クレンザー KILL!!KILL!!KILL!!

電楽サロン

VS. ブレインジャッカー

 むせかえるような血の匂いで俺は目が覚めた。部屋の中は夜闇で満ちている。それが返って血の匂いを強めていた。

 汗の匂いまで混じってきた。俺は頭が痛くなった。最悪なときはどうするか。まずは酒だ。一杯やらないと気がすまなかった。立ち上がり、二、三歩歩いて躓いた。夜に目が慣れてくる。足元に女がうつ伏せで倒れている。ピンクと黒のフリルのブラウス姿で、チョーカーを首に巻いている。背中には楽器ケースを背負っている。奇妙な地雷女だ。

 一旦忘れよう。俺は戸棚からジャックダニエルを取り出す。グラスぎりぎりまで注ぐ。一気に呷ると喉が焼ける感覚がした。頭痛は一向にひかなかった。

 電気をつけるなり、俺は後悔した。ダイニングテーブルは斧で首を切り落としたみたいに血が飛び散っている。銃痕と血痕が壁を汚していた。

 俺はもう一杯傾ける。血は半ば凝固していて、床に俺が座った形を保っていた。

「私にもちょうだい」

 掠れた声がした。姫カットの女がいつの間にか戸棚に寄りかかっていた。暗いピンクのアイシャドウが大きな目を際立たせ、深い赤色のリップは床に倒れたせいで、とれかかっていた。額には斧で割られたような傷跡がある。それを差し引いても綺麗な女だった。

 俺はグラスを差し出す。女はボトルを引っ掴み一気に傾けた。ボトルの中身が四分の一になった。

「痛くないのか」

 俺は額を指す。

 女はスマホのカメラモードで確認し、舌打ちした。

「あんたもひどいよ」

 女は画面をこちらに向けた。頭頂部から俺の鼻の頭にかけて刃物で断ったような生傷があった。目の中に火花が散る。頭痛がひどくなった。視界が歪む。どこかの記憶。白衣の男が駅でこちらを見ている……その後ろにはウェリントン眼鏡の紳士……。

「まずいわ」

 いつのまにか女が椅子に腰掛け、天井を眺めている。

「何がだ」

「あたしとあんた、脳を半分入れ替えられちゃったみたい」

 俺は目の前の地雷女を見た。冗談を言ってるような素振りはない。

「こいつに見おぼえは?」

 女はスマホに映る写真を見せる。白衣の神経質な男が映っていた。

「駅で見かけた」

「それはあたしの記憶。こいつはブレインジャッカー。巷の人間を襲って脳を入れ替える狂人」

「なぜそんなことを」

「さあ」

 ガラスの砕ける音。南向きにある窓が破れ、ガスマスク姿の兵士がなだれ込む。数は5人。手にはハンドガンが握られている。

 すかさず女は背中の楽器ケースからソードオフショットガンを取り出し、撃った。前方の3人が吹き飛ぶ。

「とにかくブレインジャッカーを捕まえるまで、あんたはあたしの仕事を手伝わなきゃならない」

 兵士のハンドガンが床に転がる。俺はグリップを掴もうとするが血で滑ってしまう。最悪だ。自分の鈍臭さを毒づいた。

 勘づいたガスマスクの銃口がこちらに向く。引鉄に指がかかるのと同時に、女のショットガンが肉塊に変えた。

「仕事道具の使い方も覚えなきゃ」

「今のは……?」

「仕事敵。ブレインジャッカーを狙ってやってきたんでしょう」

「あんた誰なんだ」

「あたしの脳が入ってるのに聞くの?」

 女はからからと笑った。記憶に集中すると、知らない名前が出てきた。

「カナエ……?」

「そ。カブキでクレンザーやってる。あなたはキョウね?」

 俺が頷くと、彼女は続けた。

「明日、退職しようとしてた?」

「勝手に記憶を見ないでくれ」

「まあまあ。次の転職先のご紹介です」

 カナエはブラウスの下に手を突っ込み、社員証を俺に見せた。「狂人・サイコキラー! やります! 魑魅魍魎? どんとこい!」と書かれている。写真には今のカナエには程遠い地味な女が写っていた。

「要は民間の警備会社?」

「レンタル彼女より割が良いんだ」

「なんでこんな仕事を?」

「奨学金と推し」

 俺の質問をよそに、カナエは早々に玄関から出ようとしていた。

「もう行くのか?」

「500万が逃げちゃう」

 玄関を開ける。顔馴染みの宅急便の男が隣人のブザーを鳴らし続けていた。

「どうも」

「どう……も……」

 俺の顔を見るなり、男は表情を変えた。犬が天敵を見つけたように犬歯を見せつける。ナイフを振りかぶり、カナエに襲いかかる。

 カナエは男の右手を押さえ、隙だらけの腹にハンドガンの弾をぶち込んだ。起き上がる前に脳天に三発叩き込む。

「ためらわなさすぎだろ!」

 カナエは見向きもせず、男が被っていた帽子を剥がした。俺たちと同じような傷がある。割れた頭から小ぶりな脳が溢れていた。

「人の脳じゃないな」

「たぶん犬。ブレインジャッカーはあたし達を殺すために人を凶暴化させてる……」

 目の前の現実を信じられなかった。

「ブレインジャッカーはいつもサイコ手術をしてるのか」

「違う。こんなケースははじめて──」

 ぎぃいぃ……。ぎぃいいいぃ……。

 ドアが軋む音が会話を遮る。隣人、その向こう、さらに向こうも。俺たちのいるフロアの全ての扉がゆっくりと開きはじめている。

 気づいた時には遅かった。一斉にドアが開け放たれる。マンションの住人が飛び出す。額に傷跡がある。

「構わずやって!」

 カナエがショットガンを撃つ。

 背後から奇声が聞こえ、俺は振り返る。

 目の前に植木バサミを持った老人が走ってきた。毎日、ゴミ出しの甘い住人を叱り飛ばす男だった。

 俺はハンドガンを構える。右脳が熱くなる。先ほどまでの怯えがなくなっていた。心は静まり返り、獲物の脳天だけを見据えていた。

 引鉄を引く。反動を抑えきれず、わずかに上に逸れる。

 二発目で老人が崩れ落ちた。すぐさま老人の背後で何かがきらめいた。俺は身を反らす。動体視力が出刃包丁の飛来を感知した。前に倒れ込みながら、老婆の胸を撃った。俺は高揚と冷静の汽水域にいた。それも長くは続かない。

 獣ともつかない叫び声が外廊下にこだまする。

 マンションの外壁を伝って新たな住人が俺の前に現れた。俺は再び銃口を向ける。

「行くよ!」

 カナエが俺の襟を掴んで走り出す。導かれるまま、俺は階段を駆け下りる。俺の部屋は五階だ。転がるようにして一階にたどり着く。流石にエレベーターなしでは、肺が潰れそうだ。

 突然、爆音が耳を聾する。次に聞こえるのは骨が砕けるような破砕音だった。

「早く!」

 外まで走った。振り返るとマンションの入り口がなくなっていた。瓦礫が俺たちを出迎えている。コンクリートの破片と土煙が、口の中をざらつかせた。

「またC4買い直さなきゃ。あんたに脳をあげたせいで腕がなまっちゃった」

「お陰でこっちは助かったよ」

 愉快そうにカナエは笑った。姫カットが夜風を受けて揺れた。

「奴の足取りを追おっか。もう遠くまで行ってるはず……」

「いや、待ってくれ」

 俺は彼女を止めた。右脳の疼きは止まらなかった。

「何?」

「ブレインジャッカーは人を凶暴化させるのは初めてなんだよな?」

「……それが?」

「奴は何か実験しようとしてたんじゃないのか?」

 カナエは目を瞑って考え始めた。

 俺は元あった左脳と、彼女の暴力的な右脳で思考を練っていた。何かが引っかかる。狂人にしては行動に統一性があるような気がした。

「目的は本人に聞くのが一番ね」

 カナエが足元のマンホールを開けた。

 ヘッドホンをかけた病弱そうな白衣の男がうずくまっていた。

「よく見つけたな」

「あたしが実験をしたら結果が見たい。でも、ここら辺には見晴らしのいい建物はない……。だったら下で聞き耳を立ててるんじゃないかなって」

 カナエはブレインジャッカーの襟を掴んで外に放り出した。下水の臭いがひどい。男の惨めさに磨きがかかっている。

 カナエがブレインジャッカーの額にショットガンを押しつける。

「ちょ、ちょっと待って! 君たちの秘密! 僕知ってるよ!」

 カプセルを半分ずつくっつけたような目をぎょろつかせ、ブレインジャッカーは言った。

「秘密?」

「取り替えっこ、頼むやついる!」

 その時、俺の脳裏に浮かんだのは、幻覚の中でこいつと共にいたウェリントン眼鏡の紳士だった。

「そいつは男か?」

「うん!」

「眼鏡をかけてる?」

「うん、うん!」

「そいつは湿度が高くて、部下の女を平気で下の名前で呼びそうなクソ野郎?」

 最後の質問はカナエがした。

「……うん!」

 ブレインジャッカーは眉を八の字に曲げたのちに頷いた。

「間違いない。あたしの上司だ」

「なぜだ。俺の脳と入れ替える必要が……?」

「あるんだよ」

 声とともに、風を切る音がした。ブレインジャッカーの眉間から数センチのところでカナエの手が何か握った。手を開くと万年筆が転がった。

 瓦礫の上に人影があった。雲の隙間から月明かりが差し込む。記憶の通り、ウェリントン眼鏡の紳士が立っていた。

「カナエが心配なんだ」

 消え入りそうな声だった。紳士の腕が消える。焼けるような痛みが襲う。俺の両足に万年筆が刺さっていた。

 カナエが紳士に迫る。死体から取った出刃包丁を振りかざす。

「下の名前呼びは推しだけって言ったろうが……」

 紳士とカナエの間に火花が散る。

「入社して一年。君の殺人スキルは目覚ましい成長を遂げた。先月はあのブルータルジャックも仕留めた。君はこれから更に危険な現場にいくだろう。僕は……、君がボンクラと混ざって半人前になってくれればまた頼ってくれると思ったのに」

 俺は耳を疑った。この狂人はブレインジャッカーを使ってカナエを自分に依存させようとしていたのか?

 紳士が万年筆をカナエに撃ち出す。カナエは逆手に持った出刃包丁で弾き返す。すり抜けた何本かが肩に刺さる。

「君は僕の下にいてほしい、カナエ。望みなら扶養に入れたっていい」

「キモすぎ!」

 俺は両足の万年筆を引き抜いた。肉の裂ける痛みが体を貫く中、紳士に接近する。

「同感だ!」

 俺はベルトに挟んだハンドガンを引き抜き、紳士に向かって撃つ。

 至近距離から五発受けても、紳士は倒れなかった。代わりに半分に折れた万年筆を捨てた。この男、万年筆で銃弾を弾いたのか。

「お気に入りだったのに」

 紳士は俺に向き直ると、懐に手を入れる。新たな万年筆を取り出そうとした。その瞬間は一秒にも満たない。それでも十分だった。

「隙は稼げたよ」

 俺は笑う。カナエが紳士の死角からソードオフショットガンを構えていた。紳士の頭が吹き飛ぶ。

「脳を共有してると便利ね」

 お互いに流れ弾が当たらないのは脳を共有しているからだった。

「血糊も制御できるといいな」

 俺は紳士の返り血をまともに浴びて目が開けられずにいた。生臭くて最悪だ。カナエにハンカチを借り、顔を拭った。

「さ。脳の取り替えっこもこれで終わり」

 ブレインジャッカーを俺たちは見た。おどおどした顔でこちらを見かえす。

「一度取り替えっこしたら、戻せない」

 俺たちは顔を見合わせる。この地雷女に詰まった俺の右脳を思った。

「どうする?」

「こいつを連れて事務所まで……」

「えー、上司ぶち転がしちゃったし」

「……最悪だ」

 俺は考えるのを一旦諦めた。ぐずぐずの脳を叩き直すために腹に何か入れたかった。

「まずは飯にしよう。何がいい?」

「サイゼ!」

 なし崩しのまま、転職する羽目になった自分を呪う。すぐにカナエの右脳が新たな門出を喜んだ。

「あんた、意外と楽天的なんだな……」

「あんたはなんでも最悪にしすぎ」

 カナエが大口を開けて笑った。

 ブレインジャッカーを引きずりながら、俺たちは歩く。今考えられるのは、夕飯に何を注文するかぐらいだった。

 隣を見ると、カナエがいなくなっている。カナエはふらふらと薬局に入ろうとしていた。

「おい、勝手に寄り道するなよ」

「あんたの部屋もろともコスメが吹っ飛んだんだからいいでしょうが」

「だからって銃は隠してくれよ……」


 この時、俺たちは立ち止まるべきだった。そうすれば、紳士の弾け飛んだ脳が半分足りないことに気づいたかもしれない。

【完】

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