探偵事務所のドアを開けたら、そこには可愛い柴犬がいました。

@torao00

あなたが見つけてくれた

第1話

「恐らく、弟さんはもう……」


 そう警察に言われてから、半年もの年月が過ぎた。

 忘れもしない、あの雨の日。

 珍しく弟と喧嘩をしてしまって。

 喧嘩なんて滅多にしないもんだからお互いに謝り方がわからなくって。

 重苦しい沈黙の末、頭を冷やしてくると言って家を出て行ったきり弟は戻ってこなかった。

 何度悔やんでも自分を責めても神に祈っても、未だに彼の消息は不明なまま。

 それでもまだ、弟は絶対に帰ってくると信じることをやめられない。

 今日こそなんてことのない顔で玄関を開けて帰ってきて、「ただいま」って、笑ってくれるって……心の底から信じている。

 そう信じていないと、どうにかなってしまいそうだから。


あきら……どこにいるんだよ……」


 警察はもう当てにならない。

 自分にとってはたった一人の血を分けた弟だが、警察にとっては幾人もいる行方不明者のうちの一人でしかなく……弟の捜査は早々に打ち切られてしまった。

 彼が行方不明になった直後はテレビで報道されたりもしたけれど、もうすっかり世間は消息不明の男子高校生よりも最近人気を博し始めたアイドルユニットばかりに気を取られている。

 彼を探している人間がいるという証明は、陽を浴びて茶色く変色してしまった"探しています"と書かれた紙しか残っていない。

 時間が進まない紙面の中で、懐っこい笑顔を浮かべピースサインをしている彼が恋しい。

 罪悪感やら寂しさやら焦燥感やらがじゅくじゅくと心臓の奥で燻って、鼻の奥がつんとする。


「……探さなきゃ、」


 そう零した瞬間、視界がじんわりと滲んだ。

 大の大人が往来で泣きながら歩いているという事実を必死に隠すため、慌てて目元を拭い、下を向いたまま足早に歩を進める。

 時折溢れた涙が革靴にシミを作った。

 それから、一体どれくらい歩いただろう。

 退勤後、いつも通り弟を探し始めた時にはまだ夕陽が出ていたのに、赤かった空の端はすっかり燃え尽きていて紺色の灰の中に星がきらきらと輝き始めている。

 夜のひんやりとした風に乗って知らない匂いが頬を撫でた。

 はっとして顔をあげると、目の前に広がっているのは見慣れない景色。

 慌てて来た道を振り返るもやっぱり知らない光景が広がっていた。

 自分が今どこにいるのかわからない……その事実に気づくと同時に顔から血の気が引いていく。

 木造の家ばかりが並んだ少し古臭いその街並みにはこれっぽっちも見覚えがない。

 まるで昭和を思い出させるような雰囲気にタイムスリップでもしてしまったんじゃないかなんてぼんやり考えながら、来た道を振り返った。


「あ……」


 しかし、目の前に広がっているのは似たような十字路。

 下を向きながら夢中で歩いていたもんだから、自分がどうやってここまで来たのかさえ曖昧だ。

 もう酒も煙草も嗜めるようになって数年経つ年齢だというのに、まさか迷子になるだなんて。

 どうしていいかわからないまま呆然と立ち尽くしているとふとポケットの中に入っているスマホの存在を思い出す。

 つい昔ながらの街並みに釣られてしまっていたが今の時代にはこれがあるじゃないか。

 少し震える指先でスマホを起動し、地図アプリを開く。

 ……が、待てど暮せどアプリは読み込み中のまま動かない。


「な、なんで……?」


 思わず声に出してしまった途端、アプリには"インターネットに接続されていません"と表示されそのまま動かなくなってしまった。

 その言葉に弾かれるようにホーム画面に戻ると、確かにいつもならアンテナの絵文字のようなものが表示されている部分には無情にも"圏外"の文字がくっきりと浮かんでいる。

 なんてこった。

 とはいえこのままここで突っ立っているわけにもいかないし……こうなったら最終手段だ。

 近隣住民に道を聞こう。

 ここまできたら迷子が恥ずかしいとか言っている場合じゃない。

 ようやっとそう決心して、さてどの家を訪ねようかとぐるりと周囲を見渡したその瞬間、ぞくりとした何かが背中を這い上がってきた。

 ついさっきまではあまりにノスタルジーな街並みにばかり気を取られていたが……もっと不自然な点がある。

 今の時刻は、時計が正しく動いているとしたら夕方七時頃。

 例えば帰宅中のサラリーマンとか、通学路を歩く学生とか、買い物帰りの主婦とか、そういう人たちが歩いていてもおかしくないはず。

 それなのに、誰もいない。

 左右前後、どこを見渡しても人の気配すら感じられない。

 その違和感が喉の奥にすとんと落ちた瞬間、指先が震えだすのがわかった。

 おかしい。

 この場所は何かがおかしい……!

 耳の奥で心臓の音が大きくなっていくのを聞きながら、ぎゅうと、もはや半導体が入っているだけの板になってしまったスマホを握りしめるのだった。

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