第9話 顛末
扉の向こうに広がっていたのは――死体だった。 心臓をナイフで一突き、といった感じだろうか。案外、身体に傷が付いていないように見える。そういったこともあってか、まだ生きているようにも感じさせる。まあ、血色は全くなく青白くなってしまっているのだから、どう考えたって死んでいるのだけれど。死んだ後にこう他人に死体を見せられてしまうというのは、存外どういう思いなのだろう――遺族は嫌がっているに違いない。或いは、見つけてくれて有難いのかもしれないけれど、それは実際に聞いてみないと分からないだろう。
しかし、良く腐っていなかったものだ――本来、こういった場所に放置されていたならば、ある程度腐っていてもおかしくはないだろう。それとも、消毒液の臭いがきついのはそれが理由か? もしかしたら見えないところは腐っているのだろうか。そういや、死体は見えないところが腐っているケースが良くあるらしく、実は臭い消しが相当な役割を担っているケースがあるとかないとか。確かエンバーミングって言ったっけな、お偉いさんやお金持ちが使うような死体保存方法とかあるけれど、あれもかなり凄いらしい。何でも死体なのにまだ眠っているようにも感じられるとか……。死んでいるはずなのに頬ずりしても問題ないし、何なら感染症で死んでしまったとしてもウイルスを除去出来るから普通に触ることも出来るらしい。それにしても、技術というのは凄い進歩を遂げているようだけれど――このエンバーミングだって元を正せばエジプトのミイラ製造技術が元祖でもあるので、そう案外技術も発展していないというか、枯れた技術の水平思考とはこのことを言うのかもしれない。
「いや、しかし……良く腐っていなかったものだね。もしかして、このトイレがひんやりしているのもそれが影響している?」
「廊下のクーラーが効き過ぎているのかもしれないな……。電気代が高いと思っていたけれど、よもやこんなことになっていたとは……」
まあ、確かに電気代が高いなと思っていたら、実は死体保存に一役買っていたというのなら、そりゃあ驚きもあるだろう。
「でも……、何処に幽霊が?」
「何を言っているんだ、たーくん。居るだろう、目の前に」
目の前?
死体ばかりに目を向けていたけれど、もしかして何かあるのか?
そう言われて上を向いてみると――確かにそこに居た。
「……やっと気付いてくれた。気付いてくれた……!」
下に居る死体と同じ服装をした存在が、そこには居た。足は消えかかっていて、浮いている。つまりは、幽霊だということだ。こういう存在は幽霊の基本的要素を満たしていると言えよう。
「しっかし、幽霊にしちゃあハイテンションな感じはするがね……」
「別にハイテンションになっても良いじゃない。あたしを見つけてからは皆見ないふりをするんだもん。酷いと思わない? 何であたしのことを見てくれないんだ、何であたしを見ようとしてくれないんだ……って思ったよ。どうしてだと思う? 誰か、答えを教えてくれないかな」
そりゃあ、答えは分かり切っていることだろう――。
「それは、きみが幽霊だからだ」
そう、こいつはそれを言い切っちまうんだ。
たとえ言いづらいことであろうとも、こいつには関係ない。何故なら、こいつは心霊探偵だからだ。幽霊専門の探偵であるこいつは、解決のためならば全力を尽くす――まあ、エンジンをそこまで掛けるのが大変なのだけれど、それがぼくの仕事でもあったりする。仕事、というか趣味というか。正直、給料を貰っても良いような気はするけれどね。
「幽霊?」
「そうだ。きみは自覚しているのかどうか知らないけれど……、死んでいるんだよ。きみはこの世界にもう生を受けていない。確かに生きていた時代もあったろう。けれども、今は死んでいる。死んでいるんだよ、死んでいるということは生きていないということだ」
かつての大臣構文を言わなくても、きっと理解はしてくれるだろうよ。
「幽霊は……、幽霊ってことは……、死んでいるってことなの?」
幽霊というのは、もし未練があったなら一生そこに留まることになってしまう――良く地縛霊と言うカテゴリがあるけれど、それがそうだ。そうなってしまったなら、先ずはその未練を解消してあげなくてはならない。解消することで、成仏してくれるのだ。
そういうことだから、この幽霊も成仏させなくてはならないのだろうが――しかし彼女の姿はゆっくりと消えつつあった。
「……もしかして、見つけてもらえなかったことが未練だった、ってことか?」
「分からない……、分からないけれど、見つけてくれたのはとっても嬉しいな。今までは誰も見て見ぬふりだったから……」
それはきっとマリサも含めてのことなのだろう。ともあれ、マリサのことを叱ることも出来やしないだろう。当たり前と言えば当たり前だが、幽霊を見て驚いてしまわない人間など居やしない。そうして、幽霊に対して拒絶や恐怖心を抱いてしまう人間だって、当然ながら居る。マリサがそういう人間であった、というだけだ。
だから、これは致し方ないことだ。
しかし、その幽霊を成仏へ導けたのならば――このプロセスもまた、悪くなかったのかもしれないけれど。
「あたし……死んでいたんだね。だから、こうやってちょっとは有頂天な気持ちでいたのかな?」
いや、それは違うと思うけれど……。
幽霊だから文字通り天に昇る気持ちだった、というのならそれはそれで幽霊ジョークとして心の中で笑うことぐらいはしてあげるけれど、有頂天かどうかと言われると、それはちょっと違うんじゃないかなあ、多分。
「きみはこれから成仏することになるだろう。その先の未来は分からない……。だから、きみの身体は、きみの亡骸は大事に奉ってあげよう。今までは誰にも見つけられなかったんだ。先ずは家族を――きみが何者であるかを探さなくてはならない」
心霊探偵の、腕の見せ所だ。
心霊探偵は、幽霊専門の探偵である――つまり幽霊に出会ったのならば、その力を発揮する。
言い方は悪いが、それまではただの人間だし、他の探偵のそれと比べて頭脳は明晰でも何でもない。
けれども、そのジャンルに特化した探偵というのも、別に珍しい話でも何でもない。
ただ愚直にやっていくだけに過ぎない。
探偵というのは、時に泥臭く活動する仕事でもあるのだから。
「……分かった。誰だか分からないけれど、最後に出会えたのがあなたで良かったような気がする。有難う、ええと……」
「探偵だ。それだけで構わない」
せめて名前ぐらいは言ってやれよ。
きっとあの世では知名度ナンバーワンだぞ、多分。
「探偵さん、どうも有難う!」
まるでヒマワリのような笑顔をして。
一人の少女の幽霊は――完全に消失した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます