ジョーラの募る想い


◆「6-2 幕間:退屈 (2) - 思慕」より


 エインヘリアルから帰ってきたジョーラは自分の屋敷の自室に入ると、力なくベッドに伏せった。


 そして大きなため息を一つ。


「退屈だよ、ダイチ……」


 アンニュイなジョーラの脳裏に浮かぶのは、最近出会ったばかりの黒髪の少年だった。

 平民の身なりだが言動は争いを好まぬ温厚な貴族のそれであり、未成年だが非常に落ち着いた性格をしていて、そして、素性が不明の少年でもある。顔立ちこそシルシェン人のものだが、シルシェン語を話すこともなければ、シルシェン人の勇猛さや異国情緒も欠片もない。


 金も惜しまぬほどあることから、どこかの名家の出であることは想像がつく。

 平民の身なりであることと、旅をしていること、自分の話をあまりしないこと、そして世間をあまり知らないことなどから、望まれて生まれてきた者ではなさそうだが。


 インという、防御魔法を三重に貼れるという、七星の魔導賢人ソーサレスであるルドン・ハイルナートに紹介したいくらいの明らかに妹ではない少女の存在も含め、ダイチ少年には不可解な点も多い。


 だが、ジョーラに強烈なインパクトを与え、そうした情報をどうでもよくさせているのが、彼が<七星の大剣>である自分よりも数段上手の武術の達人、しかも魔法も使える武術の達人であることだ。


 同族以外ではそうそう打破されない《陽炎ラベス》と《隠滅エラス》を駆使し、しかも補助魔法をかけた上での手合わせで傷一つ追わせることができない者。そのような人物は、ジョーラは45年の生涯で一度も見たことがない。

 その実力は七星たちはもちろん、師匠であり、先々代の槍闘士スティンガーであったマイヤードですら敵わないことをあっさりと納得できてしまったほどだ。


 昔の英傑たちでも果たして彼レベルの者がいたかどうか。所詮文献ではあるのだが……ジョーラは実際に手合わせをした身として、彼ら英傑たちよりも上手のように思えてしまっていた。

 実は魔人と戦っていたと言われる方がまだ納得できただろうが、彼はどこからどう見ても人族だった。体格もその辺の若い男と何一つ変わらない。


 いったいダイチの戦闘技術はどこからきているのか。彼は「自国から」としか教えてくれず、どこの国の出身であるかも教えてくれなかった……。


 壁に立てかけてある獅子の彫り物が入った豪華なパルチザンがジョーラの目に入る。

 「金獅子の槍」は七星の槍闘士を賜った時にもらった宝槍だ。装飾品なので、飾りばかりが凝っていて実用性はない。非常に重たく、盗むのも一苦労だろうということで、ジョーラは自室に置いている。


 自室に置くには別の理由もある。

 ジョーラはたまにこの金獅子の槍を手に持ってみる。ずっしりとくる重みが、ジョーラは快かった。ルートナデルの王室とオルフェを守る七星の一人としての、あるいはダークエルフの一族代表としての重みがそこにはあったから。驕りを嫌悪する、武人らしい儀式とも言える。


 だが、近頃ほど持とうと思わなかった日々もないかもしれない。


 この世は広い。などというある種呑気な感情を持つには、ジョーラは自身の腕っぷしに自負を持ち過ぎていた。

 驕りは捨てよ。マイヤードはよくその言葉を持ち出し、ジョーラもまた常にそれは意識している部分ではあるが、誇りの方は持たないことはできない。それはマイヤードを始めとした自身に武術や戦術やあるいは魔法を教えてくれた先達たちを蔑ろにするというものだ。


 だからジョーラはダイチに幾度となく手合わせはしても技の教えを請うことはできなかったのだが、かといって、教えてもらって物になったかどうかも怪しい。

 ハリィのように、人族に本来適性のない《魔力装》のコツを教えてもらうといった、0または1から2にするのならまだしも、ジョーラの技の数々は日々の研鑽の賜物であり、一つの極みに達しているものでもあるからだ。


(あたしの技は何かコツを教えてもらって劇的な変化が訪れるような代物ではない……。魔法を組み合わせたり、新たなスキルを駆使するなら話は別だが……。まさかダイチが禁術の類を使っていないことは誰の目にも明らかだ。あれは単純に基礎的な身体能力の圧倒的な差だ……)


「はぁ……」


 ジョーラは今度は艶っぽいため息をついた。


 そしてもう一つ、ジョーラがダイチの謎めいた素性をどうでもよくさせているのが、そんな彼をジョーラ自身が好いているということだ。


 あのような卓越した武術の腕を持ち、あれほどの若さにして、野心もなければ一切驕ったところがないというのはいささか不可解さは残るが……それが異性として、不思議な魅力を持つ男性としてジョーラには映った。年齢差や種族の壁というものはそれほど障害にはならないようだった。

 ダイチの温情はいつもとにかく親身だった。ジョーラが武人であることを忘れてしまうほどの。そして彼自身が、武術の達人であることすらを忘れさせてしまうほどの。


 野心を持たず、プライドを持たず、人に情けをかけてばかりいる男をジョーラはいくらでも見たことはあるが、彼らに特に惹かれたことはない。

 酒場で大の男どもと酒をかっくらい合う自分は、酒場に来ても静かにしてしまう彼らのような人々とは縁のない側、大きな運河を挟んで反対側に住んでいる人々だと思っていたくらいだ。


 だからダイチとのやり取りは反対側に住む住人として新鮮な気分になりもしたんだが、同様にジョーラはいつもどこかくすぐったくもあった。

 まるでどこかに隠れている幼い少女の自分を発見され、彼はそんな自分と話をしようとしているかのようにも感じたから。


 始めはそのよく分からない気分を侮辱にも思ってしまったが、ダイチが特に侮辱していないことはすぐにも分かった。あれが彼の“地”なのだ。


(ガルソンはもちろん、ハムラはちょっとあれだが……、メイホーに同行した部隊の奴らは気のいい奴らだ。気のいい奴らは気のいい奴とすぐに仲良くなる)


 実際、彼らとダイチは短期間でずいぶん仲良くなった。そうなると、ダイチもまた「気のいい奴ら」ということになるわけだが、ダイチは“そういうやり方でしか他人と接することができない”らしいのをジョーラは察した。つまり、できるだけ人を不愉快にさせたくないという気性の持ち主だ。

 それは個としては強いと言えるのかはジョーラは分からなかったが、七世王のように人々を結びつけるものでもあり、決して弱いものではない。だが、非常に脆いものでもある……。


 ジョーラはそのようなダイチと接するにあたり、外界を知らないため穢れを知らぬ、里のダークエルフの子供たちを彷彿とさせたことがある。

 あれほどの強さを持ちながら血を見るのが苦手というくらいなのだから、いっそダークエルフの子供たちよりも穢れを知らないかもしれない。


 また、穢れがないということで、彼は童貞なのだろうとジョーラはすぐに踏んだ。自分を女として見ていることもだ。


 ジョーラは寝転がりながら、ガルソンの武具屋の裏で自分に抱きつかれてドギマギしていたダイチを思い出して、“大人の少女”の笑みをこぼした。


 ジョーラだって45年生きているのだ。


 性行為の知識はあるし、女として意識されたことはいくらでもあった。だが、七星の名を出せばそんな感情はたちどころに引っ込み、敬服されるのが常だった。

 あとは卑しい算段を持った男や野心家の貴族たちだが、彼らのことをジョーラは男として意識したことはない。殴り飛ばすなり、蹴り飛ばすなりしたら一瞬で静かになるか謝るかする奴らを男として見ることはなかった。それは七星になる以前からだ。


 ジョーラはサイドボードに置いた、瓶立てに入った二本の空のエーテル瓶を目に入れた。ダイチが作った甘い夜露草の汁が入っていたものだ。

 もう体は完治した。アインハードが言っていたように調子もいい。だが、あの瓶は捨てるに捨てれなかった。さすがに中身は綺麗にしたが、……何かもらえばよかったなとジョーラは思う。


 ジョーラは抱きしめた時の華奢ではあるが、無駄な贅肉のない、それなりに引き締まったダイチの体を思い出した。

 それから、膝に乗っかった頭の重みや腰にしがみついてきた感触。そして。


 温厚な性格に似合わず表情の方は少々不愛想気味ではあるが、その一方では、安らかで、可愛らしくもあった寝顔も。


「早く王都に来いよな。でないと会いに行っちゃうぞ」


 ジョーラはそうつぶやき、やがて近頃よく味わっている、長年味わったことのないほどの幸せな眠りについた。

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