009
ある日の休日、午後。
俺はリハビリも兼ねて街に出ていた。
ただでさえ激しい運動を禁止されている身だというのに休日に家でゴロゴロしていたら筋力が落ちるどころじゃなくなりそうで、じっとしていられなかったのだ。
折角街に出てきたのだから何かしようかとも思ったが、特にやりたいことがない。
映画は見たいものがないし、一人でカラオケ行く度胸もないし、ファッションは正直あんまり興味ないし……うむ、やることがない。
大体街に来る時は縁が一緒にいるから行き先はいつも彼女任せだったし。
とりあえず本屋にでも行ってみるかと顔をあげると、目の前をすっかり見慣れた顔が通り過ぎていった。
「えっ……暁さん?!」
思わず声をあげてしまうと彼女はくるりと振り向く。
「神埼くん?」
休日に街でたまたま出会えるなんて運が良すぎるのでは?!
ロマンスの神様、この人でしょうか?!
ていうか……あ!
私服だ!
え、待って私服だ?!
というかメガネかけてる?!
彼女の服装を学校の制服と、初対面の頃の病衣しか知らない俺にとって彼女のラフな私服姿はあまりにも刺激が強くて眩しすぎる。
大きめサイズのトレーナーにハーフパンツ、スニーカー、それに黒縁メガネ……ほんわかとした彼女のイメージとはギャップのあるカジュアルスタイルに心臓がぎゅんと音を立てた。
生足……良すぎる……。
「神埼くんもお買い物?」
彼女にそう問いかけられて意識が現実に戻ってきた。
あぶねえ、暁さんの私服姿が眼福過ぎて昇天するとこだった。
「あ、えと、リハビリ代わりに歩いてたとこなんだ」
「そうなの」
そう言う彼女の手元にはアパレルショップのものと思しきショッパーが握られている。
よし、こうして街で出会えたのはチャンスだ!
気の利いた感じでさりげなくデートに誘うぞ、ファイト、俺!
「あのさ、暁さん。も、ももも、もし良かったら一緒にカフェでも……」
と、どもりながらめちゃくちゃ格好悪くデートに誘おうとした俺の腕を彼女がぐいと引く。
驚いたのも束の間、ビルの間にある路地裏に押し込まれた。
ばさり、と彼女が持っていたショッパーが地面に落ちる。
「え、な、なに……っ」
「しっ。静かに」
う、うおおおお?!
近い近い近い!
近いっていうかもうこれ密着しとる!
彼女と後ろの壁とに挟まれるようにされて心臓がばくばくする。
このまま自分の胸元に頬を寄せる暁さんを見ていたらなんかもう色々大変なことになりそうなので思わずふいと視線をそらしたが……そこに居た"なにか"に呼吸が止まった。
往来、俺と彼女が居た場所に、"なにか"が立っている。
人より数倍も大きな、黒い影のような、靄のような……男か女かもわからないそのシルエットはかくかくと不自然に揺れながら周囲を見渡して何かを探しているようだった。
「あ、れは」
思わず零すと、暁さんはこちらを見上げて眉をひそめる。
「やっぱり、見えてるんだね」
「え……?」
「今は話は後。あれが居なくなるまでちょっとだけ我慢して」
ひとまず彼女の指示通り、身を隠すようにして息をひそめていると"なにか"は揺れながらその場に少しの間留まり……やがて、人混みの中に消えていった。
それを確認したらしい暁さんは、ふう、と小さく息を吐いて、俺から離れていく。
もうちょっとだけあのままで居たかったなあ。
「ごめんね。暑かったでしょう?」
そんなことないよ、大丈夫。
「いえっ! むしろありがとうございました!」
「……え?」
「間違えた! ごめん!」
「う、うん……?」
やべ、本音と建前があべこべに。
「そ、それでえっと、さっきのあれは……もしかして、前にも言っていた妖怪とか怪異とか、そういうやつ……?」
慌てて誤魔化すと彼女は不思議そうな顔をしつつも頷いた。
地面に落ちたショッパーを拾い上げ、砂埃を払いながらこちらを見上げる。
「怪異を知った人間は、怪異に遭いやすくなる。妖怪たちは自分の存在をより強固にしたいから」
「存在をより強固に……?」
「怪異、妖怪……そういう類は、人からの信仰で生まれるの。そもそも妖怪の起源は、説明できない事象を人ならざるものの仕業かもしれないと人間が思い始めたのがきっかけ。……つまり"こういう名前のこういうことをする妖怪がいる"って強く信じられるほど、広く世間に知られているほど、彼らの存在感は増していくの。そしてその存在感は強さに直結する」
「有名な妖怪ほど強い、ってことか」
「そう。同時に、その存在感は妖怪たちの命綱でもあるの。信仰を失った妖怪は消え去ってしまうから」
「……だから、必死になって人を襲うのか?」
話しながら彼女と共に薄暗い路地を出た。
妙に陽気な日差しが、先程見た景色と相まって少し不気味に感じる。
「厳密にはちょっと違う。妖怪には名前と一緒に決められた役割があって、その役割をこなすためだけに存在しているの。口裂け女が自分は綺麗か尋ねる、花子さんがトイレに出る、といった感じにね。口裂け女が学校のトイレに出たらそれはもはや口裂け女じゃないし花子さんが自分は綺麗か尋ねたらそれはもう花子さんじゃない。そもそも知名度が命の妖怪にとって噂と違うことをするメリットがないのよ。頑張って驚かしたのに別の妖怪だと思われたら困るでしょう?」
「確かに、学校のトイレに妖怪が出たーって言われてもそれが口裂け女だとは思わなそうだもんな」
休日だからか街は人混みで溢れかえっていて、隣を歩く彼女のことすら見失ってしまいそうだ。
手を繋ぎたいけど……嫌がられるかな。
「あれ? でもそうなると、この間、こっくりさんで呼び出されたあの少女は……? あれは確か、幽霊って呼んでた、よな?」
「ええ。あれは幽霊だった。前にも言ったけれどこっくりさんは降霊術だからね。幽霊を呼ぶ儀式なの」
うぐ。
ちょっと混乱してきた。
「ええと……そもそも、妖怪と幽霊って何が違うんでしょうか……」
混乱しすぎてつい敬語になってしまった。
「ざっくり言ってしまうと、妖怪は不思議な現象が元で生まれる。幽霊は亡くなった人がなるもの。それに幽霊は決められた役割も名前もない。それが違いね」
「なるほど……。そういえば暁さん、あの子に"これ以上殺したら怪異になってしまう"って言ってたよな。あれはどういう意味なんだ?」
「あの幽霊が起こした事件によって、"これは人ならざるものの仕業なんじゃ"なんて噂が広まったらその時点でそれは怪異になってしまうの。今回は元凶がこっくりさんだったわけだし、殺されてしまったあの子達がこっくりさんをしたって知っている子も少なからずいたはず。"こっくりさんをしたことで殺された"なんて噂が流れてしまったら最悪ね。あの子は"こっくりさんをする生徒が居たら現れて殺す"という役割を得てしまっていた」
なるほど。
役割と名前を得ると妖怪になるってことだったもんな。
あれ? でも……。
「そうなると"こっくりさん"の知名度が上がるだけなんじゃないのか?」
「言ったでしょう? こっくりさんは降霊術。人ならざるものを呼び出すための儀式ってだけであって、怪異じゃない」
「そうか……じゃああのまま放っておいたら、あの子が"こっくりさん"って名前の怪異になってしまったかもしれないってことか」
「そういうこと」
ちょっとややこしいけど、大方理解できたぞ。
「そういえばこの間、暁さんはどうやってあの少女を消したんだ? 幽霊の退治方法ってあるのか? 塩ばら撒くとか……?」
お相撲さんみたいに。
そういうと彼女は肩を震わせて可笑しそうに笑った。
「ふふ、塩って」
「え。だ、だって幽霊に対抗するっていったら塩だろ?」
「そうね。お塩をお清めとか幽霊への対抗に使うことはあるけれど、私がしたのはそんなことじゃない」
「じゃあどうやって……?」
少し前を歩いていた暁さんがぴたりと足を止める。
なにかと思っていると、ショーウインドウに飾られている洋服を見ているようだった。
女の子らしい一面が垣間見えて少し心臓が跳ねる。
「さっき、神崎くんは有名な妖怪ほど強いって納得したでしょう?」
「……もしかして、妖怪とか幽霊同士で争うことがあるのか……?」
ショーウインドウから目線を外し、こちらを向いた彼女は薄っすらと微笑んだ。
「縄張り争い、古くからの因縁、はたまた食物連鎖の名残。戦う理由は様々あるけれど、そうして争って……ダメージを受けると、そのダメージが回復するまでしばらく動けなくなるの。ダメージによっては妖力も弱まるから人からは視認されなくなる。その動けなくなる、がどのくらいの期間かはその時々と妖怪の存在感にも寄るけど。とりあえず私はあの場であの子と争って、勝ったっていうだけ」
妖怪界隈にも色々あるんだなぁ……。
「神崎くん」
くるり、と彼女が振り向く。
パーカーの紐がふわりと動いた。
「だらだらと話してしまったけれど、私が言いたいことは一つだけ。私に近付かないで。……何度も警告したわよね」
その言葉と共に彼女が人混みにまぎれていなくなってしまいそうで、俺は思わず彼女に一歩近付く。
だが、彼女は同じだけ後ずさった。
「怪異を知った人間は怪異に遭いやすくなる。そのうえ、私の半分は怪異で出来ている……私は普通の人とは違って狙われやすい要因を二つ持っているの。だから、近付かないでって言ったのよ」
暁さんと接していることで怪異に巻き込まれる可能性がぐんとあがる。
それは理解できた。
でも、納得はできない。
「それでも俺は暁さんと距離を取るつもりはないよ」
「どうして? また危険な目に遭うかもしれないのに?」
「暁さんは、俺がいようといまいと危険な目に遭うんだろ? 逆に俺も暁さんがいようといまいと危険な目に遭う可能性がある。……そういうことなら二人で居たほうがまだなんとかなる気がしないか? ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうだろ」
「一人足りないけど」
「そこはまあ、なんとか二人でカバーするって感じで」
彼女は二度も俺のことを救ってくれたんだ。
今度は俺が守る番……とまで言えるかはわからないけど、せめてなにか力になりたい。
怪異という存在について共有しているからこそできることがあるはずだ。
「やっぱり変な人」
そう言う彼女の表情はちょっとだけ嬉しそうだった。
「そういえば、神崎くん」
「ん?」
「会った時、なにか言いかけてなかった? カフェがどうとか」
そうだった。
声を掛けた当初の目的はせっかく出会った彼女とデートをするためだったんだ。
なんか話弾んだし、このまま言っちゃえ!
「そうそう。もし良かったらお茶でもしないかって誘おうと思ったんけど」
「そうだったの。……せっかくのお誘いだけど、ごめんなさい。今日はもう疲れたから家に帰ろうと思ってたとこなの。もうすぐ日暮れだから髪の色が変わってしまうし」
彼女の言葉にふいと空を見上げると、確かに空はいつの間にか鮮やかな夕焼け色に染まっていた。
随分長い間話し込んでしまったらしい。
「そっか。わかったよ、急にごめん」
「いいえ。お誘いはとっても嬉しかった。ありがとう」
俺の言葉に彼女はふるふると首を振って、じゃあ、と言いながら人混みの中に紛れていく。
なんとなく俺はその背が見えなくなるまで人混みを眺め……数分後にやっと、家路につくのだった。
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