新説現代百物語

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

夜行

『夜にこんな細道を使っては危ない』と思ったはずなのに、気付けば私はその道に足を踏み入れていた。


 今思えばきっと、私は彼らに呼ばれていたのだろう。


「ややっ! これは珍しや!! 我らの夜行にヒトの子が紛れ込むとは!」


 街頭の光さえ遮るような細道をテクテク、テクテクと歩いていると、後ろ足で立ち上がった猫に行きあった。猫そのものの体で頭の上にハンドタオルを乗せた『猫』は、驚きにキュッと瞳孔を縮めると両手で顔を洗いだす。


「猫が頭に乗せるのは、手ぬぐいじゃないんですか?」

「やや! 我らが頭に手ぬぐいを乗せて踊ることも御存知とは!」

「ヒトの世界で文化が進むように、私達の世界だって日々目まぐるしく変化していくんですよ」


 猫の集会にでも紛れ込んだかと思ったが、古めかしく話す猫の向こうから言葉をかけてきたのは狐面をすっぽりかぶった幼女だった。お尻からふさふさの尻尾をはやした幼女は、ハイビスカスがプリントされた浴衣をまとっている。確かに、何だか『イマドキ』な感じだ。


「時にあなたはどこへ行く予定でしたか?」

「この道を抜けた先にある、バス停まで」


 私の言葉に、狐面の幼女と猫は『ああ、あそこの』といった感じで顔を見合わせる。姿は見えないが他にも仲間が周囲にいるらしい。近いな、同じ方向だ、という囁きがそこかしこから聞こえる。


「せっかくですし、何かの縁です。夜行がてら送っていきましょう」

「いいんですか? この行列、百鬼夜行なんでしょう?」

「『夜行にヒトの子が紛れ込んではならない』という決まりはありませんぞ、ヒトの子よ」

「そうそう。それに最近の人間は、私達よりもよっぽど『妖し』な存在ですから」


 ほらほら、それそれと、私の周囲を取り巻くモノ達が進み始める。その流れに押し出されるように、私は足を進め始めた。テクテク、テクテクという静かな足音が、ドンチャン、ドンチャンと騒がしくなる。


 ふと視線を流せば、楽器の姿が見えた。ネックが折れかけたエレキギター、面の真ん中が薄汚れたドラム達、ドシンドシンと続くのはシンセサイザーだろうか。道理で夜行のBGMがロック調なわけだ。


「あそこの一行ね、解散したロックバンドで使われていた時から一緒だったらしいわよ」

「ロックバンドって……。作られたのも、使われたのも、捨てられたのも最近なのに、もう夜行ができるくらいに成長してるんですか?」

「ふふっ、言ったでしょ。『変化していく』って」


 猫は私を先導するかのように前を、幼女は私に寄り添うかのように横を歩いている。そんな彼らの周囲をにぎやかしく跳ねているのは、道端に投げ捨てられたカンやペットボトルではないだろうか。カンコン、カンコンとどこか耳に馴染んだ音が、ロックバンドにリズミカルな合いの手を入れている。


「物も感情もあふれている時代だもの。昔は九十九年かけて育てていたものが、今ではたったの数年……場合によっては数日で育つのよ」


 幼女は私を見上げて笑った……ような気がした。


「怖いわね。ヒトって、本当に怖いわ」

しかり然り」


 前を歩く猫が、踊るように前足を揺らめかせながら幼女に同意する。


「我らがこの姿を得るまで九十九年分溜め込んできた思いを、たった数年で積み上げてしまうなどとは」

「どうして破裂してしまわないの?  そんなに強くて黒い感情ばかりばら撒いているのに。その体は、ツンッ、ってつつくと、案外爆発してしまったりして」


 幼女の言葉に、私の傍らを鳥のように羽ばたいていた雑誌がおどけるようにバサバサと音を立てた。


 唐傘お化けは安物のビニール傘。一反木綿の代わりにバスタオルが舞い、スニーカーやサンダルが跳ねる。その向こうにうごめいて見えるのは、形になれない何か。


 たとえば、そう。誰かが吐き出した陰口のような。


「……破裂なんかしませんよ。破裂しないように無意識に闇に吐き出してしまうから、あなた達がこんな風に生まれて力をつけていくんでしょう?」

「それもまた然り!」

「あら、言われてみれば、そうなのかも」


 幼女はコロコロと澄んだ声で笑った。それに合わせるかのように、夜行全体が空気を震わせるように笑う。わらう、わらう。


「我らを視る者がいなくなったせいか、ヒトは我らが力を失い、闇に消えていったとのたまうが」

「なんのなんの。……こんなに闇が昔よりも濃くなったのに、闇を吸って育つ私達が消えるもんですか」


 ケタケタ、ケタケタ、ドンチャン、ドンチャン。


 どれだけ騒ごうと、近隣住民はこの音に気付かない。ヒトの意識が鈍くなっていくにつれ、彼らはきっと自由を得たのだろう。己が気付かないまま闇を吐き出し、闇に溺れていくヒトの子を、彼らは笑う。嗤う、哂う。


「ヒトとは、恐ろしき生き物よのぉ」

「我らを生み出し、我らに闇を喰らわせ、我らをここまで育てるくせに、決して我らに気付かない」

「ああ恐ろしや、恐ろしや……」


 不意にしんっと、周囲の音が消えた。


 一度瞬きをしてから周囲を見回せば、闇の中にポツンと見慣れたバス停が立っている。


 いつの間にかバス停の傍らに立っていた私の前に、くたびれたエンジン音を上げながら路線バスが滑り込んでくる。バタンッと荒々しく開いたドアにもう一度瞬きをした私は、大人しくそのバスのステップを踏んで座席に腰を落ち着けた。窓から外を眺めれば、私が通ってきた細道が後ろへ流れていく。


「……気付かない、か………」


 ポツリと零れた声は、窓ガラスに遮られて誰にも届かない。


「……それは恐ろしいんじゃなくて、寂しいっていうんだよ」


 つかの間私に構われて、彼らも多少心の隙間を埋められただろうか。


「育つのが早くなっているのは、なにもヒトの闇のせいだけじゃないさ」


 心を持ってしまえば、ヒトもモノも同じ。隙間が生まれれば闇が溜まり、その闇が『彼ら』を育てる。


 人はその闇を闇の中に吐き出して軽くすることができるけど、闇そのものである彼らにはそれもできない。


 彼らが抱える闇は、彼らの中で溜まり続ける。パチンと弾けてしまう、その日まで。


「あぁ恐ろしや」


 私は小さく呟くと目を閉じた。


「……あぁ、悲しや」


 私の脳裏を跳ねるように進んでいた夜行は、眠りに落ちる瞬間にパチンと弾けて消えてしまった。

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