第57話.接近

早朝。

ようやく今日という日の光が、男たちが潜む森の中を照らし始めた。

冷えきった身体を温めるように、半長靴の中で足指を閉じたり開いたり。手のひらを揉んでみたりする。いざと言う時に動けませんでは、話にならんからな。

そうしているうちに、遠くから軍靴の響きを感じた。


「……来たな」

「見えるか?俺には見えないが」

「いや、聞こえます」


天城小隊長の問いに短く返答する。

耳にではなく、身体に直接伝わる。大地の振動。間違いなく、ルシヤの足音だ。


しばらくすると、道の果てから整然と歩みを進める一団をみとめた。彼らは真っ直ぐ歩調を合わせて進んでいる。

その姿は、まるで周囲に警戒がなされているようには見えない。


何処かに我々が潜んでいる可能性は、十分に考え至ったはずだ。それがどうだ、なぜこうも無警戒でいられる。

まさか本当に、日本兵を「極東の猿」くらいに考えているのか。こちらを甘く見ている?


本当に、そうなら。

口角が引き上がる。無意識に歪な笑みが浮かんだ。

真っ直ぐに罠に向かって歩みを進める彼らの動きは、まるで飛んで火にいる夏の虫だ。

これならば「万事上手く行くのではないか?」そういった思考が頭を染める。

そうだ、計画どおりに。


音を立てないように小銃に弾を込めて、その時を待つ。地面に尻を付けて、両足を開いた姿勢。座射の体勢を取り、銃口をあるべき場所に向ける。


あと百メートル。

五十メートル。

十メートル。

今。


ルシヤ軍の先頭の一団が、全く不用意に落とし穴に足を突っ込んだ。同時に悲鳴が上がる。


『がぁあ!』

『くそっ!なんだこれは!?』


態勢を崩して、先頭の数人が倒れ込んだ。穴の中の無数の棘によって、太ももや足首を傷つけられた兵は、苦悶の表情を浮かべる。


無言のまま天城小隊長が、腕を振った。

その合図を目の端にみとめた瞬間、引き金を引いた。

ドンッと反動が肩に返ってくると同時に、銃口を飛び出した弾丸が、射線上のルシヤ兵に真っ直ぐ向かって行く。日本式小銃の長大な銃身から放たれたそれは、まごついているルシヤ兵の頭部を破壊した。


良し、命中。


断末魔を上げる事も出来ずにパッと鮮血を撒き散らして、後ろに倒れる。

それを合図に、第二小隊が射撃を開始する。


ドンドンッ!パパパッ!!


左右から挟んだ狙い撃ちである。

小銃が火を噴く度に、肩に、足に、腹に、頭に、弾を受けたルシヤ兵が倒れていく。

聞くに耐えない絶叫が上がった。


『何事だ!?』『狙撃か!どこから!』


槓桿(こうかん)を前後に操作して、排莢装填する。ぴたりと頬を小銃にくっつけた。

伏せもせずに、右往左往する敵兵一人に狙いを定める。信じられない程、迂闊だ。

すとんと自然に引き金が落ちて、次弾が発射された。


ドンッ!!


横向きの頭部にするりと銃弾が吸い込まれる、左右のこめかみが一本の線で繋がった。

不幸な彼はそのまま地面に倒れる。


流れるような動作で槓桿(こうかん)を操作して、次の獲物へ。私の放ったそれは、確実に頭部を貫き彼らを絶命させていく。


次の敵(にんげん)!

次の敵(にんげん)を!


瞬く間に五発の弾丸を撃ち尽くして、弾を込め直す。視線は戦場に向けたままだ。

ルシヤも混乱が収まり状況を把握し始めたのか、散開して姿勢を低くしている。撃ち返してくる者も出たが、狙いがおかしい。どうやらまだ、向こうからは見えていないようだ。

一方的に攻撃を加えることができる。


ならば。


殺す。殺せるだけ殺す。

殺される前に、全部殺す!


パパパッ!ドンドンッ!


『散開しろ!』

『猿が森に潜んでいる、撃ち返せ!殺せ!』

『火が出ている方向だ……』


ルシヤの一人が、そう言ってこちらを指さした。その彼と一瞬、目があった。その一瞬が、スローモーションのようにゆっくり見えた。


「さようならだ」


口の中だけでそう唱えて、引き金を引く。

それと同時に、彼の目と目の間にもう一つ穴があいた。


パパパッ!!


我が方が射撃を繰り返す度に次々と、面白いように敵が倒れていく。

錯乱して前に走り出して、落とし穴に落ちる者。山中に逃げ込もうとして撃たれる者。


良いぞ。全く、作戦通りだ。

この調子ならば。

本当にやれるかも知れん。


「はぁっはぁっ。穂高少尉やれますよ!ここで食い止められる」


私の隣で国見二等卒が、興奮しながらそう言った。その瞬間。


突如、彼の顔面が爆ぜた。

一瞬でその下顎が吹き飛んで、後ろ向けに倒れる。


「ッ!?」


我々の後方、山の上側にルシヤ兵。一人や二人ではない。

回り込んで来たのか、このタイミングでか?

いや交戦前にすでに準備をしていたのか、そうでなければこうも!


「くそっ!後ろだ、後ろにいるぞ!」


射線が通らないように、すぐに近くの木の陰に隠れる。同時に、あたりに銃弾が撃ち込まれる。


パパパッ!!


口から血の泡を吹いて倒れている国見二等卒に、容赦なく銃弾が浴びせられた。

その胸に数発の弾丸が命中する。彼は一度大きく「ごぼり」と赤いモノを吹き出したと思うと、そのまま事切れた。


「国見ーっ!!」


激昂した三輪二等卒が身体を晒して撃ち返すも、命中せず。すぐ強引にその首根っこを捕まえて、木の陰に引っ張り込む。


「体を出すな!」

「少尉殿!国見が……!」

「仇を取れ。無駄死にをするな」


その時、上手く物陰を伝って、小隊長がこちらに来た。


「穂高!どういうことか!?」

「小隊長殿。敵は下から登ってくる者もいる、上からも来た。挟み撃ちだ」


小隊長からの問いに答えながら、銃弾を込め直す。


「読まれていたのか。作戦が」

「わかりません。しかし、このまま挟み撃ちを受ければひとたまりもない。どちらかに突破するか、ここで食い止めるか」


そう言いながら、隘路を挟んで向こう側の戦況も見る。様子がおかしいところを見ると、向こうでも山中から敵が沸いて出たらしい。


甘く見ていたのは、こちらであったか。

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