第16話 シスター見習の闇落ち

   ◇◇◇


 ニーナ・アマルフィアの5歳の誕生日、彼女の両親はニーナを近くのアルミラ教の教会に預けて失踪した。当時のことを、ニーナはあまり詳細に憶えていない。気づけば教会に引き取られていて、それからいつの間にか10年の月日が経っていた。


 どうして、こうなってしまったんですかね……。


 軽薄な笑みを浮かべる大柄な男を前にして、ニーナはぼーっと考える。


 王立魔法学園入学試験。その最終試験である模擬魔法戦。ニーナの相手は拳に炎を纏って肉弾戦を仕掛けてきた。


「魔法拳闘士!?」


 観覧席でニーナを見守っていたアリスが驚きの声を上げる。


 魔法の利点は遠く離れた相手に攻撃できる点だ。魔法拳闘士はその利点を捨てて魔法を拳に宿して近接戦を仕掛ける魔法使いのことを言う。一時期はかなりの数の魔法拳闘士が居たのだが、今ではすっかり絶滅危惧種となっている。


 それが何故かといえば単純で、近接戦を仕掛けるなら剣を使えば済むからだ。わざわざ魔力を消費してまで魔法を使う意味はほとんどない。


「魔法拳闘士の強い人って本当に強いって聞くよ。魔法を使うよりも早く接近されたら魔法使いにとっては致命傷だし、剣士にとっては自分と同じ間合いで魔法を使われるわけだからやり難いって」


「完全に絶滅していない理由がそこですね」


 ただ、ニーナの相手はアリスが例に出したほどの熟練者ではなかった。


 炎をまとった拳がニーナの眼前を通り過ぎ、熱風が彼女の小さな体を吹き飛ばす。


 男は抵抗を見せないニーナを弄んでいた。あえて拳が当たらないように調節し、ニーナを痛めつけて楽しんでいる。


「ニーナちゃんっ!」


 アリスの悲鳴を遠くに聞きながら、ニーナは過去に思いを馳せていた。


 両親によって預けられた教会で暮らす内に、ニーナはシスターを目指すようになった。自分を育ててくれた恩を返すため、自分と同じような境遇の子供たちを救うため。ニーナはアルミラ教のシスターになるべく、日々弛まぬ努力を積み重ねてきた。


 アルミラ教のシスターになるには神聖なる光魔法を使えなくてはならない。神聖なる光魔法を使えて初めて、神に選ばれたと認められるからだ。


 ニーナは敬虔なアルミラ教徒だった。毎朝の礼拝は欠かさないし、経典で定められた通りの質素な食事しか摂ったことがない。他のシスター見習いたちがこっそりお洒落な服や嗜好品を購入する中でも、ニーナは質素倹約に努め頑なに教義を守り続けていた。


 それなのに、神はニーナを選ばなかった。


『光魔法を使えなければシスターにはなれないのかもしれません。だけど、闇魔法も使えなければ、何にもなれないんです。本当にそれでいいんですか……? 何かを変えたかったから、ここに来たんですよね?』


 今日初めて言葉を交わした少女、ミナリー・ポピンズの言葉が脳裏に残り続けている。


 彼女の言うとおりだ。光魔法を使えないわたしはシスターになれない。闇魔法も使えなかったら、何にもなれない。


 ……わたしはたぶん、何かになりたかった。


 両親に捨てられたニーナは生きる意味を探した。そうしなければ、不安で押し潰されてしまいそうだった。そんなニーナが見つけたのが、シスターという目標だった。


 シスターを目指し始めてから不安は感じなくなった。悩まずとも、ただ目標に向かって進むだけで良かった。


 シスターたちに恩を返したい。自分と同じような境遇の子供たちを救いたい。どこの誰に言っても恥ずかしくない高尚な動機が背中を押してくれる。シスターを目指す自分は何も間違っていないのだと証明してくれる。


 そう思っていた。


『ニーナは、本当にシスターになりたいんですか?』


 ミナリーの問いかけに、ニーナは答えることができなかった。


 本気でシスターになりたいなら、王立魔法学園の入学試験なんて無視すればよかった。これまで通りシスターになるための修行に励んでいるべきだった。


 修道院長に呼ばれ、院長室で手渡された入学試験への招待状。修道院長はニーナに判断を委ね、ニーナは三日後に受験したい旨を修道院長に伝えた。招待状を手渡されたその瞬間から受験することを決めていたにも関わらず、だ。


『今から二つの闇魔法の発動方法と使い方を独り言で話します。聞きたくなければ聞かないでください。知りたくなければ立ち去ってくれて構いません』


 どうしてここまでしてくれるんだろう。


 ミナリーの独り言を一言一句暗記しながら、ニーナはそんなことを考えていた。魔力水晶の前で助けてくれた時も、通路の隅に座って不安に圧し潰されそうになっていた時も、彼女はどこからともなく現れて救いの手を差し伸べてくれた。


 一度ならず二度までも。神様だって、一度も助けてくれたことがないのに。


『ミナリーさん、わたしは……』


『独り言は終了です』


 控室に居なかったニーナを試験官が探しに来たことで、それ以上の会話をミナリーとかわすことはなかった。ただ、おそらくきっとこの闘技場の観覧席のどこかで彼女が師匠のアリスと共に自分の姿を見てくれているだろうことは何となくわかる。


「そろそろ決着をつけようか、嬢ちゃんよお」


 軽薄な笑みを浮かべる男の言葉に、ニーナはハッと顔を上げた。


「えーっと、誰でしたっけ?」


 模擬戦前に自己紹介されたような気もするが、いまいち記憶が定かではない。


「あ? ガストン様だってさっき言っただろうが!」


「そうでした、すみません。ぼーっとしていたもので……」


「あぁ? てめぇ、俺のこと舐めてんのか? さっきまでさんざん手加減してやったのによぉ! 調子乗ってると痛い目みるぜぇ!?」


「……そうですね。痛いのは嫌です」


 ガストンと名乗った男は拳に炎を滾らせ向かってくる。その様を見つめながら、ニーナはすーっと息を吐いた。


 光魔法を使えないわたしはシスターになれない。だからと言ってこんな大勢の前で闇魔法を使えば、シスターへの道は完全に閉ざされることになる。


「ニーナっ」


 どこかからミナリーの声がニーナの耳に届く。


 シスターになれないのは嫌だ。


 だけど、こうも思うのだ。


「何にもなれないのは、もっと嫌ですっ!」


 ニーナは魔力を爆発させた。体内から溢れ出す魔力は際限なく体外に流れ、どす黒い炎となってニーナの体を包み込む。


 ――〈魔力開放〉。


 ニーナが無意識のうちに発動させたそれは、彼女がこれまでため込んできた鬱屈とした感情を魔力として全て曝け出した。もはや戻し方もわからない。前に向かって突き進むのみ。


「こうなっちゃったのは、ミナリーさんのせいですからね?」


 魔力量測定で彼女と出会わなければ、廊下の隅で彼女たちが話しかけてこなければ。きっとこの先、違った人生が待っていたことだろう。


 もしかしたら光魔法が使えるようになってシスターになっていたかもしれない。仮にそうでなくても、それなりに幸せな人生が待っていたかもしれない。


 ……それでも、わたしは何かになりたい。何にもなれないくらいなら、闇魔法を使ってでもわたしは何かになりたい! 


 ――責任を取ってくださいね、ミナリーさん?


「今さら何をしようたって――……あ? なんだ、これ。動けねぇ……?」


 ニーナのすぐ目の前、炎を纏った拳を構えた男が立ち止まっていた。殴りかかろうとする最中のような体勢で、不自然に身動きを止めている。その様を見ていたギャラリーたちにも、戸惑ったようなざわめきが広がっていた。


「闇魔法〈影縫い〉。確か、魔力で影に干渉して対象の動きを一時的に止める魔法らしいですよ。詳しくは知りませんが」


「な、あ……? 詳しく知らねぇのに、なんで使えるんだよてめぇ……!?」


「わたしも知りたいですよ」


 ぶんっと炎の拳がニーナの目の前を通り過ぎる。どうやら動きを止められるのは、影と接している足の部分だけのようだ。


「舐めやがってぇ……!! 来いよ、くそアマ! ボコボコにしてやらぁ!」


「……確か、こんな感じでしたね。〈帳〉」


「――ッ!? なんだ、前が見えねぇ!? てめぇ、何しやがった!?」


 ニーナがミナリーの独り言から学んだ闇系統の魔法は二つ。一つは対象の足を止める〈影縫い〉、もう一つは対象の視界を奪う〈帳〉。直接的な攻撃手段ではないが、実戦向きな魔法だった。


 口頭で聞いていただけなのに、面白いほどすらすらと魔法が発動する。自分にどれだけ闇系統以外の魔法の才能が無かったのかを思い知らされる。


「くそっ! どこだ、どこ行きやがった!? ちくしょう、何も見えねぇ!?」


 ガストンが闇雲に拳を振り回す中、ニーナは後ろ手を組みながら彼の後方へこっそりと移動する。


 そして、


「ごめんなさい」


 ガストンの背後から足の指先で思い切り股間を蹴り上げた。


「おぐふっ――!?」


 情けない悲鳴とともに急所を押えて倒れこむガストン。審判を務める男性の試験官は何とも痛ましそうに顔をしかめながら、ニーナの勝利を宣言したのだった。

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