第7話.明而時代
「どうしたものかな」
「ううむ、何かあったのでしょうか」
戸長と一等巡査、例の制服二人が何やら話し合っている。不穏な空気を感じた私は、のそりと立ち上がり話しかけた。
「どうかしましたか?」
「ああ、屋敷にいる家内達に炊き出しを頼んでいるのだが、到着が遅れていてね」
横から尋(たず)ねる私に嫌な顔もせず、雪倉戸長が答えた。
「それは……わしらが様子を見て来ましょうか?」
「いや、それには及ばない。先ほど役場の者を二人使いに出したので、しばらくで戻るだろう。心配せずとも良いよ」
「そうですか」
嫌な予感がするが、今の私にはどうしようもない。何事もない事を祈るだけだ。
ふと視界の端に本棚が目に留まった。横文字の本と日本語で書かれた本が乱雑に放り込まれている。
「もし良ければ、そちらの書籍を見せて頂いても良いでしょうか」
「ん?文字が読めるのかね」※
「はい勉強中です。国語も英語も」
「そうか。うん、よく勉強すると良い」
「ありがとうございます」
気前良く許可してくれた雪倉戸長に礼をして、本棚に向かい合う。
指でなぞって品定めをしていると、日本語で書かれた「北部領土開拓史」という書籍を見つけた。手書きのような筆文字だったが、久しぶりの活字に心が踊る。
思い返すと、前世では活字に触れない日は無かった。今から考えれば情報に溢れており、ひどく恵まれたものだった。
なんとなしに裏を見ると明而二十五年初版と書かれている。
『明而』か、『明治』ではないのか。誤植だろうか。いや、まさか。
ふと一つの考えが頭をよぎった。
「これはどう読みますか?」
「ああ。これは明而(メイジ)と読む、今は明而三十四年だろう。年号の明而だよ」
ああ、なるほど思わぬ思い込みだった。
音が同じであるので、今現在は地続きの歴史である明治(メイジ)だと考えていたが、そうではないらしい。
つまり現世は明而の世。この世界は私の知る世界と、完全には同じではないのだ。考えて見れば当然だ、私のような存在がいる事自体がイレギュラーなのだから。
「……これは」
頁をめくる。そこには私の知るものと似ているが、少し違うこの地の歴史が記されていた。
その時。
音を立てて乱暴に扉が開けられた。真っ暗なその向こう側からひやりとした空気が飛び込んで来た。同時に大きな声が響く。
「大変だ!」
「熊だ、熊が出たぞ!戸長殿の屋敷に!」
転がり込むように入って来た制服の男達。先ほど使者に出したと言っていた者達だろう。
その一声に全ての者に緊張が走った。池口一等巡査が歩み寄り冷静に問いただした。
「おい、熊が出たとはどういうことだ。明瞭に報告しろ」
「例のヒグマです。炊き出し中であった連中(れんじゅう)が襲撃を受けておりました!」
報告を受けた巡査の行動は早かった。討伐隊の面々が騒ぎ出す前に大きな声を上げた。
「鉄砲を持った者、何名か付いて来い!今すぐ戸長殿の屋敷に向かうぞ」
その言葉を受けて、我も我もと挙手をする。私もその一人である。
巡査は自らの部下二名と戸長。私と爺様。それに村落の面々から、鉄砲を持った若いの三人を選出した。
池口一等巡査の指示の下、私達九人は戸長の屋敷に向かった。
……
※この時代は現代日本ほど、一般に識字率と呼ばれる読み書きができる人の割合は高くない。地域差が大きいが、文字を読めない者も珍しくはなかった。
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