。テレビでよく目にする、霊媒師と言われる人達と肩を並べるくらいに。もちろん、ゲームやマンガの様に数値化できるわけでも無いから、あくまでもそれは僕の主観的な感想だ。

 

 でも『見える』人達は霊に対して無防備と言われていて、たまに目が合った瞬間に救いを求めて取り憑いて来て悪さをされてしまう、それが所謂いわゆる霊障と言われるもの……らしい。ちなみに取り憑かれたら身体や精神に異常をきたして、普通の生活すらままならなくなってしまう。


 その後クレハは、耐性を付ける修行やお祓いをする事になった。僕には分からない世界とはいえ、下手に霊場に近づいてしまったら霊を連れて帰る可能性だってゼロじゃあない。だから危険に近づく様な事などしないで、妹に危害を及ぼさないのが兄貴のつとめ。



 ――それは、分かっちゃいるんだけれど……



「……ほら、ユウスケの家の庭、広いからバーベキューしようぜって、事になって。夏の夜は虫が寄って来るだろ? だから明かり以外にも虫除けが必要だからって……」

 

 ――嘘の上塗りをしてしまった。


「ふ〜ん……?」


 ……あの目は完全に信じて無いな。そりゃあ自分でも、兄貴失格だとは思ってる。


 けれども、高校卒業してすぐ就職。彼女もいない、ロクな青春も味わった事のない僕に初めて訪れた(僕にとって)特大のイベントに、参加しないという選択肢はどうしても選びたくなかったんだ。


「怪しいなぁ……そりゃあ、何するにしても兄貴の自由だろうけど……さ」


「ほら、ちょっとした探検にだって使えるだろ? それに食べきれなかったら持ち帰ってやるからさ……まぁ、そんなに心配すんなって」


 昔、僕がひび割れたアスファルトを眺めていた時、妹には至る所に身体の透けた人達が集まっていると言っていた。……同じ光景を見ていても、僕と妹の世界には明らかなへだたりがある。

 

 逆に言えば僕が霊の居る場所を眺めていたとしても、同じ光景を見ることの無いクレハに霊が見えるはずが無い。

 ……今にして思い返せば、そんな安直で願望に近い理由で自分の心を誤魔化しながら、明らかに不服そうなクレハに手を振りつつ僕は玄関を後にした。



 ――そう。分かるはずが無いんだ……僕が心霊スポットに行った事など、誰にも証明出来やしないんだから……。


 

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