君が為、惜しがらざりし、命さえ
沖田ねてる
前編
わたしの想いは偽物なんかじゃない。嘘なんかじゃない。この心は、絶対に間違ってなんかいない。
正午時。夏の太陽が“雨雲”によって隠され、滴る雫が身体を濡らし、景色を薄暗くしていても、それは揺るがないものだ。
「あたしはあんたを滅しに来た。大人しくしてくれると嬉しいんだけど?」
街中のとある公園、すべり台等の各種の遊具が、舞い降りる水滴で強制的に洗われている中。目の前にいるのは傘をさしたままオレンジ色の長い髪の毛をなびかせ、白いシャツに豊満な胸を押し込み、青いジーンズをと白いサンダルを履いているというラフな格好の彼女。彼女は自身を、退魔師と名乗った。
綺麗な人、って言うのがわたしの第一印象だった。小柄で、くせ毛の所為で伸ばせない黒い髪の毛は短くて、藍色の瞳を持った白いワンピース姿のわたしなんかよりも、数段は美人だ。
「あたしはあんたを祓わなきゃならない。とどまり続けることで、いずれは本人を害するようになる。それがあんただ。被害が及ぶ前に、祓わせてもらう。ただでさえ今日は夏祭りで、こういう日は他の案件も多いってのに……」
そう言って彼女は、何かの文字が書いてある札を取り出した。あれがわたしを祓うものなのだと、本能的に理解する。自分を消すための呪符なんだと。それと同時に、彼女の周囲に黒い“蝶”が舞い始めていた。まるで彼女に付き従っているかのように。
でも、それは困る。わたしには、やらなければならないことがある。
「…………」
「……なんだいあんた。意志疎通が取れるってのかい?」
わたしは彼女に伝えた。わたしには、やらなければならないことがある。それをやらずして、消される訳にはいかない。
「はあっ? あんた何言ってんだいっ!?」
彼女は酷く驚いていた。わたしはそんなに変なこと言ったのだろうか。当たり前のことを、やるだけだというのに。
「……解った。それをしたら、大人しく祓われてくれるんだね?」
大きく、わたしは頷いた。これさえ終われば、わたしはどうなっても良い。
「わかった、わかったよ。ただし、監視させてもらうよ。妙な真似をしたら、すぐに祓ってやるからね」
ありがとう、退魔師のお姉さん。あなた、良い人なんだね。
「うっさい。あたしの気が変わる前に、さっさと行きな」
お姉さんにお礼を言って、わたしはすぐに動き出した。急がなきゃ。
・
・
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「なんだよ、今さらやってきて」
わたしはずぶ濡れのまま、すぐに彼の家に行った。そして直接会った。彼は顔を見せてくれたけど、酷く不機嫌だった。そりゃそうだろう。
「他の男と寝ておいて、今さら弁解か? 自分は悪くありませんって、言い訳でもしに来たか? そんな格好なら、俺が同情するとでも思ってんのか?」
彼との約束を守れず、他の男性と泊まることになってしまったわたし。それを知った彼は烈火のごとく怒り、わたしに対して傷つく言葉を怒鳴り散らした。着信も拒否し、連絡が取れなくなってしまったのだ。
だからわたしは直接行くことにした。彼の家に行って、直接話そうって。
「…………」
「はあ? 誤解? あんな状況を見せておいて、何を……」
懇切丁寧に、わたしはあの時の状況を話した。彼の好物である“チョコレート”ケーキをプレゼントをしようと思い、その手伝いをお願いした男性。彼は調理製菓専門学校に通う料理得意な男性で、わたしの双子のお兄ちゃんだ。二卵性だからあんまり似てなくて、勘違いしちゃうのも仕方ないと思う。
その証拠にと、わたしはお兄ちゃんに電話した。電話に出てくれたお兄ちゃんにも、勘違いさせてごめんなさいって言ってもらった。事前にお願いしておいたのが、功を奏した。
「なん、だよ……お、俺。勘違いしてお前に、酷い、こと言って……」
解ってくれた彼が、涙を浮かべて謝罪を口にしようとした。でもわたしは、その唇に人差し指を置いた。今は、言って欲しくないって。
「どう、したんだよ。あの公園で待ってるって、まさかお前、俺のこと……」
彼は酷く怖がっているみたいだった。捨てられるって、思ってるのかな。わたしはそんなことないよって首を振って、そして待ってるからともう一回言って、その場を後にした。
だって、あなたに謝ってもらうのは、わたしじゃないから。
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「どうして、なのよ。わたし、あなたに喜んでもらおうって、思っただけなのに……だ、誰っ!?」
わたしはもう一人、会いに行かなくちゃいけない人のところにやってきた。それは、わたし自身だった。
「ひいっ!? な、なに、なんでわたしがいるのよっ!? ま、まさかドッペルゲンガーっ!?」
びっくり、させちゃったかな。うん、そうだよ。わたしはあなたの共歩き。あなたの言うように、ドッペルゲンガーって名前の方が有名なんだけどね。
あなたと同じ顔で、同じ髪型で、同じ背丈に同じ服を着て。そして、あなたと同じ想いを持ってるの。
「い、いやっ! やめて、殺さないでっ!!! わたし、まだ、彼と……」
あなたが怯えている。共歩きが現れる時は、その人の死期が近いことを示す死の前兆、っていう説が一般的だからね。二回見ちゃうとその場で死んじゃう、っていう話もあるらしいよ。
大丈夫、心配しないで。今日だけだから。わたしは二度と、あなたの前には現れないから。
「…………」
「へ? と、共歩き? か、彼が公園で待ってる? な、何言ってんのよっ! 共歩きだか何だか知らないけど、わたしなら解るでしょうっ!? 彼は、わたしに、あんな酷いことを……」
うん、知ってる。傷つけられたって思った彼が、あなたにどんな酷いことを言ったのかを。それであなたがどれだけ傷ついているのかも、解るよ。
「…………」
「い、行くだけ行ってみろって? な、なんで共歩きの言うことなんか信じなきゃいけないのよっ! わたしは、あんな奴」
素直になれないあなたのことも、よく知ってるよ。でも本当は、そんなこと思ってないことだって。この後どうなったら一番嬉しいのか、ってこともね。
だってわたしは、あなただから。
「っ!? ち、ちょっと、何処行ったのよっ!?」
言うことは言ったから、わたしはその場から消えた。共歩きって、その場からフッと消えることができるんだよ、便利でしょ。
あとは、あなた達次第。わたしにできることは、もうやりつくしたから。多分……ううん。絶対に、大丈夫だよ。わたしはあなたのことを、信じてるから。
・
・
・
「ッ! お、お前……」
「っ! あ、アンタ、なんで……?」
最初の公園に、彼とあなたがやってくる。雨は止んでいたが、まだ空は少し曇っている。日はとっくに暮れちゃったけどね。備え付けられた街頭が光り始めるそんな中、彼はあなたの顔を見た瞬間に、頭を下げたね。
「わ、悪かったッ! 早とちりした挙げ句、あんなに酷いこと言って……俺、俺、本当に馬鹿で……」
「なっ!?」
まさかノータイムで謝られるなんて、思ってなかったんだね。あなたのびっくりしてる顔が面白いな。
「ふ、ふんっ! 何よ、その程度で許してもらおうなんて思ってる訳っ!? わたしにあんな酷いこと言った癖にっ!」
「そ、それだけじゃないさ……これ」
強がってるあなた。もう、素直じゃないんだから。強い口調の癖に、口元がほころんでるよ。必死な彼は、気が付いてないみたいだけどね。可愛い人たち。
そして彼が、ポケットからあるものを取り出した。それは片手のひらに乗るくらいの大きさで、上品な印象を受ける赤い箱。恋する女の子なら誰もが欲しくなっちゃう、憧れの箱。
わたしは無意識のうちに、奥歯を噛んでいた。
「お前がずっと欲しいって言ってたブランドのやつ。やっと、やっと買えたんだ。いつ渡そうかって悩んでた時に、あんなことになっちまって、俺、何も考えられなくなって……でも、お前の気持ちが、ようやく解ったんだッ! 俺、やっぱりお前が良いんだッ! 俺と、結婚してくれッ!!!」
「は、はあぁぁぁっ!?」
プロポーズの為の結婚指輪。彼がパカっと蓋を開けてみれば、わたしとあなたがずっと憧れてたブランドのもので、一粒のダイヤが鎮座している。永遠の輝きなんて言われてる、輝く宝石。本当に、綺麗だよね。
わたしもずっと、欲しかったんだよ。
「嘘。こんな、良いものを、わたしなんかの、為に……?」
「ああ、お前の為だけのもんだ。どうか受け取って、くれないか……?」
「し、し……しょうがないわねっ! アンタみたいな男は、わたしくらいしかもらってあげられないでしょうし、仕方なく受け取ってやるわよっ!」
「ほ、本当かッ!?」
「う、嘘なんか言わないわよっ! ほ、ほら……指輪、つけてよ」
恐る恐る左手を出しているあなた、可愛いね。彼もたどたどしい手つきで、その薬指に指輪をはめた。うん、ちゃんとサイズもピッタリ。指の大きさも、覚えててくれたんだね。
わたしの奥歯を噛む力が強まる。
「き、綺麗だよ。その。あ、愛して、る、から……」
「わ、わたしなんだから当たり前でしょっ! その……あ、ありがと……わたしも、愛して……」
「えっ? も、もう一回言って……」
「もう言ってあげないっ! 馬鹿っ!」
そう言って、あなたと彼の視線が交差する。“目”と目が合った瞬間、あなたは彼に抱き着いた。彼もまた、彼女を抱きしめ返してくれる。そのまま二人は、唇を合わせていた。見ているだけで優しくて、あたたかそうで、幸せなキスを。
二人の頭上に、“花火”が上がった。夏祭りが始まったんだ。雨雲はすっかり消え去っており、日が暮れた夏の夜空を色とりどりの火花が彩っている。
良かった、本当に良かった。わたしがやったことは、何も間違ってなんかなかった。これで、良かったんだ。
そしていつの間にか異常なくらい強く握りこんだわたしの拳が、プルプルと震えていた。
「……そろそろ良いかい?」
やがてわたしに声をかけてきたのは、あのオレンジ色の髪の毛を持つ、退魔師のお姉さんだった。
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