第28話

「マスター、追加の酒を寄越せ」

「お客さん昼からどんだけ飲むつもりですか……」


 『赤狼の爪』リーダーのアレスは昼間から酒場で飲んだくれていた。


 そばにパーティメンバーの姿はない。

 今日は休みだった。


 参謀役のクロードに押し切られてそういうことになったのだ。

 アレスは無視して森に向かおうとしたが、大地虎ランドタイガーとの戦いで愛剣がへし折れている以上はどうしようもなかった。

 新しい大剣が調達できるまでアレスは暇を持て余し、こうして酒場にやってきたというわけだ。



『おい、アレスのやつがいるぜ』

『こんな時間にヤケ酒とか……すっかり落ちぶれちまったな』

『最年少Aランク冒険者だなんて言われて調子に乗ってるからだ』



「……」


 同じ酒場から笑い声が上がる。それがアレスに対する嘲笑であることはすぐにわかった。

 アレスは無言で立ち上がり、その声の発生源へと向かう。


 そして、容赦なく叩きのめした。


「誰が落ちぶれたって? あ?」

「「「すいませんでしたぁああああああ!!」」」


 素手のアレスにボコボコにされて酒場から逃げ出していく冒険者たち。

 破壊された床やら机やらを見て、冒険者同士の喧嘩に慣れている酒場の店主はただ遠い目をした。


「くそったれ……あんな雑魚にまで馬鹿にされるなんて冗談じゃねえ……」


 ぶつぶつ言いながら席に戻ってきてアレスがまた酒を煽る。


 正直もうアレスには帰ってほしい店主だったが、アレスは他に行くところもないのだった。

 独断専行で『森のヌシ』に挑み、完膚なきまでに負けたことでパーティからもどこか呆れられているのがわかる。

 今は一人でいるしかなかった。


 グラスに映る自分の姿を見る。


 特徴的な赤い髪。

 それはアレスにとって『英雄』の象徴だ。


 アレスは貴族の生まれだ。だが、つまらない権力争いに嫌気が差して家を飛び出した。

 自分の立場にしがみつくような生き方はまっぴらだったのである。


 お伽噺に登場する大戦の英雄は髪が赤かった。

 大剣を振るえばどんな敵も打倒できた。

 アレスはそんな存在になりたくて、冒険者を志したのだ。


(……それが今じゃこのザマか)


 史上最短でAランク冒険者に上り詰めたまではよかった。


 けれど最近になってケチがついた。

 言うまでもなくカイ絡みだ。


 模擬戦での敗北。

 さらには、自分では歯が立たなかった『森のヌシ』から庇われただけでなく討伐まで先を越された。

 ただの『狩人』ごときにだ。


 今やアレスは上級職でありながら不遇職の『狩人』に負けた道化として、他の冒険者に馬鹿にされるようになってしまった。ヤケ酒くらいしたくなる。



「「はぁー……」」



 そこで。

 アレスとまったく同じタイミングで、隣から深いため息が聞こえてきた。


(……あん?)


 そこにいたのは白髪に片眼鏡をかけた老人だった。どうやら溜め息の主はこの老人らしい。


「……何だよてめえ。かぶせてくんじゃねえよ」

「はぁー? 何言っとるんじゃ小僧。儂が先に溜め息を吐いたんじゃ。かぶせてきたのはそっちじゃろ。最近の若いもんは自分中心で困るのう!」

「あ、ああ? おいそりゃ喧嘩売ってんのかジジイ!」


 いきなり煽られてアレスの表情が引きつる。

 しかし老人のほうは特に敵意はないらしくカウンターに突っ伏している。


「もう怒鳴る気力もないわい。なあ聞いてくれんか赤いの」

「誰が赤いのだブッ飛ばすぞ」

「儂、ずーっと楽しみにしてた届け物があったんじゃ」

「お前さては全然俺の話聞いてねえな?」


 アレスの突っ込みも無視して老人は勝手に語り出す。


「儂ちょっとした研究者でのう。待ち望んだ研究用の素体がようやく届くかと思って、待ちきれずにこの街まで取りにきたんじゃ。

 そしたら……あの運び屋どもっ、よりによって衛兵なんぞに捕まりおってぇええええ……!」

「もう何なんだよてめえは……」


 もはやアレスに愚痴を言っているのか何なのかわからない。

 が、それでも老人はそれなりに満足したようだった。


「はー、やっぱり愚痴は他人に聞かせると軽くなるのう。よし、小僧。今度は儂がお前さんの愚痴を聞いてやろうではないか。全然興味はないがの」

「ほんと殺すぞコラ」


 アレスは毒づきながらも、老人に促され、少しずつ内心を吐露した。


 仮にもパーティリーダーの立場にあるアレスだ。

 『赤狼の爪』のメンバーには少しでも弱気な姿を見せたくない。それなら見ず知らずの老人のほうが話しやすかった。


「うひゃひゃひゃひゃ! これは傑作じゃのう! 自分のこと強いでーすなんて思っとったらあっさり負かされたのか! かっこわるー!」

「よーしいい度胸だぶっ殺してやるクソジジイ!」


 その結果帰ってきたのは老人の大爆笑だったわけだが。


 青筋を立てるアレスの前でひとしきり笑った老人はとあるものを取り出した。


「よしよし。面白い話を聞かせてくれた礼にいいもんやろう」

「あ? 何だこりゃ……腕輪か?」


 老人がアレスに渡したのは腕輪だった。真ん中に大きな黒い宝玉が埋め込まれている。


「それを身につければ大いなる力を得られる――かもしれん」

「どういう意味だ?」

「そいつは装備者を選別する。素質のある人間しか効果を発揮できん」


 素質のある人間にしか使えない装飾品。

 胡散臭さを感じていたアレスだったが、その言葉に装着を決める。

 自分は天才だ。装備品ごときに選り好みされるほど落ちぶれてはいない。

 そんなプライドがアレスの体を動かした。


「……呪いでもかかってたらぶっ殺すからな」

「そんなもんかけとりゃせんよ」


 凄むアレスだったが、すぐに異変に気付く。


 腕輪から――より正確には黒い宝玉から力が流れ込んでくる。


「これは……」


 圧倒的な力の奔流。『神官』の扱う強化魔術とは比べ物にならない効力で自分の力が強化されているのがわかった。


「……ふむ。適応できたようじゃの」


 老人が呟く。

 その瞳には先ほどまでのふざけた様子は一切ない。

 まるで貴重な資料に目を走らせる賢人のようにアレスのことを観察している。


「は、ははははっ! すげえ! こりゃすげえぞ! すげえ力が溢れてくる!」

「お前さんよっぽど相性よかったんじゃのう」

「今更返せっつっても遅いぞジジイ! これは俺のもんだ!」

「ああ、言わんよ。好きに使えばいい」


 老人は惜しがるどころか、むしろ面白いものを見たようにそんなことを言う。


 アレスは腕輪の全能感に酔いしれながら酒場を後にした。


「ちょっ、お客さんお代がまだですよ!」


 奥から店主が勘定をと喚いたので、懐から財布ごと投げつけてやった。

 アレスはもう細かいことなんてどうでもよくなっていた。


 あいつを倒す。

 あいつを――カイを倒して自分の力を証明する。


 アレスの頭の中には、自分に屈辱を与えた『狩人』の青年の顔だけが浮かんでいた。


「おい、カイの居場所を知ってるか? 知ってたら吐け。とぼけたら殺す」


 アレスが向かったのは冒険者ギルドだ。

 目当ての人物がいるかもと思って足を運んだのだが、姿が見えない。適当なギルド職員を捕まえて尋ねると、怯えた顔で答えた。


「お、王都です。魔物学者に用があると聞きました」

「王都か……。チッ、面倒くせえな」


 王都はここから馬車で数日。今から追いかけても追いつけるかわからない。


 だが、それも今のアレスにはどうでもよかった。


 馬車で追いつけないなら、馬車より速く走って追跡すればいい。

 この腕輪の力があればそのくらい簡単にできるはずだ。


「待ってろよ、カイぃいいい……!」


 もはや『赤狼の爪』のメンバーのことなど頭になく、アレスはふらふらと街の出口へと向かう。

 その表情は飢えた獣のようだった。


(――今頃てめぇは何をしていやがるんだ?)


 標的の青年の顔を脳裏に浮かべて、アレスは心の中で問うた。





 同時刻のカイの様子。


「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」

「もう本当に近寄らないでください! ルーナが怯えているんです!」

「なぜだ!? いいじゃないか! ちょっと目玉をひとつ譲るくらい!」

「いいわけないですからね!?」


 がたがた怯えるルーナを庇いつつ、迫りくる茶髪の女性を必死に押しとどめる。


 ちなみにこの女性の頭部からは狼に近い耳が生えていたりするが今は気にしてはならない。エルフィはあわあわと慌てている。


「いいからそこをどいて『ルドラの民』の末裔を私に調べさせるんだーっ!」

「あなたはいい加減落ち着いてください!」


 白衣を着た茶髪の女性――魔物学者のカミラ・ルーシャに突破されまいと、カイはひたすら攻防を繰り広げていた。


 何でこんなことに。

 そんな当然の疑問を脳内に浮かべながら。

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