別れ


 ギルドの医務室のベッドの上で、ミミクルは目を覚ました。


「あ、ようやく目を覚ましたっ!ミミクル、まったく心配させないでよッ!!!」


 アーサーにふいに抱き着かれ、ミミクルは生きている人間、その暖かさを感じた。さっきまで凍えていたはずの身体は別に何ともないが、ミミクルは心の奥底にその寒さのかけらが残っているのに気づく。それがアーサーの熱で溶けていき、ミミクルはようやく自分が生者の世界、つまりは自分の本来いるべき場所に帰ってきたことに気付いた。


 呪いベゼルを食べ、死の淵をさまよい、死神に呼び出されあの世に行っていたミミクルはその数奇なる旅路をついに終え、ようやく本来の居場所ギルドへと帰りついた。


「アーサーさん、泣いてます?」

「泣いてないわ、別に……全然、まったく、これっぽっちも泣いてないわ。ミミクルが本当に死んじゃうかと思って、泣いてたりなんかしてないわ。どのくらい泣いてないかと言うと、砂漠みたいに渇いて……とにかく、私は泣いたりはしないの。


 ――だって、私はあの時、そう誓ったんだから……」


 言葉とは裏腹に涙を流しているアーサーさんの姿を、ミミクルは確かにその目に刻んだ。その涙の一滴ひとしずくを宝石のように丁寧に、記憶という名の宝箱の奥底にしまいこんだ。


「危うく一文無しでギルドからほおり出されるところだったわ。でも、ミミクルが生き返ったってことは、私は賭けに勝ったのよ。ついに私も大金持ちになれるわっ……あっ、ギルマス、お疲れ様です……いえ、違うんです。違いますよ、誤解しないでください……今のは別に、ミミクルの命を賭けの対象にしたってわけじゃ……私だって本気で心配してたんです、本当ですって……だって、ミミクルは私にとって大切な……」


 ミミクルが所属するギルドのギルマス、ボードワール・クレマシオンが病室に入ってきて、アーサーの背後で怒りの気配をまとわせ、アーサーが急に焦りだし、ミミクルはくすりと笑った。


「もういい、アーサー。ようやく目を覚ましたな、ミミクル」

「お疲れ様です、ギルマス」

「その台詞は俺が言うべきだ、ミミック。本当にお疲れ様だった。

 そして、本当にすまない。

 お前が死んだら、お前をたきつけた俺の責任だからな。責任をとってギルドマスターを辞めようと思っていたんだが……」


 これはもういらないな、そう言ってギルマスは一封の封筒を破り捨てた。


「体調はどうだ?医者の話では……と、いっても人間の医者の話だが……ただのヒドい食あたりだから、しばらく安静にしておけば大丈夫という話だったんだが……」


 ミミクルはそう言われて、お腹をさすった。もう痛みはすっかり消えて、すっかり元通りだ。


「もう大丈夫みたいです……なんとか、帰って来れました……」

「……帰った?まるで、冥界から帰還したみたいな言い方だな」

「まぁ、そんなところです……」


 ミミクルが頬をかいて誤魔化していると、病室の扉に遠慮がちに体を半分だけ出しているチャミルの姿を見つける。


「チャミルさんッ!」

「ミミクル、ようやく起きたか。遅刻だぞ、もう食堂の営業時間は始まってるんだ」

「……すみません」

「……ミミクル、オレはもう行く。食堂が忙しいからな……お前がいないと、誰が注文を取るんだ?だから、早く元気になって……元気になってくれ……ぐすんっ」

「はいッ、また元気になったら、働かせてくださいっ」


 チャミルがコック帽で泣き顔を覆い隠そうとしているが、上手くいっていない。言葉少なく、それだけを言って背中を見せた彼女の横を一つの影が、勢いよく通り過ぎた。


「ミミック娘、ようやく起きたんだな……よかった」

「ランスロットさんっ、生きてたんですねッ!」


 ミミクルは呪いベゼルにきっと一番に殺されるであろうラインハルト呪いの持ち主の無二の親友の無事な姿を見て、安堵のため息を漏らした。


「いや、本当によかった。お前が眠っている間、俺はずっと悲しかった。もし、ラインハルトと俺は助かったのに、助けてもらったお前だけが死んだらどうしようと、そんなことをずっと考えていた。

 俺はずっと後悔してた。

 お前を守ると言ったのに、守れなかった自分の弱さを……」

「ランスロットさん……でも、私はちゃんと生きてます」

「そうだな……俺は反省したぞ。俺はもっと強くなる。

 もっと強くなって、お前やラインハルトだけじゃなくてギルドのみんなを守れるようになってみせる」

「ランスロットっ、おまえ、よく言ったッ!どうだ、俺の指導を受けないか……お前には天性の魔法の才能だけじゃない、それ以上の何か素晴らしい素質を持っている。昔からそう思ってたんだ」

「おっ、俺がギルマスの弟子に……よろしくお願いしますっ、ギルマスッ!」


 ギルマスが目頭を押さえ、ランスロットが勢いよく頭を下げ、二人はがっちりと肩を組んで病室を出ていった。入れかわりに重装備の女騎士が金属音をカチャカチャと鳴らしながら入ってくる。


「ミミック娘、よかった。目を覚ましたんだな」

「ミラベルさん、心配かけてすみません」

「私はあの時、最後になるかもしれないと縁起でもないことを言ってしまったから、その言葉がずっと胸の奥に引っかかってたんだ。もしお前がこのまま目を覚まさなかったら、私は……」

「ミミクル、ミゼットはずっと病室の廊下をガチャガチャ音を立てて行ったり来たりしててね、うるさいから向こうに行っててって私が頼んだら、涙目で抗議して……」

「うるさいぞ、アーサー。誇り高い騎士がそんなことをするわけないだろッ」


 ミラベルがアーサーにからかわれる、そんな慣れ親しんだ光景が妙に懐かしく思えた。しばらく話をしてミラベルが席を立つと、


「ミミクル、私、水を換えて来るわね……」


 どうやらミミクルの看病をしてくれていたらしいアーサーも一緒に席を立って、病室にひとりっきりでミミクルは取り残された。さっきまでの騒がしさとは真逆の静けさ。いつもなら、こんなときにミミクルは寂しさを感じただろう。


 でも、今日はそんな風には思わなかった。


 それは何故だろうと、自分の中にあるはずの理由を探っていると、ミミクルがいる病室に静かに入ってきた一人の男。ローブのフードを目深にかぶっていても、たとえ、彼と後ろ姿がそっくりの親友がこのギルドにもう一人いたとしても、ミミクルにはそれが誰だかすぐにわかった。


「ラインハルトさん」

「やぁ、ミミクル……」


 ラインハルトはミミクルのベッドの隣の椅子に腰かけた。腰かけた後も、その顔に覆いかぶせた頭巾フードを外すことはなかった。


「キミにあわす顔がないよ、ミミック娘ちゃん……いや、ミミクルさん……」

「ラインハルトさん、私は……」

「俺は旅に出ることに決めたよ。一度、故郷に帰る。帰って、俺を呪った呪い師のことを調べようと思う……違うんだ、復讐の為じゃない。俺以外にも似たような苦しみを抱えている人がこの世界にはいるかもしれない。その人のために、俺は、俺を苦しめた呪いの解明しようと思ってる」


 ミミクルは言葉をはさむすきを見つけられなかった。だが、それがあったとしても黙って聞いていただろう。他人の決意に、その尊重すべき決断に水を差すつもりはミミクルにはない。


「旅から帰ってきたら、その時はじめて、俺は君に本当に『ありがとう』って言える。それまで、待っててくれないかな?……なんて、わがままばっかり言ってるね、俺……」


 ミミクルはベッドの上で顔を伏せた。言葉が見つからない。それでも、今までの少ない経験から、言葉それをなんとかひねり出した。


「待ってます。いつまでも、待ってます」


 そんな二人のいる病室に開いた窓から風が吹き込んた。風がミミクルの金髪をそよがせる。ラインハルトがそんな彼女の顔を驚いたように、見つめた。言葉にして褒めたりはしなかったが、いつのまにか大人びたミミクルの様子にラインハルトはつかの間、見惚れていた。


 ミミクルもまた、風が奪い去ったフードの奥の、爽やかな晴れ空と同じブルーの髪を持つ魔法使いに同じように見惚れている。


「あっ!ラインハルト、いたっ!!!」

「げっ!?」


 アーサーが病室の扉を勢い良く開け、ラインハルトが飛び上がる。


「おっと、見つかっちゃったみたいだ……じゃあね、ミミクル。また会う日まで……その待ち遠しい時まで……」

「待ちなさい、ラインハルト。私をだました慰謝料、あなたを救ったアイデア料、ミミクルちゃんの治療費とそのつぐない、そしてそのとってもスゴい働きにふさわしい対価を――あわせて、金貨1億枚っ!さぁっ、今払いなさいッ!!すぐに払いなさーい!!!」


 アーサーさんは逃げ出したラインハルトの後を追って、病室から飛び出していった。


 もしかしたら、アーサーに見つからないようにラインハルトはフードを深く被っていたのかもしれない。そんなことを考えていると、アーサーが病室に再び顔を出した。顔だけしか見せていないのは、まだ、その体の半分でラインハルトを追いかけているからだろう。


「ねぇ、ミミクル。これ、なんだと思う?」

 アーサーが手に持った鉢植えには小さな芽が生えている。

「ギルマスから頑張ったミミクルにプレゼントだって……これ、桃の苗木よ……やったわね、ミミクル。これを使って、私たち、きっと大儲け出来るわっ!」


 それだけを言い残して、苗木を病室の床に置きざりにして、アーサーはラインハルトを追いかけに戻った。


 床に置かれたかわいらしい苗木を見つめ、ミミクルはさっきアーサーが言っていたことを思い出す。


「これを使って、私たち、きっと大儲け出来るわっ!」


 嫌な予感しかしない、そんな言葉をミミクルは飲み込んだ。


 


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