第13話『ねぇ、手つないであげよっか?』

 県内最恐とめいったジェットコースターは遊園地の目玉ということもあり、長蛇の列を作っていた。ネットの情報によると、一〇〇メートル近い最高高度からほぼ直角に下る感覚は滑走かっそうするというよりも落ちるという感覚に近いらしい。最高速度は一五〇キロを超え、終盤に円を描くレールは最大の絶叫ポイントだそうだ。


 そんな拷問器具に乗ると思うと、今さらながら鳥肌が立ってきた。それに比べて隣に並ぶ悠里は案外余裕があるらしく、むしろ楽しみにしているのかさっきからテンションが高い。


 この作戦の目的は、最大絶叫ポイントの大回転辺りで撮影されるだ。


 今はアトラクションが楽しみで気が紛れているようだが、大嫌いな弟とのデートが思い出として形に残ったらどう思うだろうか。それこそ最高の屈辱を与えるとともに俺はコイツの弱みをひとつ握れるというわけだ。


 そのためなら拷問にだって耐えてやろうじゃないか!


 俺が震える拳にグッと力を入れると、悠里がふいに顔を覗き込んできた。


「お兄ちゃん、だいじょーぶ?」

「な、なにが?」

「こういう絶叫系のアトラクション、苦手だったでしょ?」

「小さい頃は、な。でも今乗ればたいしたことないだろ。しょせんは子供だましだ」

「……まあ、お兄ちゃんがそう言うならいいんだけどさ」


 そうこう言っているうちに俺たちが乗り込む順番が回ってきた。


 スタッフの人にうながされ、先に車体に乗り込んだ悠里が躊躇ためらう俺に手を差し伸べてくる。

「ほら、きっと楽しいよ? お兄ちゃんっ!」

「お、おう……」

 まるで姉とは別人のようなユリちゃんの笑顔に背中を押され、俺も車体に乗り込んだ。


 安全バーが下がり、シートに体がホールドされてしまう。

「は、外れない……」

「簡単に外れたら死んじゃうでしょ?」

 なるほど、もう逃げられないってわけか……。


 スタッフのお姉さんが安全バーのチェックをし終わり、「空の旅を満喫してきてください!」と言われた直後――。ガタンッ、と車体が大きく揺れてついに動き始めた。


 柵で囲われた乗り場から離れ、屋外に出ると冷たい風が頬をかすめる。

 ヒュウゥー、という風切り音が不安を増長させた。


 あれ、これ想像以上にヤバくね?


「…………や、やっぱりやめる」

「いや、もう無理だよっ⁉」

「――嫌だッ! 降ろしてくれぇぇえ‼」

「ちょ、ちょっとやめてよ。恥ずかしいでしょ……っ」

 声をひそめながらさとしてくる悠里は化けの皮が剥がれているような気がする。


 ふと周りの乗客がクスクスと笑う声が聞こえ、俺はなんとか理性を取り戻して押し黙った。

 カタカタと音を立てて次第に体が上を向き、徐々に上昇していく。

 真下のアトラクションや人の姿が、だんだん小さくなっていくのが見えた。


 ハ、ハハハ、人がゴミのようだ……。


 気を紛らわせようとするが、地面が遠ざかっていくのを見ると震えが止まらなくなる。


「見て見てお兄ちゃん、すごい景色だよっ!」


 ――むりむりむりむり。


「お兄ちゃん? おーい、だいじょーぶ?」


 ――怖い怖い怖い怖い。


 ふいに「はぁー」と呆れたようなため息が聞こえ、顔を上げる。

「やっぱり怖いんじゃない」

「ば、馬鹿言え! 怖いわけがあるかッ!」

「さっきからブルブル震えてるけど?」

「武者震いだ!」

 俺が精いっぱい虚勢を張ると、隣で含むような笑い声が聞こえてきた。


 悠里ははにかむような笑みをこちらに向けてくる。


「――ねぇ、手つないであげよっか?」


 そして、綺麗な紅葉のような手が差し出された。


「い、いらんわ。全然余裕だし……」

「また強がって」

「強がってねーし。大体、触らないだの触らせないだのっつー規約はどうなんだよ」

「いいでしょ別に。本当の姉弟きょうだいなんだから」

「やーい、うるさいッ! 黙っててくれ!」

「まったく、可愛くない弟ね……」


 言いながら悠里は「えいっ」と俺の手を強引に握ってきた。

 すぐに振り払おうとしたが、握られた手からは逃れられない。


 抵抗をやめると、悠里がにやっといたいけな笑顔を見せた。

「これで怖くないでしょ?」

 その表情はずっと心の奥底にしまっていた記憶を呼び起こさせる。


 俺は面映おもはゆさを誤魔化すように顔をそむけようとしたが、周囲に広がる絶景に視線を移すことができず、あたふたしてしまう。


 な、なんだよ。今さら姉っぽいことしても――。


 その瞬間、車体が約一〇〇メートルの高度から急降下した。


「んぎゃああああああああああああああああああ」


   ◆


 ――し、死ぬかと思った……。


 俺が四肢ししを投げ出すようにベンチでぐったりしていると、すっと悠里が水を差し出してきた。どうやら近くの自販機で買ってきてくれたらしい。


 悠里はぷくっとあざとく頬を膨らませて、顔を覗き込んでくる。

「もぉう、無理するからだよ?」

「……うっせー」

 俺は残った気力を振り絞って悪態を吐き、水をがぶ飲みした。


 ――ねぇ、手つないであげよっか?


 さっきの醜態しゅうたいを思い出すと、無性に暴れ回りたい衝動に襲われた。今すぐ壁に頭を打ち付けて記憶を抹消したいが、そんなことをしたらここから追い出されてしまう。


 くそォー、完全にジェットコースターをあなどっていた……。もう二度と乗らんぞ。

 だが、まあいいとしよう。目的の記念写真はちゃんと撮れたはずだ。

 それさえ手に入れば、俺の死は無駄じゃなくなる。


 俺はフラフラとした足取りのまま、ジェットコースターの出口付近に設営されたテントに向かった。ここでさっき撮影された写真を購入することができるらしい。


 ジェットコースターの整理券を出すと、スタッフの人が焼きあがった写真を見せてくれた。

 その写真には満面の笑みで両腕を上げる悠里と、左手を掴まれてミイラのように生気を失った俺が映っていた。ほとんど心霊写真みたいだ……。


「んぬぬぬぬ……」


 俺がなんとも言えない感情でその写真をじっと睨み付けていると、スタッフのお姉さんが苦笑いを浮かべていることに気が付き、慌てて財布を取り出す。


「い、一枚買います……」


 そう言った途端、悠里が隣からぐいっと写真を覗き込んできた。


「待って、あたしも欲しい」

「は?」

「いいじゃん、せっかくの思い出なんだし」

「……や、まあいいけどさ」


 思わず了承してしまった。

 悠里のその行動は妹としてか、それとも姉としてなのか見分けることができない。


 というか、コイツの黒歴史にならないと俺がわざわざジェットコースターに乗った意味がなくなるんだけど。

 むしろ、俺の黒歴史になっちゃうじゃん……⁉


 結局、可愛らしい動物のマスコットキャラクターがあしらわれた写真ケースに収められ、俺の黒歴史が二枚、世に流出してしまったのだった。

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