第6話
魔族の王を宣言したアラヤが、四魔族と魔物を使って世界に浸透し始めた夜が明け、未だその事を知らないレオンは冷たい水で顔を洗っていた。
朝早く起きて鎧を着こんで走り込む、真剣を使って素振りを行う、ただの素振りではなく常に実戦を想定した空想の相手と組み合う、そして必ず想像した相手の止めを刺す所まで行うのがレオンに朝の訓練だった。
汗を流し服を着替え朝食に向かう、オルドはすでに席に着いていて、ソフィアはテーブルに皿を運んでいた。飯を作ってくれるのはオルドの妻であるルーアであり、レオンも準備の手伝いに入った。
「あら、朝の訓練はもうよろしいのですか?」
「うん終わったよ、ルーアも毎朝ご飯を用意してくれてありがとう」
「そんな事いいんですよ。レオン様、いよいよ今日ですね」
ルーアが拳を握ってぐっと力を込める、頑張れと全身を使って伝えてくれているようだと思いレオンは思わず笑顔になる。
「ありがとう、期待に応えられるように頑張るよ」
「何を仰います。レオン様は常に頑張られています。私はずっと見てきましたよ、きっと叶います」
そう断言したルーアの目は真剣そのものだった。ますます勇気を貰ったレオンはルーアと顔を見合わせて笑い合った。
そんな和やかな雰囲気は、乱暴に開かれた扉の音が一瞬でかき消した。扉を開けたのはクライヴで、珍しく息を切らして肩を上下させている。
「オ、オルド様、今すぐご確認していただきたい事がございます」
ただ事ではない剣幕のクライヴに、オルド以外は戸惑いを隠せなかった。クライヴとオルドが家を出ようとするのをレオンは呼び止める。
「クライヴ!何があったんだ?」
レオンの問いかけにクライヴは逡巡して眉を顰める、代わりにオルドが口を開いた。
「殿下、恐らくですが懸念していた事態が起きました。殿下とソフィアも来なさい、クライヴ遠見院でいいな?」
遠見院は里の者達が交代で王国を監視する為にオルドが新しく組織した偵察所だった。クライヴは頷き、急いでと言った。ルーアに詫びを言いレオン達は飛び出した。
遠見院内は大騒ぎになっていた。交代で常に見張りを続けていた職員達は総出で観測を続けている。映し出されている映像から見えるのは異形の怪物、見たことのない恐ろしい何かが、人を、動物を、建物や田畑、文明を殺して蹂躙している。
「こ、これは一体?」
レオンは思わず言葉を飲んだ。それが現実とは思えずにいる。
「オルド様、これが例の魔物で間違いありませんか?」
「うむ、儂もこの目にするまで信じられなかった。だが、文献にあったものによく似ている、雰囲気も姿形も身から放つ魔力も相違ない」
クライヴとオルドのやり取りをレオンが訳も分からず見ていると、ソフィアが袖を引いた。
「レオン一度出ましょう、私もある程度説明できるから」
ソフィアに促されてレオンは共に外に出た。
「それで、あれは何だったんだ?」
「あれは恐らく魔物、大昔魔族が従えたとされる怪物だと思う」
魔物、レオンは伝承や伝説としてそれを知っていたが、実際にどの様な姿形をしているのかは知らなかった。あれが魔物だと言われてもレオンにはいまいち現実味がなかった。しかし、これではっきりしたと思った事もあった。
「魔族は完全に力を取り戻したと言う事だな?」
レオンの言葉にソフィアが言葉を詰まらせる、どう答えたものか分からないといった様だった。
「完全にと言うと違いますな、しかし事態が急変した事は事実です」
問いに答えたのは建物から出てきたオルドだった。クライヴも後から続いて出てくる。
「道すがらお教えしましょう、殿下剣の前まで行きましょう」
オルドに言われるがまま三人は後に続いた。
「儂とソフィアは古代の文献を当たって魔族について調べました。その中で魔族が従える魔物と言う怪物が記述されているのが何件か見つかりました。どういう関係性なのかまでは判明しませんでしたが、魔族と魔物が共生協力関係にある事が推測されます」
歩きながらオルドが話す。ソフィアもそれに続く。
「魔族は皆外見は人と変わらないけど、魔物は多種多様な姿かたちをしていて、異形のものであったり既知の生き物と似通っているものも居たそうよ。だけど魔物に共通しているのはおよそ知性と理性を持ち合わせていない事、暴れて破壊し思考を持たない種類もいたと書かれていた」
魔族が現れると魔物も現れる、そして魔物は魔族の雑兵として扱われていようだと聞かされる。
「魔族は一人一人が強力無比な力を持ち合わせていて、魔物を指揮する事は少なかったそうです。好き勝手に暴れさせて無差別に破壊活動を行わせる事に使われていました」
剣の封印の前まで来ると、四人は止まる。
「それで魔族は完全に力を取り戻した訳じゃないと言うのは?」
レオンが聞くとオルドが答える。
「魔族の事を今まで調べ続けてきました。完全に力を取り戻したのであれば、被害はこの程度では済みません。もっと凄惨なものになっている筈です」
あの光景がまだ序の口だと知ってレオンは唖然とする。
「しかしこれは好機でもあります。魔物の出現は予想していましたが、規模は想像より遥か小さいです。それにまだ魔族を確認していません、封印を解いたのなら魔物だけでなく魔族の出現もさらに確認される筈、それが無いと言う事は魔族にとって思わしくない状況なのかもしれません」
「攻勢に出るなら今だと?」
「はい、各国を回り神の加護と神器を賜る旅路に出るのは今かと存じます。魔物が出現した今、世界は混乱に陥ることでしょう、その分危険も多くなりますが、王子自らが出向いて魔物を討ち果たし、団結を促す事ができるチャンスでもあります」
確かにオルドの言う事は正しいと思った。しかしレオンはオルドがあえて指摘しない点を見抜いていた。言外にこれ以上の猶予が無いとも言っているのだ、成長を待ち宝剣を手にした時、世界が無くなっていれば意味がない、そしてここで動けずに魔族に時間を与える事は、さらなる力をつけさせる事にも繋がる。つまりレオンが今ここで宝剣エクスソードを抜く事が必要なのだ。
レオンは黙って前に出る、大樹は呪文を必要とする事なく剣への道を開けた。台座に突き刺さる宝剣は、前回見た時より強く光輝いていた。それはまるで剣が持ち主を待ち望んでいるかのようで、迫る危機に呼応しているようだった。
剣の前に進み出たレオンをクライヴとオルドは心配そうに見つめている、しかしソフィアだけは確信めいた予感をしていた。レオンは今日剣に選ばれる。そして否が応でも世界を託される事になるのだ、ソフィアはその事を心配していた。しかしソフィアは誰が止めようともレオンは運命をつかみ取るだろうとも確信していた。星の神子たる彼女は祈りながらレオンの背を見守った。
レオンはゆっくりと剣の柄を握る。溢れ出す力の奔流が全身を伝う、熱い寒い苦しい、流れ込む力が全身をぐちゃぐちゃにかき乱す。しかしレオンはそれを無視した。今ここで引くつもりはない、剣がいくら自分を拒もうとも、そんな事は関係なく今ここで自分が剣を選び取り掴むのだと決心していたからだ。全身が限界だと悲鳴を上げる、それでもレオンは手を離す事なく宝剣エクスソードを引き抜いた。
レオンはいつの間にか何もない暗闇の中に居た。確かに今剣を引き抜いた筈なのに一体何が起きたのかと思っていると、小さな光が目の前まで飛んできた。
「殿下、お久しぶりでございます」
その声をレオンはよく知っていた。
「もしかしてアクイルか?」
光は一際強く輝いて、徐々に人のような形に変わり在りし日のアクイルになった。
「ご立派になられましたな。恥を忍んでお会いに来ました」
アクイルはレオンに向かって深々と頭を下げた。
「いやそんな事ない、まさかもう一度会えるとは思わなかった。それに実は俺アクイルに起きた事を夢で見たんだ」
「そうでしたか、お恥ずかしい限りです」
もう一度頭を下げようとするのをレオンが止める。
「いいんだ。やめてくれアクイル、悪いのはあの魔族だ。それよりここは何処なんだ?何故ここに居る?」
「ここはエクスソードの力の中、私は実はもうこの世にはいません。ここに残っているのは私のわずかな後悔の欠片、エクスソードに拾い上げられてここで殿下をお待ちしていました」
アクイルはそう言うと、何もない暗闇を指さした。するとそこに映像の様なものが映し出された。それはレオンが夢で見たあの父ルクスとのやり取りの場面だった。
「私は心の弱さに付け込まれて魔族に復活する機会を与えてしまいました。ここで魔族が言っている嫉妬の感情があった事は事実です」
「そんな、だからといってアクイルが悪い訳じゃ…」
「いいえ、殿下。私の心の弱さがこの事態を招いたのです。それは認めなければなりません。王ルクス様は私の親友でもありました。王は、ルクスは私と同じ学校に通っていました。私は勉強は出来たけど根暗な奴で、いつも教室の隅に居た。そんな私に声をかけてくれたのがルクスでした」
レオンは父ルクスとアクイルが友人という事は知っていたが、どのような経緯でその間柄になったかは聞いたことが無かった。
「ルクスは人気者でした。自分が次の国王だとは微塵も感じさせず、誰にでも分け隔てなく友好的に話しかけ、誰とでも手を取り合う事の出来る人だった。喧嘩があれば仲裁に入り、不和があれば自らが解決に乗り出す。いつでも人の輪の中心にいるような輝きを持っていました」
アクイルがルクスの事を語っている顔はとても嬉しそうで、目を輝かせていた。
「私は隅でそれを見ているだけでも誇らしく思えました。自分が住んでいる国の王が彼ならば何も心配いらないと思っていました。そんなある日、彼が私にこう声をかけてくれたのです」
アクイルがもう一度暗闇を指さすと、若かりし頃のルクスが幻影として現れた。
「君がアクイルだな、俺はルクス。いつも成績トップに名前のある君の事が気になっていたんだ。よかったら君の事を教えてくれないか?」
その隣を指さすと若かりしアクイルが現れた。
「そ、そうだけど、君みたいな人が僕なんかに話しかけてもいいのかい?」
「ん?よく分からないが、俺は君の話が聞きたい。あまり迷惑なようなら諦めるが、そうでなければ聞かせてくれないか?」
アクイルは手のひらを拭き取るように動かして幻影を消す。
「この事が切っ掛けになり、私とルクスは仲を深めていきました。最初こそルクスに振り回されていましたが、明るくて意志の強い太陽のような人柄に惹かれて、私も次第に周りに溶け込めるようになりました」
「二人は強い絆で結ばれていたのだな」
レオンの言葉にアクイルは嬉しそうに頷いた。しかしその後顔を曇らせて話を続けた。
「私は自然と彼の力になる事を志して、国の宰相にまで上り詰めました。ルクスも大変喜んでくれて、私も力の一助になれる事が嬉しかった。しかし私は彼に近づくべきではありませんでした」
「それは一体何故?」
「国王ルクス様は眩しかった。一緒に遊んで転げ回っていたあの頃とは比べようもない程に立派でした。私は彼と並び立ちたかった。だけどその気持ちが私の心に焦りを生み、次第に嫉妬心が燻り、その感情を魔族に目を付けられて付け入る隙を与えてしまった。気付いた時にはもう手遅れで、私の知らない所で私の体を使い好き放題に国を荒らされていました。感づかれないよう巧妙にね」
アクイルは悲痛な面持ちで肩を落とした。後悔と自責の念を強く感じ取れる様子にレオンは言葉が見つからなかった。
「私の体を乗っ取った後の事はご存知の通りです。国王であり親友でもあったルクス様を処刑し、私は絶望の末体を完全に魔族に乗っ取られ、愛する国が崩壊していく様をただ見ている事しか出来ませんでした」
「アクイル…」
「殿下、私が今ここに居るのには訳があります。お伝えしたい事があります。その為にエクスソードの力をお借りしたのです。魔族は私の体を捨て、より強力な存在に変化を遂げました。自らを魔族の王と称し、魔王アラヤと名を改め、封印から四人の魔族を解放しました。このままでは世界は魔物に飲み込まれ、魔族の力による支配が達成されてしまいます。この宝剣エクスソードはただ強力な力を持つだけではなく、世界を一つに纏め上げ、その導となる為に存在するのです。どうかこの剣を持って世界を、オールツェル王国をお救いください」
それを言い終わると、アクイルの体が段々と薄れていき光の粒になって消え始める。
「アクイル、消えてしまうのか?」
「元々私は後悔の残滓、役目を終えた今ただ消えるのみです。最期に貴方に会えてよか…った…」
光の粒が闇に溶けて消えた。辺りの風景はすっかり元に戻っており、レオンの手には宝剣エクスソードが確かに握られていた。
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