第54話.戦争

払暁(ふつぎょう)と共に、第三中隊は無人村を出立した。お山の向こうから現れた太陽は、筒の先を包んで輝かせている。

いざ、とばかりに屈強な兵達が二列に整列し、歩調を合わせて歩き出した。


「やはり朝は冷える、歩いていた方が身体が温まって良いな」と天城小隊長が言ったが、まさにその通りの朝だ。

もう四月も終わる緑生い茂る世の春、と言っても試される大地では春眠を貪るのも工夫が要る。内地からきた天城殿であれば余計にそうであろう。


中隊が一つ丘を超えると、ぽんとひらけた場所に出た。ゆったりと流れる川と、それに渡された大きな橋。木造ではあるが、荷車がすれ違える程しっかりとした規模と作りである。


このあたりは山脈が南北に縦走している。平地を歩くのであれば、その山脈の間を縫ったルートをとる必要がある。そうすると、ある程度行くべき進路は限られている。

右手左手を山に、そしてその進路上に横たわる河川と橋。

大規模な、それも馬を連れて進行するとなれば、この橋の確保は重要な要素の一つになるだろう。


その橋の前で、中隊長が一度停止の号令をかけた。士官が首を揃えて、遠眼鏡(とおめがね)で向こう岸から先を確認する。


「穂高、どうだ?」


そう言うと、天城小隊長が私に向かって遠眼鏡(とおめがね)を差し出した。それに手のひらを向けて、必要ないジェスチャーを返す。


「この距離なら見えています。それにそうすると視野が狭くなる、この方が良い」


彼は一瞬何かに気がついたような顔を見せて、差し出した物を引っ込めた。


「そうか目が良いとは聞いていたが、これほどか」

「しっかり野菜も食べていますから」


意外な返答だったのだろうか、ふっと息を吐くように笑った。


「菜っ葉が視力に良いのか?」

「はい。以前本で読みました。白い米の飯は良いが、三度それだけではいかんという事です」


今度は少し本気に取ったのか、丸い目になって言った。


「そうか。糧食が視力に影響するという発想は無かったな」

「麦飯も良い。飯に麦を混ぜるだけでも、目には良いし病にもかかりにくくなる」

「そんなものか」

「そんなものです。小隊長も是非」


目にいいのは適当だが、身体に良いのは本当だろう。脚気予防になる。

雑談もそこそこに向こう岸に目を向ける。そこには人の影も動物の影もないし車輪(くるま)の通った跡もない。危険が無いと判断した我々は、再び足並みを揃えて進み出した。


何事もなく橋を超えると、再び山間の隘路(あいろ)に入った。立派な枝ぶりの大樹が、空すらも覆い初める。大きく構えている木々の足が好き放題に地面をうねり、辺りに緑色をひっくり返していた。

寒冷地の樹木は成長が遅い、この大きさならば樹齢数百年は下らないだろう。

人の手の入らない原生林の、その見事な造形に心を奪われた。空気も冷えて澄み渡り、美しい。


他の者も自然の中で何かを感じているのか、話し声もなく軍靴の響きだけが、この世界の音の全てだ。


そうしてしばらく歩いているうちに、はっと気がつけば四方が白く濁っていた。これは霧だ、霧に包まれている。


「小隊長これは」

「うん、霧だな。厄介な」


霧はどんどん濃くなり、視界が奪われていく。行列の中程にいる我々には、もう先頭を往く兵も後方の兵も白の彼方であり、すっかり姿が見えない。


「どうするつもりでしょうか」

「止まらないところを見ると、中隊長殿はこのまま突っ切る心算(しんさん)であろう」


それに、と言いながら続ける。


「ルシヤ兵もここまでは来ておらんだろう。恐らく、この峠を一つ越えたその先の平地。そこからが彼奴等(きゃつら)の勢力下。下れば霧も晴れようからな」

「そうであれば良いのですが……」


言い終わる前に、私の言葉は前方から聞こえた大声にかき消された。


「「うわあーっ!!」」


その瞬間、ばっと全員が足を止める。「何事か」と声が出るより早く銃声が響いた!


パパパッ!!


ヒュゥッーと風を切る音が聞こえたように思う。


「「!!!!!」」


何事か怒鳴るような声が前方から聞こえて来た。一人二人でない、日本語でない声もある。これは出くわしてしまったらしい。


「穂高!」

「先鋒がルシヤ兵と鉢合わせしたらしいですね」

「待ち伏せか!?第二小隊、散れ!」


「「第二小隊、左に散れ!!」」


復唱しつつ、後ろの兵が散開していく。前方にいるはずの第一小隊と中隊長らの姿はまるで見えない。わかっているのは、正体不明の敵に、味方がうちかけられているという事だけだ。


「小隊長、着剣指示を!」

「着剣だと!?敵兵も見えぬのに……」

「だから!弾なんぞ込めない方がマシだ、味方にしか当たらん!」


ほんの一瞬、小隊長の目に迷いが見えたが、すぐに着剣指示を出した。


「よし、着剣!」

「「着剣!!」」

「姿勢低く、敵兵の顔が見えるまでは顔を上げるなよ!前へっ!!」


「「前へっ!」」


銃弾が飛び交う音と叫び声。姿勢を低く保ったまま、匍匐前進で音のする方へ進む。

着剣したままの銃は先が重く、保持に難儀する。距離を詰めてから着剣できれば良かったが、練習通りとはいかんものだ。しゅうっと再び鉛の弾が、頭の上をかすめた。


「少尉、まだでありますか!突撃は」


震えた声で指示を仰ぐ兵。いっそ立ち上がって走り出したい気持ちはわかるが、しかし。


「いや敵兵見えるまではこのまま接近、後は各個に突撃せよ。絶対に頭を上げるな!」


パパッーン!!


「うああああぁあー!」


ばっと赤いモノを散らして、第一小隊の兵が私の真横に倒れた。指揮が混乱しているのか、突っ立ったまま弾を込めようとしている者もいる。馬鹿な。


パパパパパッ!!


再び銃声。連続したそれが聞こえる度に、悲鳴のような声が上がる。

第一小隊の兵らを横目に進み、ついに中隊長の姿を確認した。

サーベルを抜いた中隊長を中心に、それを守り円陣を組むように小銃を構える日本兵。


その先に……いた。ルシヤ兵の集団だ。

どうやら向こうも意図せぬ遭遇戦だったようで随分と浮き足立っている。どおりで射撃が散発的な訳だ。


いけるぞ。

天城小隊長の方を見る、こくりとしっかり頷いた。

ごくりと喉が鳴った。


「中隊長殿を援護しろ!第一小隊、突っ込めっ!!」

「「突撃!!!」」


にわかに立ち上がると、銃剣を手に全力で駆けた!

五十名の第二小隊が一群となり、一つの流れのようにルシヤ兵の集団の中に浸透していく。


「「うおおおおおおおおっ!!!」」

『何!?撃て!撃て!』


パパパッ!!


突然湧き出た突撃集団に驚いたのだろう、ルシヤ語でそう叫ぶが、もう遅い。

巨木の根を一足に飛び越え、身長の割には長大な銃剣を槍のように突き出した。

どんっという衝撃が手に伝わる。小銃の先端の刃は、敵兵の喉を貫通して向こう側に到達した。一番槍だ。


「「うわあああああああ!!!」」


そこかしこで、我が兵らが大声で叫びながら真っ直ぐに銃剣を突き立てていく。岩木教諭(じゅうけんせんせい)の授業も役に立つじゃあないか。

明らかに動揺を見せるルシヤ兵。後ろに逃げようとする者、弾が切れて何を思ったか目の前で弾を込めようとして突き殺されるもの。

完璧に錯乱させる事に成功した。


そう、成功だ。

あと何人行ける?あと何秒いける?


「だからっ!!」


ずどん!と背を向けたルシヤ兵の背中にも一槍くれてやる。


「がああっ……がぼ」


口から赤い泡を出して倒れ臥す。倒れた兵の身体から刃先を抜こうとした時、無理な力がかかったのか刃が抜けなくなった。

しくじったか!そう思った瞬間、黒い影が足下に落ちた。


『このっ猿が!』

「しまっ……」


横合いから、サーベルを持ったルシヤ兵がそれを振り下ろす。銃を捨てるか、刃を抜くか、一瞬判断に迷ったために対応が遅れる。


「穂高少尉っ!」


そこににわかに現れた国見二等卒が、ルシヤ兵に体当たりするように銃剣を突き立てた。

サーベルは私の僅か十センチ横を空振りして、敵兵はその場に倒れた。


「国見二等卒よくやった!助かる」

「そういうのはまだ早いですよ」

「そうか」


言いながらすぐに銃剣を引き抜き、離れる。

突撃成功から時間が経つにつれて、ルシヤ側の態勢が立て直されつつある。抜剣して抵抗するものも現れ、当方の損害も出始めた。


向こうの後続部隊の規模がわからない、どこまでやるべきか。

突撃にびっくりして全部逃げ出してくれたら良かったのだが。そうせずに抵抗するところを見ると、奴ら後ろにも部隊が控えているのだろう。

こちらにはそれはない、一個中隊で全部だ。



パパーッ!!



その時、喇叭(ラッパ)の音が鳴り響いた。我が方の喇叭(らっぱ)だ、後退せよの命令だ。


「良し良し、よくやる!」


中隊長の引き際の判断だろう、見事である。小走りに小隊長がこちらに駆けて来て言った。


「穂高、引くぞ!」

「はい!」

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