第8話『第一現成公案』第五段〔迷の中にあって悟るのは仏〕
〔『正法眼蔵』原文〕
迷を大悟ダイゴするは諸仏なり、悟に大迷ダイメイなるは衆生なり。
さらに悟上に得悟トクゴする漢あり、迷中又迷メイチュウユウメイの漢あり。
〔抄私訳〕
「迷」〈無い自分を中心として、その思いに振り回されること〉を「大悟」するのを「諸仏」〈無我に目覚めている人〉と言い、「悟」〈無我に目覚めること〉に「大迷」であるのを「衆生」〈自分を中心として、その思いに振り回される人〉と言う。これは一般には、凡夫たちが習い覚えていることと同じとされようが、これはそういうたぐいではない。
迷と悟も、諸仏と衆生も、ただ同じことであり、違いはない。だから「悟の上で悟る」、「迷の中でまた迷う」と結ばれるのである。ただ第一段の「諸法の仏法なる時節」〈森羅万象が仏法である時節〉の迷・悟、諸仏・衆生等を互い違いにして書かれたのである。
「漢」とは人である。突然人が特別に出てきたようだけれども、この人は、尽十方界真実人体(十方のすべての世界は、そのまま仏の姿であり、仏性の顕現であること)の人であり、「悟の上」を尽十方界真実人体の人と言い、「迷の中」を尽十方界真実人体の人と言うと理解すべきである。
〔『正法眼蔵』私訳〕
迷の中にあって悟るのは諸仏であり、悟の中にあって迷うのは衆生である。(迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。)
悟の上にあってさらに悟る尽十方界真実人体の人もおり、迷の中にあってまた迷う尽十方界真実人体(十方のすべての世界は、そのまま仏の姿であり、仏性の顕現であること)の人もいる。しかし、迷と悟も、衆生と諸仏も同じことであり、違いはないのである。(さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。)
*注:《 》内は御抄著者の補足。( )内は辞書的注釈。〈 〉内は独自注
釈。〔 〕内は著者の補足。
合掌
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