第15話深淵を覗く
「あ、あれえ? なんか思ったより大人びた雰囲気のレストランだなあ……」
「……予約したのは優香ちゃんだよね?」
店先で呆然と立ち尽くす優香に、燐火が呆れたような目を向ける。
繫華街の一角、大通りから少し逸れたところに、その店は存在した。
シックなインテリアに、落ち着いた色の灯りに照らされた店内。「パラディ」という名前のそこは、外観の洒落た雰囲気や客層などから、高級感が滲み出ていた。
「い、いや、写真で見た時はもう少し親しみやすいかんじに見えたんですよ」
「ここは女子高生には入るのにちょっと勇気がいる場所かもね。まあでも、行くよ」
「ええ!? 燐火先輩は気後れしないんですか?」
「私、美少女だから」
「また変な自信に溢れてる……」
燐火は、己の外見への自信がやたらと高かった。
「それに、今の優香ちゃんはとっても可愛い。自信を持つといい」
「そ、それはありがとうございます」
赤面しながら礼を言う優香。
燐火が店の扉を開ける。二人一緒に中に入ると、執事のような恰好をした店員が二人を迎え入れた。
「いらっしゃいませ、お客様」
「二名で予約していた光井です」
「光井様、お待ちしておりました。お席の方にご案内いたします」
慣れた様子で受け答えする燐火。
それを横から眺めていた優香は、燐火が光井という苗字を名乗ったことに、意味もなくドキドキしていた。まるで夫婦みたいだ、なんて浮ついた妄想を振り切って、彼女は店員についていく。
「ごゆっくりどうぞ」
二人が座ったのを見届けて、優雅にお辞儀をして去っていく店員。人の目がなくなって少しだけ緊張の解けた優香が、慌てたように燐火に話しかけた。
「り、燐火先輩。なんかすごいところ入っちゃいましたね。どうしましょう」
「どうも何も、食事を楽しめばいいだけ。肩に力入りっぱなしじゃせっかくの料理が楽しめないよ?」
優雅に水の入ったグラスを傾ける燐火。装いも相まって、ひどく様になっている。
「先輩は落ち着いてますね……以前も来たことが?」
「ないよ。こういうの私も初めて」
「な、なんでそんな落ち着いてるんですか!?」
「いや、急にこんなところに来たから結構動揺してるよ」
「とてもそうは見えないんですけど……」
燐火の座っている様子は堂々としている。とてもティーンの少女には見えない。周囲の目線を気にしてびくびくしている優香とは大違いだ。
「優香ちゃん、私の処世術を教えてあげる。落ち着いているふり、慣れているふりをしていると、周りが勝手にいいように勘違いしてくれる。これは戦いの場で皆を安心させる時も同じこと」
「へえ……」
優香にとって、燐火がそんなことを言うのは、意外だった。『魔の者共』と相対している時も全く恐れない様子から、怖いもの知らずなのだと思っていた。
優香は、なんだか今日一日だけで燐火がひどく身近な存在になったような気がしていた。
「じゃあ、先輩の苦手なことってなんですか?」
「うーん、団体行動?」
「それは……大変ですね」
並の戦乙女だったら致命的な欠点である。
「だいたい、皆私のことを怖がりすぎだと思う。もっと気軽に話しかけてくれたら、私も軽妙なジョークで場を和ませるのに」
「あっはは……たしかに先輩は対等に話す、っていうよりも憧れの存在として見られてますからね」
淵上高校において、天塚燐火の名前は尊敬の対象でもあるが、同時に恐れられるものでもある。
それは、本人の苛烈な戦い方から、怖い人に違いない、という風に思われていることが原因でもあった。
「お待たせいたしました」
トレーを持ってきた店員の声に、二人の会話は中断される。テーブルに並べられる料理の数々。皿の上に色とりどりに並べられたそれは、食べてしまうのがもったいないほどだった。
「うわあ、すごい……」
呆然とする優香に、燐火が呼びかける。
「じゃあ、食べよっか。いただきます」
「はい。いただきます」
それから二人は、時折料理の感想を言い合いながら、食事にいそしんだ。
「うーん、最後まで美味しかったですね!」
「うん。期待以上だった。優香ちゃんの店選びが良かったね」
デザートのケーキを摘まみながら、二人は、また雑談する雰囲気に戻っていた。空になった皿はすぐに片づけられたので、テーブルの上にはデザートと水だけだ。
「いやあ、それにしても、先輩をこういうことに誘うのってちょっと緊張しました」
「なんで?」
純粋に疑問だ、という顔で聞き返す燐火。
「いやだって、こういうことにあんまり興味なさそうでしたし……」
「まあ、興味が薄いのは確かだね。あんまり出かけないし」
そもそも燐火は淵上高校の最高戦力である以上、学校を離れることのできる日も少ない。それに、学校の敷地内にも店などは存在するが、そういったところに燐火が顔を出すことはほとんどない。
「でも、優香ちゃんと一緒なら悪くない、かな」
「……先輩は、平気で恥ずかしいセリフを言いますよね」
わずかに顔を逸らす優香。その頬は少し赤い。
「でも、興味がないわけじゃないなら、たまにはこういうのもいいんじゃないですか? 先輩だって女子高生なんですから、青春を謳歌してもバチは当たらないと思います」
トレーニングに明け暮れる燐火は、とても青春を謳歌しているようには見えない。優香は、そんな義姉が少しだけ心配だった。本当は無理をして、いつか限界が来てしまうのではないか、と。
優香の言葉を聞いて、燐火は薄く笑った。
それは、いつもの優しい笑みとは違う、彼女らしくない笑みだった。
「私には、それしかないから」
「……」
その言葉に、優香は次の言葉を紡ぐのを躊躇った。けれど、恐る恐る問いかける。
「どうしてそんなに戦うことに、強くなることに執着するんですか?」
過去、二週間ほどトレーニングを一緒にした優香には、燐火が生活のほとんどを戦いのために費やしているように見えた。
「楽しいからだよ」
薄い笑みを浮かべた燐火の目は、優香を見ていなかった。
「鍛錬して、強くなって、『魔の者共』を殺す。それが楽しいから」
「そんなに、『魔の者共』が憎いんですか?」
言いながら、きっとそれだけが理由ではないのだろう、と優香は直感していた。彼女の強さへの執着は、復讐とは少し違う気がした。
「憎いと言えば憎いよ。私の家族は、『魔の者共』に殺された被害者だからね」
それは、優香が初めて聞く燐火の過去だった。初めて彼女の内面、その深いところを覗き込んだ気がして、優香は唾を飲む。
「昔。父と母。それから姉は、『魔の者共』に殺された」
唐突に、燐火の雰囲気が変化する。彼女の激しい怒りを、優香は肌で感じ取った。表情はほとんど動かなかったが、纏う空気が明らかに変化したのだ。
何よりも目が、雄弁に語っていたのだ。瞳の奥にある、ごうごうと燃え盛る憎悪。鋭い視線は、殺気すら籠っているようだった。
燐火が初めて見せた表情に、優香は怯える。彼女が『魔の者共』を殺す時ですら見せない、恐ろしい顔だった。
「──でも一番憎いのは『魔の者共』じゃなくて私」
「え……?」
優香の疑問の声には答えず、燐火は言葉を続ける。
優香は、それ以上踏み込むことができなかった。
「だから私にここ以外の居場所なんてない。これ以外、ない」
燐火の言葉に偽りはなかった。男の自我に目覚めた後に、彼女は己が孤児である事を教えられた。だから、彼女の居場所は淵上高校にしか、戦いにしかなかった。
けれど、彼女の纏っていた凄みのある雰囲気は突如として霧散した。何か、大事なことを思い出したように、彼女は言葉を紡ぐ。
「──でも、私のお姉様はそんな私を受け入れてくれた」
戦乙女の義姉妹のことだろう。ああ、家族を亡くした彼女は信頼できる人を見つけられたのか、と優香は安心した。
それを語る燐火の笑みは、いつもの優しいものだった。──けれど、優香にはその笑みがどこか虚ろなものに見えた。
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