133.桁外れの指揮
やられすぎた。それが、ヒリャンの率直な感想だった。
多くの兵が死んだというわけではない。かかった時間が長すぎた。……ただ一人の英雄に、10分近くの時間を稼がれてしまった。
「第一陣、火!」
最初の陣。油が染み込んだ柵に火がかかり、燃え始める。それは、第二陣も同様。出来れば、もう一度くらいは敵を受け止めてから燃やしたかった、というのがヒリャンの感想だ。が、それは叶いそうにはない。
敵騎馬を、炎の壁でせき止める。そのうちに、第三陣へ移動する。雨が降るまで耐えしのげば、あとは罠を全て発動させたうえで撤退するのみである。
「敵第二陣、来ます!」
「ライオネス卿は放置!敵迎撃に集中せよ!」
「弓隊、構え!」
「魔術部隊、用意!水と土系の魔術は使うな!」
多くの部隊は既に撤退を開始している。残っているのは、名家四つの軍団のみ。それでも、雨が降り始めるまでの数時間、耐え忍ぶだけなら容易だ。
「……ヒリャン、やっていいか!」
「ヒャンゾン!敵との距離は500以上あるぞ、出来るのか?」
「余裕だ!」
鍛冶と弓術の名家、ニネート子爵家。その当主たる彼が言い切るのだ。出来るのだろう。
「やれ!」
「承知!」
ヒャンゾン=グラントン=ネニート。その弓術の段階は、八段階格。その中でも、九段階格にほど近い弓術師である。
その射程距離は、愛弓を用いている時限定であるが800メートルに届き、その命中率は九割をはるかに超える。……ただし、馬を走らせながらならまだしも、彼自身が走りながら500メートルの距離を射るだけの能力はない。愛弓を用いても、一キロの射程は出せない。ゆえに、ヒャンゾン自身はどこまで行っても八段階格の弓術師である。
ギリギリと弦が引き絞られる。敵将は、三人。第一陣が空けた穴を広げるだけ、クシュルにそう言われてきた彼らは、敵が迎撃態勢を整えた上で待っているとは思っていない。
クシュルは、味方すら欺いて、こうして貴族たちに攻撃をさせている。その目的は、言うまでもなく敵戦力の減衰。
正確には、殿として確実に残るであろう四家の精鋭を削ることだ。
「我ら四家を削れば勝てる。兄上はそう確信していらっしゃるらしい。」
槍を持つ。『護国の槍』一族には、元来存在する『護国の槍』という名槍以外に、2つの魔槍を保持している。そのうち一つ、『戻りの投槍』を構えて、言う。
「最初の一打は恐ろしかった。しかし、他の貴族ごときに削られる名家だと思われるのは些か癪だ!」
槍が投げられる。矢が放たれる。魔術が発動する。
ヒリャン、ヒャンゾン、トージがそれぞれ放った攻撃は、確実に敵指揮官の命を奪った。
「来い!指揮官のみ討っていても、確実に我らは勝てる!」
統率を失った敵が撤退を始める。混乱を極めた敵を狙って、コリント伯爵家の魔術が殺到する。
「魔術師部隊、休息を取れ!魔力回復に努めるぞ!深呼吸!」
号令がかかる。第二波はこちらに手出しすらせずに撤退した。これなら、あともう一波は迎撃できる。
「こちらの部隊はどれだけ撤退した?」
「残るはこの四隊のみです。残りの軍は全て後方の陣へ移動を開始しました。」
見回りの部隊が告げる。そうか、とヒリャンは安堵の息を一つ。
「敵追撃部隊の迎撃を続ける。一分でも長く、敵を食い止めるぞ。」
「了解!!」
夕方まで、あと二時間。耐えれば、勝ちだった。
第二陣の部隊長、ルーフオ=バリオス=エルレイシアはほっと息を吐いた。
身代わりにされた者は不憫に思う。だが、旗のそばで煌びやかな武器甲冑を付けている者がいれば、それは大概大将だ。あの弓の名手と魔術の名手がいる以上、下手に存在を主張すれば死ぬとわかっていた。
「第一陣の部隊と含めて、どれだけいる?」
「総計1万でございます!」
レッド派の陣よりは遠く、しかしレッド派の陣を横から急襲できるような位置に、騎馬たちは構えていた。
「元帥閣下は仰られた。戦の本質は兵の数と、質共に重要である、と。最も質の高い部隊は減らせぬかもしれない、しかし敵兵そのものを大きく減らすことなら可能である、と。」
それを阻むために、ヒリャンたちはあの場で軍を残して戦っていた。そんなものは重々承知の上で、ルーフオは言う。
「敵最精鋭は、殿としての役割を果たすため、あの陣地に釘付けだ。その隙に、我らは残るレッド派の部隊に奇襲をかける。馬に乗れ!!」
レッド派は、物資を抱え、歩兵を連れて移動している。対して、アダット派は最低限の武装のみを施した騎兵1万。
もしもレッド派に、周囲に偵察を放って警戒を続けられるだけの余力があれば別だった。だが、そんな余裕はヒリャンにはない。自分たちが有利な戦場へ移動するために全力を尽くす。その姿勢が、些かばかり視野を狭めている。
そして、実際に突撃してくる敵兵が多数。これからも、あと何波か繰り返されるだろう。そっちに、ヒリャンは、残る三家は意識を集中させられるはずだ。
何せいくら兵の質が高かろうと、いくら事前準備を整えていようと。多くの部隊を撤退させている分、兵力の差は数倍で効かぬ次元で大きく広がっているのだから。
「全軍、駈足!」
最精鋭がいないレッド派の軍に、勢いのついた騎馬部隊が襲い掛かる。
そんな未来は、もうわずか先の話。誰もかれもが、『護国の槍』クシュルの策を疑っていなかった。
クシュルの一手。騎馬隊を突撃させ、撤退させ、本陣とは別方向へと移動させて撤退中の部隊の背後のみを突く。実は、この策はただ一名にだけ伝えられていなかった。フウオである。
ヒリャンは強い。武術が、ではなく戦争が、である。上手いではなく強いと称したのは……本当に、『強い』からだ。戦争のやり方を心得ている。クシュルの思考を心得ている。勝つための方程式を心得ている。
ヒリャン=バイク=ミデウスは、『護国の槍』ミデウス侯爵家の中で、二番目に強い。次期当主たるコーネリウスを、差し置いて。
だからこそ、クシュルは並の手を使えない。凡庸の手をいくら駆使したところで、ヒリャンはその全てを読んで見せる。純粋な軍力の利はヒリャンにある。数の利も、わずかばかり……数万程度で、ヒリャンが持つ。
ヒリャンに奇襲は通じない。……おそらく、普段のヒリャンが相手であれば、この主力をなるべく素通りし、それ以外の部隊を奇襲するというクシュルの策に途中で気付いた。気づくとすれば恐らく……騎馬部隊の突撃が第四波に至った辺り。そして、コリント伯爵家の魔術師を総動員して早期に罠を発動させ、撤退兼背後部隊の防衛という手を打てていた。
打てなかったのは、偏に。死兵と化したフウオ=ケルピー=ライオネスの奮戦にある。
彼が、あれほど派手に奮戦した。それによって、ヒリャンは思考を完全に固定せざるを得なくなった。
即ち、クシュルは本気で、この四隊を潰しにかかってきている、と。
「気づいたか。」
「は。」
燃える敵陣を眺めながら、クシュルは呟く。時間を見る限り、第七波と激突した辺りだっただろう。いや、激突する直前で、気が付いたか。
「時間にして、一時間。十分である。」
奇襲といえど、迂回。厄介なことは、その分嫌でも距離を駆けなければならないことである。距離を駆けると言葉にすると、実に短いが。この距離が、奇襲の成功の可否を決定づける。
一時間あれば、敵の背後には確実にたどり着けるとクシュルは確信していた。撤退していくヒリャンたちより先に奇襲をかけ、ヒリャンたちより先に襲撃を終えて逃げること。
それが、奇襲部隊に与えられた命令。フウオにのみそれを伝えず、彼一人だけ死地で激闘を演じるというのが、奇襲を成功させるためにクシュルが下した決断。
フウオは脱落した。しかし、その代わり……。
後方、山間に敷かれた陣へと向かう部隊。殿を除いた一番後ろの部隊は、ユサエル=コティン=フェナリス子爵が率いる2万の部隊だった。
ヒリャンを彼らは信じていた。万が一敵が襲撃してくる気配があれば、彼が完全にその通路をせき止めると、信じて真っすぐ撤退していた。
それは信頼だった。ヒリャンという指揮官に対する、盲目的なまでの信頼だった。
それは、失態だった。盲目的なまでの信頼をして、彼は偵察を、周囲の見回りを、警戒をすることが一切なかった。
もちろん、この子爵家に偵察の方法を知る者などいない。警戒の仕方など誰も知らない。
だが、だからといって微塵もしないのは……そう。それは、ユサエルという子爵の、完全な思考停止だった。
蹂躙されるのは紅きウサギの一族に味方するもの。王族としての才は“最優の王族”エルフィールに最も近い男、アダット=エドラ=ラビット=ペガサシアの陣営。しかし。上がどれだけ優れていようと、下まで優れているとは限らない。
勝ち目がない、と子爵は悟った。ヒリャンがしてやられたのだと、気が付いた。
「あの男!!」
責任転嫁。自分が失敗したのではない。ヒリャンが失敗したとばっちりを受けたのだ、そう解釈しようとして。
「は?」
掲げられる旗印は、双つの角を掲げる馬。銀に煌めくバイコーンと、盾と槍。『護国の槍』が掲げる紋章。
「う……あ。」
この旗と敵対するもの、それは即ち王の敵。コーネリウスはこの旗を持つが、ヒリャンはこの旗を持たない。
「……。」
子爵は、気が付く。敵は本気だったと。クシュル=バイク=ミデウスは、心の底から本気でこの戦に臨んでいたと、今になってようやくに気が付いた。
「総員!!戦闘態勢!!」
であれば、不覚を取ったのはヒリャンではない。本気の『護国の槍』に勝てるものがいないことは、この500年余りの歴史が証明し続けている。
甘ったれた子爵の、死に物狂いの生存戦争が始まった。
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