135.侵略軍の帰還

 ゼブラ侵略軍の帰還路は順調だ。旧ゼブラ公国領に限れば、元より攻撃される理由も少ない。

 ペガシャール国内と違って、この国はおおよそ平穏な統治をしていた。だから、盗賊が周辺を跋扈しているということもない。

「神を見限った先がこれとは、皮肉だ。」

コーネリウスは口内で、声にあまり出さないように呻く。しかし、耳ざとくもグリッチはそれを拾い取った。

「それは、神の力なく負けた私たちへの皮肉ですか?」

「こうなるのがわかっていて、それでも貴殿らはペガシャールから離れたのではないのか?」

「……。」

グリッチが押し黙る。このまま、「いつか必ず訪れる」神に縋る未来は危ういと思っていた。だから、グリッチの祖父はペガシャールから離れたのだ。


 予想外でも何でもない。こうなることは、『神定遊戯』の歴史を紐解けたものなら誰でも知っていることだった。……それほど。現実として力が振るわれなくとも存在感を主張していたもの、それが『神定遊戯』……神が貸与する力だったのだから。


「さて、グリッチ。もうすぐ我らが都、ディマルスに到着する。覚悟は、決まっているか?」

コーネリウスが高圧的に問いかける。兵士たちへの手前、こうして上下関係を誇示するように話さなければ、コーネリウスが他から舐められる。わかっているがゆえに、総大将という職業の難儀さを感じながら……グリッチは頷く。

「……大きな変化はないだろう。我が勢力は小さい。そこまで邪険に扱われる心配はあるまい。むしろ大歓迎されるはずだ。」

小声で放たれる言葉に、無返答を貫く。頷いてもいいが……いや、面倒だ。無言で十分だとグリッチは思う。


 ディマルス。記憶にある限り、なぜこうなったと言わんばかりに荒廃した都。『神定遊戯』がある時の絵画とはうって変わって、古跡と呼ぶことすら躊躇われるような廃城になっていた場所。

 あそこを都として用意するアシャトさんの気は知れない。もしかしたら、兄も彼を主と認めないかもしれない。

 だが、だからこそ。グリッチ=アデュールは、アシャト王を一目見たいと、あの人の想いを知りたいと、思った。




「は?」

ありえない、という言葉をクリスが発した。ペディアも、エリアスも、ミルノーも。誰もかもが、その光景に絶句した。

 唯一アメリアだけが、予想通りと言わんばかりに頷く。

「クカスを解放した直後のディマルスですら、ギリギリ人が住むに堪える城になっていたのですから、こうなることはあり得ました。」

きっと四大都市全てを解放したのでしょう。自慢げに彼女は言うが、そんな彼女ですら目はディマルスに釘付けだった。ありえない。そう、いくら何でもありえないのだ。


「ギリギリ人が住むに堪える程度だった城が、こうなるのか?半年に満たずして?」

グリッチが呆れたように発する言葉に、ギデオン卿もまた頷く。

 そもそも、グリッチの記憶に残るディマルスは、人が住むに堪えられる都かどうかすら怪しかった。覚えているのは、ピクリともせぬ門と奥からときおり聞こえる倒壊の音。それなのに。


 ありえない光景だった。


 その壁は、まるで光そのもののように純白で、その威容は人に畏怖を抱かせるためだけにあるかのように恐ろしく。

 神々しい。この言葉が、全員の心に強く刻まれる。


 廃墟同然だった城を、神々しくまで磨き上げる異常。

 これが、『王像』がある正しき王都。そう。これこそが、『神定遊戯』。


「あぁ、これが、神か。」

コーネリウスの呟き。それは、アシャトが最も敵対する神への畏敬。神の威に、『護国の槍』は心底から恐怖と、人を助ける輝きを見出す。

「ひどい話ね。……神の力の強さがどれほどか、都が主張しているのだもの。」

アメリアのぼやきは宙へと霞む。仮に誰かが拾ったとしても、頷き神を賛美するだけに留まっただろう。それくらい、人の手ではおきえないことが起きていた。


 人は自分が理解できないものを見ると、悪魔の仕業か奇跡の御業に昇華しようとする。それは、どれだけ人の理性が強く、人として立派な学を得ていても同じだ。

 あるいは。その理解できないものを理解しようと努めるか。……そんな一部の変態を、一般の枠におさめるのは人という種にとって冒涜であろう。

 結局。人の身なる諸将は、神への信仰を新たにした。ギデオン、そしてカリンもまた同様に。……中でも特に顕著だったのが、コーネリウスだ。


 『護国の槍』。その本分は、ペガシャール王国の治安を守ること。彼らが戦で敗北したことがないのは、攻める戦ではなかったから。そして、国を守り通すことが、治安を守ることに直結していたから。


 アシャトの『皇帝宣言』。それと、最も縁遠い、あるいは宿敵とすら呼べる存在……いずれ少なくとも信念上はそういった存在に育っていくコーネリウスの、『神定遊戯』への尊敬は、今この瞬間に芽を出したのだ。




 王都へと帰還する。かつてにはなかった壮大な門が、コーネリウスの、ペディアの、エリアスの……彼ら全員の『像』と反応し、光り輝いていく。

 門が輝きながら開いていく。まるでそれが鍵であるかのように輝き、宙に浮かび上がる『像』の姿が兵士たちの瞳に焼き付く。

 城はあまりに神々しすぎて目に入れられなかった兵士たちも、それより一段落ちる『像』くらいならギリギリ認識できる。それを見上げ、畏怖し、恐れ敬い……。


 門が開き切ったとき、響き渡ったのは歓声だった。

 住民たちの多くは、コーネリウスたちが四ヵ月以上も前にゼブラ公国へ進軍したのを知っている。帰ってきたということが、そのまま勝利したという事実を伝えている……それを、アシャト派へ駈け込んで来た兵士たちはみなが知っていた。

「久しぶりだな、この感覚は。」

ペディアが呟く。“赤甲将”として多くの村を守って来たペディアだからこその呟き。この場にいる誰より、人からもらう感謝と喜びを一身に受ける嬉しさを知っている。

「そうだな、ペディア。」

エリアスも頷く。彼と歩み始めて、五年。うち既に半年以上を戦場で過ごすという、最初の盗賊以来の大規模な戦場を体験したエリアスにすれば、戦って感謝されない、という状況がほとんど非日常のようなものだった。最初はさておき、今は完全に非日常だった。


 勝った。傭兵上がりのペディアとエリアスにとって、それを最も実感した瞬間が、今だった。

 道が開いている。丁度、遠征に出ていた軍が通る花道のように。道が、作られている。彼らを一目見ようと集まった人たちの身体で。

 道が、続いていく。ペガシャール王都ディマルス。王がおわす座へと、彼らを案内するように、綺麗に二つに。

「全軍。背筋を伸ばせ、前を見ろ!誇り高きペガシャール帝国軍、これより王都に帰還する!」

コーネリウスが大音量で指示を出す。間をおかず、兵士たちから「応」という声が響き渡る。


 ペガシャール帝国、ゼブラ公国侵略軍。出発時には六万いた軍勢は、その数を約二万六千……途中脱落者を含めると三万四千まで大きく減らした。戦死者の総数は二万二千。ゼブラ公国で治療されている重傷病患者が四千。戦死者のうち二万は、コーネリウスたちの『見解』を無視し、独走した貴族たちである。

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