第15話 桃の夢・肆

***


「つまりこれは狐のご利益ってことですか?」


 一通り。順を追って話せていたか不安になりながらも、陽斗は静かに最後まで話を聞いて結論を出した。


「たぶん」


 確証はなかったが、それでもいままでのことをかえりみるとうまくいきすぎている気がする。

 もしこれで陽斗の気を悪くして家を出たいと言われたら、桃花には止めることが出来ない。

 無理矢理、丹生家の家庭を巻き込んでしまったのは、ひとえに桃花の我儘な願いだからだ。


「そうですか。じゃあ、今までのことは全部嘘になっちゃうんですかね。まさしく狐に化かされた――」


「それは、大丈夫にしてもらったから。って陽斗くんからしたら、迷惑な話だよね」


 ははは、と弱気な声が漏れた。

 次に発せられる陽斗の言葉が怖くて、下を向いて身体が強張る。


「迷惑、じゃないですよ。桃花さんと出会ってなければ、今みたいな生活は出来なかったし、母さんの苦労も少しは楽になる。葉一よういち父さんと一緒になれたのも僕的には喜ばしいと思っています」


 でも、と。


「桃花さんとは兄妹にはなりたくなかったです」

「…………っ」


 思いっきり刃物で刺されたような痛みを伴って、息が出来なくなってしまった。

 それでもそんな気持ちにさせてしまったことにたいして、


「そう、だよね。私なんか、と。――さすがに、怒ってるよね?」


 陽斗の返事が怖くて、今すぐにでもこの場を逃げ出したい衝動に駆られる。

 短い沈黙が流れ、顔を見ることも出来ずうつ向いていると、ゆっくりと動く気配がした。


「――わっ!」


 突如、大きな両手が桃花の頭を包み込んだかと思うと、わしゃわしゃと髪を乱れさせる。


「別に怒ってはいませんよ。いや、怒りと心配が半々ですかね。だからこれで手打ちにします」


「手打ちって、時代劇みたい」


 優しい声に安堵と多幸感がこみ上げてくる。


 妙におかしくて、乾いた笑いから、


「――好きになっちゃって、ごめんなさい」


 壊れたような声で、ようやく言いたかった言葉を吐き出せた。


 その瞬間、大きな手は頭から離れた。

 陽斗は返事をせず、気まずい空気が流れる。

 桃花はうつむいたまま、判決の時を待っている。

 今までの陽斗の態度からして、桃花のことはなにも思っていないのだろう。


 単に桃花に紳士的だったのは、家族であり彼の生来の優しさだったのだろう。

 それを勘違いしてはいけない。

 そう言い聞かせながらも、一縷の望みをかけてしまうのは、あまりにも都合がいい話だ。


「すみません。女の子に謝らせるのも泣かせるのも最低ですね。僕はただ、家族になってしまうとそれ以上の違った感情を育むのに難しくて」


 ああ、つまりその、と。


 珍しく陽斗の言葉は歯切れが悪い。


「僕は桃花さんの事、妹じゃなくてちゃんとした女性として接したいんです」


「……それって」


「あの日から、意識してたのは僕も同じです」


**


 陽斗の告白に、あの日渡してくれた桃の花を思い出す。

 薄紅色の世界が眼の前に広がる。


「桃花さん、顔真っ赤」


 まるではぐらかす様に陽斗がそっぽを向くが、耳まで赤いのは明らかだった。


「陽斗くんだって」


 それからどちらかともなく、含み笑いがこみ上げてきた。

 ひとしきり感情が落ち着くと、陽斗ははっきりとした口調で、


「好きですよ、桃花さん」


 男らしく接しられて、かなりの所ドギマギとしてしまう。


「あ、りがとう。うれしい……」


 それ以上どう答えていいものか、気の利いた台詞など思い浮かばず、唇を噛みしめていないと心が震える様な笑みがこぼれてしまう。


「うん。やっぱり謝られるより、そっちの方が嬉しいです」

「もう兄妹じゃない?」


 先ほどの切なさとは違う響きが胸に沁みる。今度は甘く痺れるような感覚だ。


「僕はそう思いたいですね」

「陽斗くん、なんかちょっと変わった……?」


 雰囲気が。今までも優しい振舞いであったがそれ以上に芯に勇ましさをおぼえる。

 桃花の問いに、陽斗が少しばかり眉根を寄せる。

 

「まぁ、いろいろとちょっとありまして」

「そう、だよね。――さっきからずっと気になってたんだけど、なんでそんな部屋着姿なの? おまけに胸のSOIYAって何?」


 落ち着いてくると陽斗の不自然さが際立ってくる。

 桃花と同じ学校帰りで制服姿だったハズなのに、陽斗からは石けんの匂いが漂ってくる始末だ。


「――ところで桃花さん、お腹減ってませんか?」

「滅茶苦茶わざとらしい話題切り替えだなぁ」


 そう思いながらもホッとした途端、ぐうぅ、と腹の虫が返事をする。


「乾さんが食事用意してくれてるみたいなので、ちょっと伝えに行ってきますね。それから飲み物も貰ってきます」

「うん、ありがと」


 なにからなにまで気遣ってくれて、違う意味で胸が苦しくなる。

 陽斗が部屋から出て行って階段を下りていく足音を聴きながら、こみ上げてくる歓喜の声を布団に押しつぶしたのだった。


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