第71話.吉野

中将は本気だった。

その後、事件に関与したことが疑われた青年将校が数人、拘束されたのだ。


驚いた事に、その中に見知った名前があった。

吉野吾郎(よしのごろう)。彼は三年間同じ学校で学び、同じ寮で暮らした同期である。

彼の関西弁が懐かしい。共に学び、共に遊んだ、あの吉野だ。


それを知ったとき、私は居ても立っても居られず、監禁されているという彼に会うべく面会に向かった。


薄暗い部屋、ぽつんと置かれた背もたれも無い椅子に一人座る男。うなだれているその表情は暗い。

それに、いくらか痛めつけられたのだろう、紫色のアザが出来ている。懐かしい顔だが、以前とは印象が大きく違って見えた。


「なんや……穂高(チビ)か」

「吉野。お前、何があった」


またか、そういう声が聞こえてきそうな溜息を一つ。横目でこちらを見ながら、面倒だというような口調で言った。


「何があったも何もないわ。見ての通りや」

「なぜだ。なぜ浅間中将を狙った」

「俺が狙った訳やないやろ」

「関与があれば同じ事だ」


私も部屋の外から持って来た椅子をすえて、そこに座った。二人の目線が揃う。


「……」

「……」


「穂高(チビ)、お前。今のままルシヤと戦争に向かって良いと思うんか」

「どういう意味だ」


ここには我々以外何もない。

黙っていると、彼の息づかいまで聞こえてくる。わずかな静寂の時間を破って、吉野が口を開く。


「ルシヤと戦争して、何になるんや。あんな大国に本当に勝てると思ってるんか!政治家がよ、無謀に戦争するって言うても、それを無理やって諌(いさ)めるんが陸軍のやることちゃうんか!?」

「それはそうだ、誰もが戦争など望んじゃいない。しかし、やると決まったら、絶対にやる。やらねばならない。それが陸軍(おれたち)だろうが!それを……何だかんだと!」

「じゃあ知ってるんか穂高(チビ)。浅間中将はな、未来を見てきたとかいう怪しい占い師に、お伺い立てて戦争するんやぞ!?」


占い師だと?吉野も識者(しきしゃ)について、知っているのか。

いや、直接知らずとも良くない事を吹聴している者がいるということか。


「誰がそんな事を言った?」

「誰でもええわ!平安時代や無いんやぞ、明而の世でそんなこと出来るか!イカれとるやろ!」


中将の方針に対して随分な言いようだ。

カッとなって椅子を蹴るようにおもむろに立ち上がると、向こうも立ち上がった。


「吉野……!」

「何や!」


腫れたまぶたの奥にある目と、目があう。

いや、しかし私は喧嘩をしに来た訳ではない。

一呼吸置いて、どかりと椅子に座りなおした。思わず立ち上がってしまったが、感情に流されてもしようがない。

向こうも何か考え直したのか、再び椅子に座ってしばらく目を閉じたあと、口を開いた。


「……アー子が、危ない目にあった」


アー子、初めて聞く名前だが。話の腰を折るわけにもいかんので、腕を組んだまま頷く。


「うん」


私が話を聞く体勢を取ったと理解したのだろう。彼はそのまま話を続ける。


「アナスタシアでアー子や。赤毛のよ、俺ら上手いこと行ってたんや。でもな、ルシヤとのハーフやからって、もう札幌に居場所がないねん」


吉野が語るのはミルクホールで見た給仕の女だ。そうか、惚れただのなんだのと言ってたが、なるようになっていたのか。


「国境が引かれてよ、ルシヤは敵国民なんやろ。アー子みたいな混血はなんぼでもおる、あいつらはどうしたらええねん。本州からの移住者はしらんけど、雑居地が故郷やいう者はどないしたらええんや?」


せき止められていたダムが決壊するように、吉野から言葉があふれた。


「先にルシヤが占領した言うけどな、雑居地を日本が占領するのはそれはええんか。日露(ニチル)で上手くやって行く方法を考えなあかんのちゃうんか!?」

「上手くやっていくというのは、日本が引いてルシヤの要求を呑むということか?」

「一方的に呑むっちゅうんじゃない。訳の分からん占いで戦争のやり方を決める前に、話し合いがあるやろっていうことや」


話し合いか、それはそうだ。誰だって戦争なんてしたくはない。しかし。


「話し合いは行われている。しかし、それでもどうにもならん時がある。だから、そのために我々が居るのではないのか」

「アホか。どうにか……どうにかせえや」

「吉野。お前の気持ちはわからんでもない。しかしな、仮に浅間中将が死んでも、日本の識者(うらないし)が皆死んでも、そんな事ではルシヤとの戦争は止まらんよ。お前たちがやろうとしている事は、的が外れている」

「穂高(ほたか)……!」


なるべく感情を出さぬよう、低い落ち着いた声で続ける。


「まともな話し合いをする為には、対等な立場でいる必要がある。お前が言うように、ルシヤは大国だ。浅間中将は日本を強くまとめ、交渉のテーブルになんとか辿り着かせようとしている」

「俺は!」


その後の言葉をさえぎるように、手のひらを彼に向けた。


「吉野。個人的には、私はお前の言うことに共感するよ。でもな、俺らは軍人なんだよ」


立ち上がって、部屋を出る。


「お前には明而陸軍(ここ)は向いてない」


最後にそう言い残して。

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