第97話.副官

さらに引き上げぎわに、いくつかの陣地に攻撃を加えた。歩兵の障害となる機関銃を排除するためだ。混乱を極めた敵兵が、まるで蜂の巣をつついたかのように溢れて出た。襲撃者を探しているのだろう。

動きが予想より早く多い、もう少し右往左往するものかと思ったが。この様子では、早くこの場を離れなければ発見されるのも時間の問題だ。


「吾妻!私は連絡が回る前にあと二つ壊していく。中将閣下にこの地図を届けてくれ、敵陣地の場所と装備の規模を記録してある」

「何を考えている!引き上げるぞ、すぐに追っ手が来る」

「いや、私はもう少し粘る。ぎりぎりまで打撃を与えたのちに、あの山中に潜伏するつもりだ。折角食いついたんだ、やれるだけ掻き回してやる」

「しかし……!」

「案ずるな。明後日、この場所に十五時で落ち合おう」


そう言って、地図上のある点に印を付けた。そこが明後日の合流地点となる。


「山なら任せろ」


ウナが言った。

そういうことだ、私とウナ二人の方が動きやすい。山中に潜む我々二人のために人員を割いて山狩りをするならそれで良い。それだけ人員を割くという事だからな。

無視してくれるなら、もっと好都合だ。弾の数だけ死人が出ることになる。

吾妻が丸刈りの頭を掻きながら言う。


「こんな子供より足手まといになるとはなぁ」

「適正の問題だ。それにウナは子供じゃないだろう?」

「そうだぞ!」

「そうだったな二等卒。穂高中尉を頼むぞ」


にっと歯を見せて笑った後に、地図入れを持って吾妻は引き上げて行った。切り替えが早い、優秀だな。あれなら無事に帰還できるだろう。


「よし、もう一仕事だ。行くぞ」

「おう!」



……



ある陣地に露出してあった機関銃を一つ撃ち抜いた。

800メートルは離れているが、針の穴を通す程の正確さで雪兎が吼えた。大口径の弾丸に吹き飛ばされ、黒い破片が辺りに散らばって落ちる。ウナが命中したぞと言った。


「折角綺麗に積んでいた積み木がバラバラだ。可哀想に、もう一度お家でママに作り直して貰うんだな」


機関銃(しんへいき)を見える位置に置くなど、ルシヤは新しい玩具は見せびらかしたい性分のようだ。ボルトを操作して再装填する。


「今度はちゃんとお道具箱にしまって置けよ」


誰にともなく軽口を叩きながら敵陣を観察する。ここはどうだ、もう一発いけるか。

物音を聞いて将校らしき男が姿を表した。背が高く体格の良い大男だ。副官らしき者を横に置いている。

飛んで火に入る夏の虫というやつだ。見に迫る危険もわからずに出てくるようなやつは、やられて当然だな。静かに銃口を将校に向ける。


一瞬の集中。

周囲の音が消えて、一本の線が銃口と標的を結んだ。


今。


そう思って引き金を引こうとした刹那、将校隣の副官がこちらを睨んだ。長い金色の髪が宙を舞う。右目がその長髪に隠れているが、女だ。……青い目をした白人の女。そいつと目が合った。


ドンッと言う衝撃。

轟音と共に雪兎の銃口を飛び出た弾丸は、空を切り裂いて、敵将校近くの岩を抉った。外れた、いや外したのか?

副官の女が、将校の肩を引き寄せて避難させようとしている。


「外れた。30センチ左だ」

「わかってる!」


食い気味にウナに返事を返す。すっかり視界から将校が消えた後、女がこちらを指差して何事か叫んだ。見つかったのか。どうする、もう一発……。

女は真っ直ぐにこちらを見ながら、指を何やら動かしている。唇の動きを追う、100、200、300……。距離を測っているのか?

もはや限界だ、標的の将官も物陰に隠れたようだ。すぐに来る、ルシヤが来る。


「撤収するぞ。山に逃げる」


おうと短く返事があった。努めて明るく振る舞っているのだろうが、ウナの顔色は良くない。無理に威勢良くあろうとする引きつった声だ。

ヒュッヒュッと小銃弾が空を切る音がする。おおよそあたりをつけて撃ち込んできたな。そう当たるものではないが、万一命中すればタダでは済まない。当たれば命が終わる、そういうものだ。

立木を使い、石を使う。射線に入らぬよう、視界に入らぬように動き続ける。長大な雪兎を担いでの移動は想像以上に体力を使う。ぬかるみに足を取られそうになりつつも、グッと堪えて前に進む。


「タカ!?大丈夫か」

「大丈夫だ、とにかくあそこまで駆け込め!」


そう言って前方の林を指差した。

悠長にしておれば騎馬が追ってくるだろう。平地で馬に追われれば、逃げ切るすべは無い。とにかくそこに入らねば。

この辺りの山々は、鬱蒼とした原生林を形成している。開拓の者が入っていないので、殆ど人の手が入っていない自然のままの姿なのだ。立木の多い林に逃げ込めば、騎馬に追われる心配が無くなるし、身を隠す場所も多くある。



……



無事に森林へ逃げ込んだ我々は、手頃な朽木の下に隠れた。じっとりと湿っていて、とにかく不快だったが、その迷彩効果は非常に高い。

枯れ枝をいくらか拝借して、身体にまとわりつかせておく事で、輪郭を消して背景と同化する。


もうすぐ日も暮れる。

まともな人間であれば、夜間にこんな場所まで踏み込む者が居るとは思えない。一先ずは安全を確保できたか。


「しかし」


あの女。

まるで、事前にこちらの位置を知っているような動きだった。一発で位置を特定したというのだろうか。煙か火か、何か見つかったのか。あの距離だぞ。遠眼鏡も無しに……。

いや、考えすぎだろうか。

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