オールツェル王国戦記
ま行
第1話
豪雨、暴風、雷鳴、足場には盛り上がった木の根が張り巡らされ真っ直ぐに進む事もままならない、それでも騎士は馬を駆り脇目もふらず走る。後方からは、かつての同胞である騎士団の仲間たちが、王子と神子の命を狙って追走してくる。矢が飛び魔法による火炎弾が襲い、あらゆる手段で騎士達を殲滅せんと攻撃を仕掛ける。騎士は攻撃を躱し、時には木々を的にすり替え、何としてでも前に進む。
「クライヴ、大丈夫なの?」
王子は騎士をクライヴと呼び心配する。
「ご心配には及びませんレオン王子、それよりも私の体の陰から身を出す事の無いようお願い申し上げます」
クライヴはその恵まれた体躯で王子達を庇いながら、馬を走らせている。
「ソフィア様、精霊の隠れ里まであとどれ程ですか?」
「もう少しです。あそこまで辿り着く事が出来れば、追っ手から逃れる事ができます」
ソフィアと呼ばれた少女の言葉を聞き、騎士は馬の足を止める。
「ならば私はここで敵の攻撃を食い止めます。ソフィア様、レオン王子を連れて隠れ里までお逃げください」
騎士は背中に留めていた大剣を抜き、それを構えた。
「駄目だクライヴ!危険すぎる!」
レオンは叫ぶ。
「大丈夫です。私はあの程度の敵に後れを取る事はありません。すぐに私も追いつきますから、今はただお逃げください」
クライヴはソフィアに目配せをする。それを感じ取ったソフィアはレオンの手を握って走り始めた。
「ソフィア駄目だ!クライヴが!」
「勘違いしては駄目!あなたを逃がす事が彼の使命なのよ!クライヴ様なら必ず敵を討ち果たし追い付いて来る、今はただ信じて走るの!」
レオンは口惜しそうに顔をしかめ、それでも前を向いて神子のソフィアと共に走り出した。後方で激しい戦闘音が聞こえてきても、決して振り返る事なく走った。
二人は力の限り走った。息が切れ、肺が痛い、途中からレオンがソフィアの手を引いて走る。クライヴの事が気になっても止まれなかった。
「レオン!ここよ!ここに入口がある!」
ソフィアの叫び声にレオンは足を止める、しかしそこは何もないただの空間が広がっているだけだった。
「ソフィア何もないぞ!どうすればいいんだ?」
レオンは焦って辺りを見渡すが、ソフィアは逆に落ち着きを払ってゆっくりと前に歩き出た。胸の前で手を組むと、精霊の隠れ里につながるための呪文を唱えた。すると何も無かった空間に白く輝く霧が立ち込めて、蜃気楼のように精霊の里がそこに浮かび上がってきた。
「さあ早く!」
ソフィアに手を引かれレオンはその蜃気楼の中へと入っていく、二人の姿が消えると、輝く霧もあっという間に消え去り、また何もないただの空間へと戻った。
この日、栄華を誇る歴史ある大国オールツェル王国は滅亡した。偉大なる国王は処刑され、王妃は敵の手に落ちた。これより世界は混沌に陥り、魑魅魍魎が跳梁跋扈する闇の歴史へと塗り替えられていく、魔を打ち払い王国を取り戻し、世界に光を取り戻す運命は王子の手に委ねられる事となった。
事の始まりは神子ソフィアの神託から始まった。国内に不穏なる影あり、古代より封印されし魔族復活の兆しあり、国王はこの神託を聞き入れすぐさま五大国に密書を送った。
五大国とは、かつてオールツェル国王を盟主として魔族と戦いを繰り広げた五人の王の血脈に連なる国々である。
緑豊かな豊穣の樹海を治めるエルフの国フィオフォーリ、国土のすべてが森林に覆われていて、長命の種族エルフが治める。
火炎が盛る火山活動が活発なマグマの国ウルヴォルカ、火の扱いと鍛冶製鉄技術に優れている、ドワーフの王が人間と共に生きる火の国。
大地に大きく空いた洞グロンブ、精霊の王とノームが多く暮らしていて、宝石とそれに類する魔力と魔法が発展している。
すべての鉱石を産出する結晶の国クリスタル、竜人の王はここで採れる鉱石と結晶の研究をエルフと共同で行っており、魔法との親和性の高い結晶のお陰で魔法学が他国より飛びぬけている。
海上に巨大な国を造ったメアラメラ、国土のほぼすべてが海に囲まれていて、豊富な海産資源と天然の要害に守られた強固な大国。造船技術にも優れており、海底の人魚王国と唯一国交を結んでいる。
この五大国はそれぞれ細かな諍いや折衝を繰り返しながらも、オールツェル王国がそれぞれの国を取り成し、和平を保っていた。王国はかつての魔族戦争の際に他種族を纏め上げ魔族を封印した立役者であり、その類稀なる統率力は代々の子孫に受け継がれ、盟主としての力を存分に発揮して王たちのリーダーに君臨していた。
オールツェル王国は五大国の真ん中に位置しており、国土の広さもさることながら、五大国から訪れる他種族が一緒に暮らしていて、それぞれの国の特色が集められそれを発展させてきた。オールツェル王国は魔族が封印された土地の上に建国されていて、その守護を担う為の屈強な騎士団に、外世界との親交を断絶している精霊の隠れ里から神子を遣わされる等、特殊な条件が重なりながら、それらすべての清濁併せ呑む大国であった。
聡明な国王はすぐさまもっとも信を置く宰相に、秘密裏に国内の事情を探らせ、変化があればつぶさに報告するように求めた。宰相も指示を受け調査に乗り出し、騎士団もそれに付き従った。
だが調査を続けど進展はなく、さらには五大国に送った筈の密書の返事が待てども訪れなかった。国王は何かが起きている事を察知して、王子と神子の護衛に、近衛隊から王国最強の騎士であるクライヴを警護に付けた。
不穏なお告げにも関わらず、何も起こらないという異常事態に、国王は自ら寝食を削って調査し、有事に備える為の指示や手配を関係各所に施し続けた。そしてついに国王は魔族がどう復活を遂げるのかを突き止めた。
長きにわたる封印は魔族を完全に封じ込めてはいた。しかし、長い時間をかけて少しずつ力を取り戻してきた一人の魔族は、心の内に乗り移り精神を食む手法を編み出した。封印をすり抜け少しずつ宰相と騎士団の精神を乗っ取った。国王に相対する時には完全に心の内に隠れており、表に出る事なく潜伏を続けて暗躍を重ねた。書状を握りつぶし、調査内容を隠匿し、全兵力の心根を乗っ取った。
国王が突き止めた時にはもう遅かった。周りの味方はすべて魔族に心を乗っ取られて、宰相が中心の軍事クーデターが勃発、国王は捕らえられ処刑王妃は幽閉された。国民は国から出る事を許されず、オールツェル王国は完全な鎖国状態と陥った。
王子と神子に付いていたクライヴは、事が起こった時すぐに行動を始めていた。国王はすでにクライヴに何か起きた時には精霊の隠れ里に逃げ込むように指示をしていた。王子レオンと神子ソフィアの身を隠し、騎士団の手によって封鎖されている城門を力尽くで突破した。
「そうか、その様な事が起きたのか」
事の顛末を王子と神子、そして神子が持っていた国王からの手紙で知った隠れ里の長老オルドは悔しそうに呟いた。
「とにかく、二人共よく無事にここまで辿り着いた。殿下も大変お辛いでしょうが、辛抱なされよ」
「ありがとうオルド、だけどまだ安心はできない。クライヴはまだ戦っている筈なんだ、無事でいてくれればいいが」
レオンは祈るように言った。追っ手は大勢に及んでいた。例えクライヴが強い事を知っていても一対千以上の撤退戦を無事に切り抜ける事が出来ると楽観視する事はできなかった。
「レオン、大丈夫、クライヴ様を信じましょう。必ず追いつくとクライヴ様は言ったのだから、必ずここに辿り着くわ。私はそう信じてる」
ソフィアがレオンの手を握って言った。レオンはその手が小さく震えているのを感じ取った。レオンとソフィアは同じ日同じ時間に生まれて、王子と神子であり、幼馴染でもあった。妖精の隠れ里から王国に来た時にはお互いまだ幼く、何をするにも一緒に遊ぶ仲だった。普段のソフィアは勝ち気で快活、我儘な所もあるが天真爛漫で、人一倍繊細で優しい心の持ち主であった。
「そうだなソフィア、ありがとう。俺が信じてあげないといけないよな」
ソフィアの手を握り返してレオンは言った。クライヴは王国最強の騎士、その揺るぎない事実をレオンは知っている。信じるには十分だった。
暫く無言と静寂の時間が続いた。何かを喋る気にならなかった。
「長老!来てください!」
そんな静寂を打ち破るように扉が開いた。レオンとソフィアが飛び跳ねるように駆けだして、オルドはそれに続いた。
「クライヴ!」
レオンはクライヴの姿を見て飛びついた。ソフィアはクライヴの姿を見て安心したのか、その場にへたりと座り込んだ。
「遅くなって申し訳ありません。少々手間取ってしまいましたが、討ち洩らしなく殲滅してまいりました」
「へっ?」
「流石に逃げる者を追う事は叶いませんでしたが、それ以外の敵はすべて切り捨てて参りました」
碌に手傷を負っていないクライヴが、大真面目にそう言うので、レオンとソフィアは緊張の糸が切れると共に、ソフィアもレオンと一緒にクライヴに抱き着いた。
「お二人共、泥と血まみれで汚いですから、お離れ下さい」
二人に抱き着かれておろおろと困り果てるクライヴをレオンとソフィアは構わず強く抱きしめた。
オルドはその様子を見てほっと胸を撫でおろしたが、魔法によって映した王国の姿を見て顔をしかめた。王国の上空は黒雲が漂い、至る所に瘴気が立ち上り始めていた。魔族復活を知らしめる狼煙の様に黒く蠢く瘴気は、見る者すべての心を乱すかのような暗く重い雰囲気を纏っていた。
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