第8話


「儂は……もう死ぬ。あとのことは頼んだぞ、カイ、ロゼッタ……子供たちを、守ってやってくれ……」



 そう言って僕の育ての親は死んだ。


 病気だった。

 治らない病気ではなかったらしいけど、治療には金がかかる。


 孤児院を経営する育ての親は、自分の延命より子供たちを飢えさせないことを選んだ。



「ひっく……ぐすっ……」

「お爺ちゃん……」

「何で死んじゃったんだよぉ……これからどうすればいいんだよぉ……っ!」



 子供たちは泣いていた。育ての親が拾ってきた、まだ十歳にも満たない子供たちだ。

 全員、心細そうで、悲しそうな顔をしていた。


「カイ兄……これからは、私たちがしっかりしなくちゃいけないね」

「……そうだね」


 僕の次に年長の女の子がそんなことを言う。


 けれど彼女の表情だって、今すぐ泣き出しそうなほど歪んでいた。


 当然だろう。彼女だって十二歳だ。

 本当なら、親に守られていていいような年齢なのだ。



(――僕が彼女たちを守らないと。お爺さんの代わりに)



 当時の僕は十五歳。

 それでも、この孤児院の最年長だった。





 僕は猟師になった。



 孤児院にはとにかくお金がない。当然、店でものを買うような余裕はない。


 それまで街で雇われていた僕だけど、お爺さんが死んだことで収入が足りなくなった。


 子供たちの食べ物を確保するには自分で狩りに行くしかなかったのだ。


 狩猟用の弓矢は枝やツルで自作した。

 ナイフは知り合いの刃物屋の店主に頭を下げて格安で譲ってもらった。

 獲物を逃がさないように、手の皮がボロボロになるほど弓を撃つ練習をした。



『ピギュッ!?』

「……ごめんね」



 初めて狩ったのは野兎だった。


 狩りは仕留めて終わりではない。そこから血抜きや解体をしなくちゃならない。


「うぐっ……!」


 初めて獲物にナイフを刺した感触を、僕は一生忘れないだろう。


 濁流のようにあふれ出る鮮血。

 死んだ兎の虚ろな目。


「……どのくらい、肉が取れるかな。子供たちは、喜んでくれるかな……」


 いつしか僕は、自分の心を守るために、狩りの成果を口に出すのが癖になっていた。


 小心者の僕は、そうでもしないと猟師の仕事に耐えられなかったのだ。



「カイ兄ちゃん、あの木に的たくさん描いたからちょっと弓で狙ってみてよ!」

「的ってあの小さいやつ? まあいいけど……ほっ」

「すげーっ、全部当たってる! なあなあ、俺にもやらせてよ!」

「私もー!」「僕もやりたい!」



 孤児院の子供たちはだんだん明るさを取り戻していた。

 木に炭で描かれた的を矢で射抜くと、曲芸みたいだと喜んでくれたりした。



「ほら、みんなご飯ができましたよ」

「「「わーい!」」」「今日のメニューは!?」

「カイ兄の獲ってきてくれた鹿肉を使ったシチューです」

「すげー! ご馳走じゃん!」



 食事もそれなりにきちんと食べられるようになっていた。



 そんな感じで、お爺さんが亡くなった後も何とかうまく回っていたのだ。


 貧乏だったし、僕が獲物を獲れなかった日は食事が抜きになったりもしたけど、みんな笑顔で過ごせていた。



 そんな幸せな日々が破壊されたのは、しばらく経ってからだった。





「魔物が山に棲みついた……?」

「はい。街の人が言っていました。討伐に向かった衛兵たちは皆殺しにされたと……」


 ある日突然、僕が狩りをしていた山に魔物が棲みついた。


 凄まじく強力な魔物で、『職業』を授かった街の衛兵ですから歯が立たなかったらしい。


 そんな相手と出くわせば間違いなく殺されるだろう。


「……けど、僕は狩りに行かないと」

「やめてください!」


 普段は大人しい僕の次に年長の女の子が声を荒げた。

 驚く僕に、その女の子は泣きながら言った。


「カイ兄まで、死んでしまったらどうするんですか。子供たちはもう、耐えられません。私だって……」

「……ごめん」


 僕は謝った。

 彼女の言う通りだ。お爺さんがいない今、僕まで死ぬわけにはいかない。


(でも、このままじゃ――)


 気温が高いうちはいい。食べられる野草や果物なんていくらでも採取できる。


 けれど冬が来たら終わる。


 採取できる食べ物なんて存在しない。

 お腹を空かせた子供たちは、体の小さいほうから順に力尽きていくだろう。時間はない。


 さんざん迷って、僕は決めた。


「僕はこの街を出て冒険者になるよ」

「そんな、冒険者なんて危険な仕事じゃ――」

「けど、他に手段がない。狩りができない以上、僕たちは食べ物を買うためのお金を手に入れなきゃならないんだから」


 学のない僕では給金の高い仕事はできない。


 なら、危険を承知で冒険者になるしかない。


「手紙をたくさん書くし、いつかちゃんと帰ってくる。だから、それまでここで待っていてほしい」

「……わかりました。必ず戻ってきてください」


 こうして僕は冒険者になることを選んだ。


 その先に地獄が待ち受けていることも知らずに。





「話が違います! 仕事を手伝えば分け前をくれるんじゃなかったんですか!?」

「はっ、『狩人』との約束なんが守るかよ! このハズレ職が!」

「ぐぁっ!?」

「『狩人』なんざ、荷物持ちをさせてもらえただけで感謝してればいいんだよ!」



 他の冒険者から、『狩人』の僕はゴミ同然に扱われた。

 不遇職で、『魔術師の劣化』だからだ。



 冒険者の職業判定で、僕には『狩人』以外の選択肢がなかった。



 判定には今までの人生経験が反映される。

 僕の場合は、猟師として磨いた弓の技術。


 つまり、孤児院の子供たちのために必死に狩りを行っていたことが僕の可能性を奪ったのだ。

 最悪の皮肉だった。


 それでも毎月死ぬ思いで魔物と戦って金を稼いだ。


 金額が足りなければ、自分の食事を抜いたり野宿したりして仕送りを続けた。


 アレスたちのパーティに加わってからは収入は少し増えたけど、扱いは最悪だった。


 一度のミスで切り捨てられる。

 そんな緊張感の中、僕は必死に戦い続けた。



 つらい。

 苦しい。

 もうやめてしまいたい。



 そんなことが頭をぐるぐる回り、涙が零れそうになる夜もあった。

 そのたびに孤児院の子供たちを思い出して踏みとどまった。


 そんな日々をずっと続けていた。





 目が覚める。


「朝か……」


 何だかひどい夢を見てしまった気がする。

 僕がベッドの上でぼんやりしていると、ふと寝息が聞こえてくる。


「すう……むにゃ……」


 毛布にくるまり横向きになって寝ているエルフィだ。

 こっちに顔をこっちに前を向けているため、あどけなく、穏やかな寝顔がばっちり見える。


(そうか、僕は『ラルグリスの弓』の担い手になって……)


 夢のせいで混濁していた頭の中を整理する。


 昨日色々あり過ぎて疲れていたせいで、妙な夢を見ていたのかもしれない。


 エルフィの寝顔をぼんやり眺める。


「すぴー……」


 熟睡だ。僕のこと信頼しすぎじゃない?


 まったく、僕が並の男だったらエルフィのベッドに突撃して添い寝を試みていたことだろう。

 少しは警戒してほしい。


「……」


 今日までにあったことを思い出す。


 孤児院の院長であるお爺さんが死んで、猟師になって、山に魔物が棲みついて狩りができなくなって。


 冒険者になって大変な思いをして――今は、神器の担い手としてエルフィと過ごしている。



 僕にはお金が必要だ。

 孤児院の子供たちのために。



 けれど少しくらいは、この穏やかな時間を受け入れても許してもらえるだろうか。


 僕はそんなことを考えながら、エルフィが起きるまでぼんやりその寝顔を眺めるのだった。

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