久しぶりの感覚
少しほこりの掛かったラケットケース。
それを徐に縁側に置くと、簡単に手で払う。
空中に舞う誇りの多さには驚きを隠せない。ただ、それだけ長い間手に取らなかったのだと改めて実感する。
チャックを開け、手に取った赤いラケット。握るグリップの感覚。その重さ。
その全てが懐かしく、同時に怖さも感じる。
少し……やってみようかな。
日曜日の昼下がり。
俺はそんな事を考えながら、家の庭に立っていた。
キッカケは、昨日の出来事だと思う。ここ数日続いていた悪夢と美由の言葉。
その2つが上手くは言えないけど、妙に噛み合った気がしたんだ。
確かに、前までテニスは俺の一部だった。それが突然消え、心底悲しかった。
どうすれば良いのか分からず、不安に掻き立てられたんだ。
そんな時、救ってくれたのは……あの3人の存在。
優しく明るい空気に触れ、いつしか必然と感じていたテニスの存在が消え去った。
家族への信頼感。
あの夢をまた見る様になったのは、それらを確実に感じられるからなのかもしれない。そう思った。
父さんだけじゃない。あの3人が居る……天女目家なら、もう1度テニスが出来るんじゃないか。怪我をしても、辛いリハビリだって乗り越えられるんじゃないか。
「ふぅ」
1つ息を吐くと、俺はテニスボールをトス。
そして、実に数年ぶりに……ラケットを操った。
トンッ
トンッ
お手玉の様に何度もボールを打ち上げる。ラケットに感じるボールの衝撃。そのどれもが懐かしく感じる。
……痛みはないな。じゃあ次は……
トンッ
トンッ
ラケットでボールを打ち上げ、すぐさま裏面に切り替える。
捻じる様な動作は、怪我をした時にはかなりキツかった。
……痛くない。
久しぶりなのか、そこまで激しい動きじゃないからなのか……ひじに痛みはない。
そりゃ準備運動程度の動きだもんな……
「おっ! お兄ちゃんどしたの? テニスラケットなんて出して」
そんな懐かしさを噛み締めていた時だった。窓の方から聞こえる声の方へ視線を向けると、そこには美世ちゃんが立っていた。
そういえば、今日は珍しく高校のチア部だけ日曜練習だって言ってたな。
「まぁ何となく懐かしくなってさ?」
「そっかぁ。なんか久しぶりに見たなっ。お兄ちゃんラケット持ってる姿」
「そうかな?」
「あっ! 私も久しぶりにやってみようかな?」
「ケースにもう1本入ってるぞ」
「了解っ!」
こうしてケースからラケットを取りだした美世ちゃんが、サンダルのまま庭に到着。
対面に立ちながら、俺達はラリーを始めた。
「とりあえずノーバンラリーで良いかな?」
「おっけー! でも久しぶりだしな……」
「美世ちゃん運動神経良いから大丈夫だろ。ほらっ」
「そんな事……よっと!」
ボールを打ち込む音が、庭に響き渡る。
……流石だな。
2人はもちろんテニス部に入った事はない。ただ、父さん達が正式に再婚する前から良く遊んではいたんだ。それも、俺に気を使ってテニスを選んでくれる事が多かった。
ただ、美耶さんを始め美由も美世ちゃんも運動神経が良いんだろう。少し教えただけで普通にラリーをする事ができ、サーブだってスピードは遅くても確実にコートに入る様になっていた。
そんなテニスの記憶が、体に染みついているのか……久しぶりと言っていた美世ちゃんは、いとも簡単にラリーをしている。
「いやぁ~久しぶりだとなんか緊張しちゃうねっ」
「でも、ボール落とさない辺り流石だよ」
「へへっ。そう? じゃあ、折角だし昔言ってたテニスコート行かない?」
昔言っていたテニスコート。近くの公園で貸し出しているコートの事に違いない。
遊ぶと行ったらそこが定番だった。
「……そうだな。行くか?」
「えっ? ホント!?」
ポトッ
「あっ……」
「はい。美世ちゃんの負けね?」
「ちょっ! 今のはずるいよぉ」
「はいはい。でもまぁ、早速準備しないとな?」
★
「……って事があったんだよっ?」
晩ご飯の一幕、美世ちゃんは今日の話を惜しげもなく披露している。
いやいや、美世ちゃん。流石に言い過ぎでは……
「へぇ……美世と2人でテニスねぇ……」
ほっ、ほら見てみろ! 美由のやつ目が笑ってないぞ? てか、見るな! 俺を見るなっ!
「でも流石に、タンクトップはまずかったかな? 打つたびに肩からずれちゃってさ。昔は普通に出来てたのにっ」
……確かに昔は良くタンクトップ姿でテニスしていたよな。けど、まさかあそこまでずれるとは。
打ちこむ度に、その胸が揺れタンクトップが肩からずれる。そんな光景が多かった。
いや、タンクトップだと余計にその大きさが際立ってたよ。しかも水色のブラジャーまでチラチラ見えてたし……気が気じゃなかった。
「もうっ、美世ったら。あれから結構経ってるものねぇ」
「そうだな」
その通り美耶さん。服装についても色々指導してやって下さい。
スカートなんて履いて来て、俺の言う事なんて聞きやしないんです。見せパンとはいえ、そっちもチラチラ見えてたし。
「スカートもヤバかったなぁ。あんなに動くとは想定外だったよっ。普通のパンツ履いてっちゃったしっ」
……はっ?
「お兄ちゃん? 見えちゃった? にししっ」
「いっ、いや? 全然……」
マジか? あれ普通の下着? 見せパンじゃ……なかったの?
「へぇ……ブラにパンツ。それを凝視する空くん。へぇ……」
だっ、だから! 俺を見るな! 美由っ!
「汗も凄かったよねぇ。もしかして透けちゃってたっ?」
おっ、おい。美世ちゃん! 後はもうしゃべらないでくれ! 君じゃなく俺の命の危機が……
「へぇ……」
訪れようとしてるんだけどっ!!
「なぁ空?」
「なっ、何? 父さん?」
なっ、ナイス父さん! 話題逸らしのタイミングが完璧すぎる!
「もし、その……もう1度テニスしたいなら、ちゃんと見てもらってからの方が良いんじゃないか?」
「そっ、それは……」
「お前がもし、本気でテニスと……怪我と向き合うなら、知り合いを紹介する」
「えっ?」
「ただし、知り合いを紹介する以上……指示は絶対だぞ? 昔の様に嘘は付けないし、付こうとするな。その覚悟はあるか?」
……父さんの知り合い。
仲が良いからこそ、誤魔化しは利かない……か……
ここはある意味ターニングポイントなのかもしれない。
俺にとっての……大事な決断だ。
「父さん、俺……」
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