ジャック・ザ・リッパーvs荊軻 決着
勝負の世界とジャック・ザ・リッパーは、とても遠い位置にあった。
殺人鬼にあるのは殺すか生かすかであって、勝つか負けるかの話ではない。
殺せなかったら次の機会に殺せばいい。殺してしまえば全て終い。殺せれば重畳、程度で良かった。
暗殺と違い、命令はない。殺したところで名誉もない。
殺した事で誇れる事もなければ、殺した事で何か得られる訳でもない。殺人鬼は、ただ殺したいから殺すのだ。
食べたいから食事する。
眠たいから眠る。
シたいからスる。
基本的三大欲求と同じで、殺したい時に殺すだけなのだから。
だから、圧倒的勝者と言えば勝者なのかもしれない。誰にも捕まるどころか見つかる事もなく、殺せるだけ殺し尽くす人生を二度も送れたのだから。
だが、三度目となった人生は違った。
「殺人鬼、ジャック・ザ・リッパー。今日からあなたをうちで雇いたいのです。お話、よろしいですか?」
今や小さな路地裏にさえカメラが設置され、世界中に流れるような情報化社会。何処の誰とも知らない彼女、ポラリスと名乗る女に見つかってしまった。
まだ誰も殺していなかった。
まだ誰も殺せていなかった。
まだ何も出来ていなかったのに。
「あなたに絶好の機会を設けましょう。来て頂けますか?」
来てしまった時点で、自分はもう終わってしまったのかもしれない。
誰にも見抜けない。誰にも知られない。誰にもわからない。
神出鬼没で正体不明の切り裂きジャックが、表舞台に姿を現し、戦いに身を投じようと言うのだから。
* * * * *
“
阻止する方法はない――本当に?
答えは否。否である。
敵は当然考える。発動してしまったのなら、完全に効力を発揮するまでの十秒以内に荊軻を再起不能にすればいいだけだと。
ならば当然の如く、敵は速攻で仕留めようと動く。
十秒という、猶予と呼ぶには短過ぎる時間の中で荊軻を殺す事は難しい。が、ジャックは十秒を長いと感じ、猶予と見る感覚の持ち主だった。
誰にも気付かれず、知られる間もなく人を殺すには、十秒よりもずっと短い時間で効率、能率共に良く殺さねばならない。
足の速さではなく、手際の速さを求められているのなら、ジャックには相応の自信があった。
“
武器を必要とせず、触れただけで敵を殺す。作も奇策も必要としない、最高速の攻撃。
十秒なんて長過ぎる。一瞬だ。首でも胴でも足でも何処でも、触れた瞬間に荊軻は死ぬ。
そう、誰の目も追い付いていない攻防の中で思うジャックとは反対に、荊軻はジャックの動きを見てただ一つだけを思っていた。
「愚か」
選択の余地を与えただけであって、与えてやっただけであって、選ばなければ勝てるとでも思っているのなら、決めるより先に決められると思っているのなら実に愚考。
荊軻はあくまで相手に選択権を与えてやっただけで、委ねた訳ではない。最後に自らの最期を決めさせるのは、せめてもの慈悲だ。
傍若無人で通った荊軻の最期の慈悲。
かの偉大なる皇帝の側室であった事で芽生えた、最後の感情――憐れみ。
「
荊軻に関する情報は少ないが、荊軻の匕首には逸話がある。
始皇帝暗殺を目論む荊軻は、匕首に猛毒を塗りたくった。その匕首の刃に触れて、死なぬ者無し。
「死人に口なし――故に閉ざせ、哀朽」
両者交錯。
そして、決着の時。
匕首を突き出した荊軻の背後で、両腕を失ったジャックが宙を舞う。
顔を出し始めた朝焼けに燃える吸血鬼が如く、斬り落とされた腕から塵芥と化して消えて逝く。常勝を誇るチームレジェンズの、無敗の殺人鬼が消えて逝く。
戦いを見ていた誰もが言葉を失い、聖水を浴びた悪魔の如く消えるだけのジャックをただ見つめるのみ。
ジャックはただ、自分に一瞥もくれない白い背中を仰ぎ、散り朽ちる腕を伸ばそうとしたが、その時になってようやく、自分の腕が斬られた事に気付く。
「嗚呼、嗚呼……殺したいほど、愛おしい……愛おしいほど、殺したい……されどそれは叶わ、ず。我が夢は、ロンドン橋と共に落ち、る……」
さようなら、現世で初めて殺したくなった人。
愛していると間違う程に殺したかった人。
神よ。転生の神よ。
願わくば、彼女を殺せるその日まで、彼女に栄光と勝利を――
『じゃ、ジャック・ザ・リッパー、消失……第五試合。チームレジェンズ定番のストリートファイトを制したのは、チームルーザー、荊軻ぁぁぁっっっ!!!』
「
圧勝。
圧倒的勝利。
荊軻はそんな連中に、事実を突き付けてやるべく時計塔の上に跳び上がって叫んだ。
「歴史改竄失敗者、荊軻! 常勝の歴史に傷付けたり!!! 繰り返す! 常勝の歴史に、傷付けたり!!!」
第五試合。勝者、チームルーザー。荊軻。
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