第28話 親友と謎のパンダ
「お客様。もう終点に着きましたよ」
そう、一言声を掛けられた私……水瀬彩夏はサングラス越しに目を開けたその先に、運転手さんの姿があった。
窓に寄りかかって少し涎が出てしまったことに気づいた私は、恥ずかしさを覚えながらもその運転手さんにすぐに謝罪をする。
「す、すみません……。今すぐ降りますね」
そう言うと、「ゆっくりで良いですよ」という親切なお言葉を頂いたため、そこまで焦ることなくバスから降りることが出来た。
どうやら、自分は長い夢を見ていたようだ。
久しぶりに町に出掛けようと思いバスを利用して行ったのだが、外の景色を見ている内に、いつの間にか寝てしまっていた。
たったの数十分という短い時間ではあったが、それでも少しは疲労が取れた分、ここは良かったというべきなのだろうか。
「はあ……なんというか。ちょっと寝すぎたわね」
周りの景色を見た後。
そう一人事を呟いた私は、軽く肩を落としながら落胆する。
その理由として、別の場所で途中下車する予定だったのが、自分の爆睡により終点まで行きついてしまったことだ。
我ながら、あまりこういうミスをしない自分にしては珍しいなと感じながらも、やはり夢の内容が気がかりであったことも考えられる。
それにしても、あんな過去の夢を見たのはいつぶりだろうか。
今まで……特にここ数年は忙しい日々を送ってきたため、夢というものはあまり見てこなかった。
最初は辛い出来事ばかりで、何もかも失ったはずの自分。
だけど、そんな私を救ってくれた人たちがたくさんいて――今の私がいる。
そのことに感謝しつつも、色々な苦労がまた次から次へと待っていた。
女優としての心構えや仕事上での悩み、それに……新しいマネージャ―との関係性など。
とにかく語れば語るほど長くなるが、これまでの過去を振り返ってみると、想像を絶する程に大変だった。
それでも、ここまで歩んできた道は決して無駄なことでは無かったのだと、過去の自分に伝えたい。
途中で挫折することがあっても、一人で抱え込まない。
自分にとって、信頼できる人たちに頼ることがとても大事なのだと。
もちろん。
その信頼できる人達の中には、最後の最後でやっと出てきたあの男も含まれていて。
普段から生意気で超鈍感な上に、ムカついた事もたくさんあったけれど……。
それでも、私のことを一番に考えてくれて。一番に優先してくれて。
そして、なんだかんだ文句を言いながらも……最後は私のために尽くしてくれる。
今は、自分の隣には彼は居ないけれど。
でも、そんなアイツのことを、私は――。
「って。ちょ、ちょっとダメよ水瀬彩夏! もうあんなバカな奴のことなんか、頭の片隅にもないんだから!」
そうだ。
私は今日、リフレッシュするためにわざわざ町中に来たのだ。
予定していた目的地とは違うが、ここで探索しても大して問題ない。
それに、今回も変装はばっちり決めているし他の人にバレる確率は低いだろう。
どうせ、皆はこんな場所にあの水瀬彩夏がいるだなんて思ってもいないのだから。
しかしながら、今日も今日とて気温が高いせいか、熱中症になりそうだ。
もう夏の時期は過ぎたといっても良いぐらいなのに、この異常気象は一体何なのだろうか。
「はあ……。ここまでくると、アイスの一つでも食べたくなるわね」
そうポツリと呟きながら、屋内の方へと足を運ぶ。
幸いにも、下車地点から近いおかげもあり、早めにクーラーの利いた場所に入ることが出来た。
まあ、都会の中であるならば、そこまで過疎地が無いと言えばそうなのだが。
とりあえず、一休みするためにどこかの椅子に座って休憩でもしよう。
「あっ。あそこに空いてる席が――キャッ!?」
そう言った途端、ドン、と強く肩をぶつけられ、自分の体勢が少し崩れる。
前ではない。後ろの方からの衝撃だ。
反射的にすぐ振り向くと、そこに居たのは強面の成人男性が二人だった。
見た所によると、私よりも少し上の年齢だろうか。
体つきはあまり良い方ではないが、明らかに視線の目つきがおかしい。
始めから後を付けられたかと思っていたが、さっきまでは気配はなかったはずだ。
一体どこから――。
「イヤー、ごめんごめーん。ちょっと足つっかけちゃって、お姉さんにぶつかっちまったわ」
「ほんっと。てめーまじで昼から酒飲みすぎだろー。もっと前見ろって」
「い、いえ。私は別に平気ですので……」
頭の中で危険信号が鳴り始める。
ここで収まってくれれば良いのだが、長年の経験からそんな簡単には見逃してはくれないだろうという警戒感が強まる。
しかし、こんな時にどうすれば良いのかは、嫌というほど対策している。
仮にも芸能という世界で生きている限りは、日常でも自分自身を守る術が無くてはならない。
いつもはマネージャ―や傍付きの人達が守ってくれることが多いため、あまり気負いすることはないのだが、ここは独断で切り抜けなければならない。
「へへっ、わりーわりー。ところでさ、お姉さん。見た感じすげー美人な気配がするんだけど、何の仕事やってんの? よかったらこの後、俺らと一緒にご飯行かね?」
「うおっ。ほんとだ。よくよく見たらすんげえ可愛いじゃん。マスクと眼鏡かけているせいで微妙に分からん部分があるけど、外した方が絶対に良いって!」
それを聞いた途端、やはりナンパ目的だと確信した。
酒を飲んで酔っ払っているというのも嘘。
足で躓いてぶつかった要因を勝手に作り上げて、本当は私に近づきたかったというのが本音だろう。
また、私がバスを降りた時からかはよく分からないが、ギリギリ視界の見えない場所から観察していたのも間違いない。
見え透いた虚言で私を釣ろうだなんて、良い度胸してるじゃない。
「生憎ながら、私はこの後用事がありまして。本当にすみません」
「おいおい。そんな釣れない事言うなよぉー。どうせ、こんな真昼間に一人なんだから、彼氏もいないんだろォ?」
「へへっ。俺達と一緒に楽しい事しようぜお姉さん。ちょっとだけ時間もらうだけで良いからさー?」
そうしてじりじりと自分の方に近づいてくる男達。
彼氏がいない、というワードには少しピリッときたが、ここは大人の対応で受け流すことにする。
また、この経緯を見て周囲には助けようとしている人も中にはいるが、中々行動に移せずそのまま見て見ぬ振りをする人が多い。
まあ、こんな場所で勇気持って助けてくれる人は早々いないでしょうね。
人は、自分さえよければそれで良いと思っている節があるし。
それが習慣付いてしまっているためか、素通りして心の中で無事を祈る人が多数派だろう。
まあ、何もしてくれなくても、いざとなったら片桐さんから教えてくれた正当防衛術で対処はいくらでも出来るから良いのだけれど――って、え?
「へへ。じゃあ行こうか。お姉さん――ぐへぇッ!?」
「嫌がらないってことはそういうことだろぉ? くく、今から俺たちが楽しませてやるから――ッぐお!?」
どうやら、突然後ろから誰かがやってきたようだ。
さっきまで誰も近づいてくる気配すら無かったはずなのに、これは一体どういうことなのだろうか。
二人の男性の襟を掴んでそのまま後ろに引きずりこんでいる『謎のパンダ』。
顔から下まで全てぬいぐるみの人形で包まれているせいで、よく全体像が見えない。
雰囲気からして男の気配がするが、視覚からは断定できるほどの材料は持っていない。
一方で、二人の男達は苦しそうにもがき続けている。
いや、そのパンダの手によって苦しめられているといった方が正しいだろうか。
いずれにせよ、今、この私を助けてくれていることには間違いない。
「て、てめえ――。いい加減に離せッ!? げほっげほっ!」
「く、苦しいぃ――。ぐほっげほっ!」
そうして、今度は急にパッと男達の襟から手を離すパンダ。
成人男性二人は先ほどから苦しめたパンダを鬼の形相で見つめながらすぐさま反撃を繰り出す。
しかし、その攻撃は見事に一切当たらない。
ぬいぐるみを着用して胴体も大きい分、体を動かしにくいと思ったのだがギリギリのところで躱し続けている。
まるで、昔自分を守ってくれていた片桐さんの動きに何となく似ているような――。
「ぜぇ……ぜぇ……。て、てめえ。まじでナニモンなんだ。なんで攻撃が当たらない!?」
「お、おいプロ。も、もうここまでにしとこうぜ。周りがかなり騒がしくなってきてるし!」
そうして周囲を見ると、明らかにたくさんの人達が二人の男達に視線が集まっているのが分かる。
ただ、それ以上にパンダのぬいぐるみを着用した謎の人物の方がもっと注目が集まっていた。
演技でも見せられていると思ったのだろう。
近くで観察していた子供たちが「パンダさん頑張れー!」という応援の声が屋内場で響き渡っており、実に滑稽な事態になっている。
「チッ。逃げるぞケント!」
「う、うっすプロ!」
ナンパをしてきた男達も流石にこの状況には耐えられなかったのか、すぐさま逃亡に切り替える。
一方でパンダさんは追いかけることはせず、その男達の姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。
変に注目が集まってしまっているせいか、少し羞恥心みたいなものが自分の中でも湧き上がってくるが、如何せん、助けてくれたことの礼はしっかりと言わなければならない。
「えっと。その、ありがとう。丁度困っていたところだったから本当に助かったわ」
そう言って相手の反応を見てみるが、一向に自分の言葉に対してなにも返ってこない。
頭までぬいぐるみを着ているせいで、顔の表情も分からないため、相手がどういう人なのかも知ることが出来ない。
無言を押し通す謎のパンダさんは周囲をキョロキョロと見渡した後、今度は私の姿を見てじっと黙る。
そして、唐突に何かを思いついたのだろうか。
ポケットの中から携帯を取り出して画面上で素早く何かを操作しているようだ。
その後、自分にスマホの画面を向けて『怪我は無いか?』というメール上での文字。
そんなあまりにもおかしな行動を目にして私は思わずお腹を抱えて笑ってしまった。
「ふ、ふふ。ちょっと貴方。もしかしてそういう設定でずっとやっているの?」
『いや、そういう訳ではないが』
「なら普通に話しても良いじゃない。ダメなの?」
『声で発することが出来ない理由がある』
「ふーん。なーんか変な人。勇気持って助けてくれたことには感謝するけど、その恰好、結構恥ずかしいから辞めた方が良いわよ? 私はパンダ大好きだから良かったけれど」
『善処する』
このやり取りが可笑しすぎてまた吹き出してしまったが、心なしか普通にタメで話している自分に驚く。
そういえば、ここまで笑って話したの、いつぶりだろうか。
思えば、ここ数か月間は、本当の意味で笑うことは少なかったような気がする。
一般人(中の人は分からないが)とこんな状況で長く話すのは久しぶりだが、世の中にはいろいろな人が居るのだと改めて感じた。
しかし、この人は自分のことを知っているのだろうか。
表情が見えないため、情報を得ることは出来ないが、これでも一応、私は国民的芸能人としてのプライドがある。
知らない可能性も無きにしもあらずだが、やはり助けてくれたからにはそれ相応の価値を与えなければならないだろう。
この人がどういった人物なのかは分からない。
だが、きっと悪い人ではない。
そう確信できるぐらいには、私は心の底から――。
「あれ? 彩夏ちゃん……?」
聞き慣れた声が私の耳に入る。
この声は……もしかして。
「ゆ、唯奈!? どうしてここに?」
「やっぱり彩夏ちゃんだったかー! へへっ。変装しても分かっちゃう私ってばやっぱり天才かもっ!」
「もう……。そんな大げさなことは言わないの。って、それよりもどうしたのよ。そんなに汗かいちゃって。誰か探してたの?」
「そうっ! そうなんだよ彩夏ちゃん! 唯奈の知り合いなんだけど、途中からなんかはぐれちゃって、ずっと探してるの!」
「そ、それは何か気の毒ね……。ちなみに聞くけど、その人の特徴は?」
「えっとねー。パンダのぬいぐるみを着た男の人なんだけどー。ここら辺で見なかった?」
「え、その人ならすぐここに――」
そう言われた瞬間。私はすぐ隣にいるはずであろうあの謎のパンダさんを見たが、いつの間にか姿を消していた。
って、え? ちょっと待って。
あのパンダさん、いつから居なくなったのかしら。
というか、あんなに目立つ格好して尚且つ動きづらそうにしていたのに……この数秒の間にどこに行ったというの?
「え。ちょっと彩夏ちゃん。もしかしてその人、さっきまでここにいた感じ?」
「え、ええ。今さっき私を助けてくれた人なんだけど、もう居なくなってる……」
「そっかー。むぅ……やっぱりそんな上手くいかないよねー。流石だなぁー」
「え? さ、流石って……。ねえ唯奈。そのパンダのぬいぐるみを着た男の人って……貴方とどういう知り合いなの?」
会話の中で少し引っかかった部分。
あのパンダの正体を知りたい欲が出てしまっているが、それと同様にこの一之瀬唯奈とどのような関係にあるのかも同じくらい興味がある。
いや、普通は他人のプライベートに突っ込むのはあまり良くないことなのは分かっている。
ただし、あの一之瀬唯奈が自分の見知らぬ男の人に都合良く扱われていないかがとても心配なのだ。
「ふふん。それ聞いちゃう? きっと彩夏ちゃんびっくりすると思うなー」
「な、何がよ」
「ふふ。だってあのパンダさん。将来の私の旦那さんになるかもしれない人だから」
「えっ……? ゆ、唯奈。それ本気で言っているの?」
「まあ、ちょっとだけ冗談で、ちょっとだけ本気かもしれない。つまり、まだわかんないって感じかなー! にゃはは!」
驚きがさらに上をいったという感じだろうか。
顔を少し赤らめながらこの発言をしていることから察するに、きっと冗談で言っている訳ではないのだろう。
あの唯奈が、このタイミングで男を作るだなんて。
ましてや、先ほど会ったあのパンダがその相手ともなると、話は違ってくる。
果たして、唯奈は中の人のことをどれ程知っているのか。
信頼に値する人間なのかどうか。
安心して唯奈を任せられる相手なのかどうか。
親友として、私がこの目でしっかりと見定めなければならない。
そのためにはまず――。
「ねえ唯奈。その人のこと、詳しく聞いても良いかしら」
ここから、少しずつ歯車が動き出す――。
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