たった五分のループのために三十分踊らなければならない令嬢は、婚約破棄された王太子に言いたいことがある

ゆーぴー

第1話 もう婚約破棄は聞き飽きました

「ルシア! 今この時を持って、貴様との婚約を破棄する!!!」


 壇上からの王太子の身勝手な発言に、楽団が奏でていた舞踏会を彩る音楽がピタッと止まる。


 普段はお喋りな紳士淑女も、誰もが続きを伺うように押し黙る中で、公爵令嬢のルシアは滝のような汗を拭いながら『フッ』と馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


 ルシアとて、初めて婚約破棄された時は絶望を感じたものだ。

 心から王太子を慕っていたのだから尚更である。

 

 だが、短期間に5回も同じセリフを繰り返し聞かせられた今となっては、何でこんな奴を好きでいたのか自分でも不思議だ。



「その婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」


 


 本当の戦いはここからだ。



 ★


 一度目は王太子に婚約破棄されたショックで私が呆然となっているうちに、奴がピンク髪の男爵令嬢と真実の愛に目覚めたと言う、くだらない演説を延々聞かされていた。


 それに激怒したお父さまが剣を片手に、


「ルシアがどれだけ犠牲を払って、貴様を支えてきたと思ってる!!」


ーーと切りかかってしまったのだ。


 騎士団長も兼任しているお父さまに、剣術の基礎すらまともに納められていない王太子が適うわけがない。


 「ぎゃあああ」

ーーと情けない叫び声をあげた王太子は一太刀で、帰らぬ人となったのである。


 私は後悔した。

 裏切られたとは言え、最愛である王太子を失ったことを。

 大切なお父さまに、人を殺めさせてしまったことを。


 だが、私には、亡きお祖母様から頂いた聖女のブレスレットがあった。

 このブレスレットは、お祖母様が亡くなる前に私の前途に困難が待ち受けていると予言を受けて、授けてくれた物だ。

 その輝きを失うまで何度でも時を5分前に戻す力があると聞かされた。


 まだ一度も使ったことのないそれを力強く握りしめる。

 お祖母様からの教えどおり、三十分にも及ぶ聖女の舞を踊ることで私は王太子から婚約破棄される直前まで戻ることができた。


 ★


 戻ってきた私を待ち受けていたのは、王太子から再びの婚約破棄宣言であった。

 同じ言葉を聞かされても、気持ちは沈んだが前ほどではない。前回のみっともない叫び声が耳に残っていたからかもしれない。


 だが、何よりもお父さまを止めることが先だった。お父さまに抱きつく。


「お気持ちだけで十分ですわ、お父さま」


「ルシア……」



 だが、ホッとした次の瞬間、お兄さまが得意の炎術を使って王太子を丸焦げにしていたのだ。


「ひぃぃぃ」


 王太子の残像からは憐れな声だけが聞こえている。


「ルシアの望みは、この俺が果たして見せる!」


ーー私の望みは誰も死なないことですわよ、お兄さま。


 ルシアが心の中で呟いてしまったのも、仕方がないのではないだろうか。聖女の舞は令嬢の嗜みであるダンスの数倍は重労働なのだ。


 だが、兄が炎術を使って王太子を害したのは、ひとえにルシアのため。


 気持ちをそっと押し込め、ルシアは再び聖女の舞を踊って婚約破棄直前まで戻ったのである。


 ★



「はぁはぁ……」


 戻ってきたルシアにとって、婚約破棄宣言など戯れ言であった。そんなものを聞いている暇はない。父と兄を同時に止めなければならないのだ。

 それに、ルシアは恋をしていた王太子が二度も情けない死に様を見せたことで、ただの知人を見るような気持ちになっていたのである。


「お父さま! お兄さま! お待ち下さいませ!!」


「ルシア……」


 二人の動きが同時に止まったことで安堵したのは束の間であった。


「ルシアちゃんの敵!!」


 ルシアの親友であるメルシア伯爵令嬢が、王太子を突き飛ばしていたのである。

 だが、女性が突き飛ばしたくらいでは何ともならないだろう、と考えてしまったルシアは早計であった。

 王太子はスローモーションの様に頭からズッコケると打ちどころが悪くご臨終となってしまったのだ。


 この時のルシアの気持ちは複雑であった。仮にも王太子である彼は、不真面目とは言え剣術も護身術も習っているはずである。

 それがペンより重たい物を持ったことがないような、か弱い令嬢にひと押しされたくらいでお亡くなりになってしまったのだから、何とも言えない。


 気付けば王太子に対して残っていた気持ちは木っ端微塵に吹き飛び、また舞を踊らねばならない負担で一杯だった。


 ゴミ箱に入りそこねた、紙くずを見るような目で王太子を見てしまったのも当然だろう。


 しかし、親友のメルシア伯爵令嬢に人を殺めさせてしまう訳にはいかない。

 ルシアは再び聖女の舞を踊って、巻き戻ってきたのである。


 ★


 

 「はぁはぁはぁ……」


 戻ったルシアは王太子の宣言が始まると同時に汗を撒き散らしながら、走り出した。


 片手に父を、もう片方の手で兄を押さえ、淑女にあるまじき角度に足をビュンっと振り上げてメルシアを止める。


 だが、刺客は思わぬ所から現れたのだ。

 


 幼馴染のクロード候爵令息が、ルシアの聞いていない王太子の罵倒を代わりに聞き終えると、決闘を申し出た。


「王太子殿下! ルシアを侮辱するのはやめて頂きたい。彼女の名誉を守る為に決闘を申し込む!!」


 クロードが剣を抜いて、構えると。



「ふ、ふざけるな! 剣の天才と言われるお前に勝てる者などいないだろうがぁぁぁ」


 腰を抜かした王太子は、それでも逃げようとして、壇上から滑り落ちた。

 ちなみに隣にいたピンク髪の男爵令嬢に助けを求めて手を伸ばしていたが、振り払われたようだ。



 憐れな王太子は壇上からの階段落ちで、呆気なく死んでしまった。


 一瞬ルシアは、もういいかなぁとも考えた。


 今回は誰かに殺された訳ではなくて、自業自得だし。疲れたし。


 だが、クロードが驚きに目を見張り、あまりのことに顔を強張らせているのをみて申し訳なく思った。


 ルシアは輝きが失われつつあるブレスレットを見て決意する。


 もう一度。舞を踊りきり、今度こそは誰にも王太子を殺させない、と。



 ★


「ルシア! 今この時を持って、貴様との婚約を破棄する!!!」


「その婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」


 ルシアは見事なカテーシーを披露してから、滴る汗さえもいとわずに、真っ直ぐ王太子を見据えた。



 さぁ、言わせて貰いましょうか。



「まともに剣を学ばないどころか、あっさり炎術で丸焦げにされ。か弱い令嬢のひと押しで呆気なく転倒したかと思えば、挙句の果てに決闘を申し込まれただけで腰を抜かしてしまうような情けない男。私は要りませんわ」


「それに王太子という唯一の肩書も私と婚約破棄すればなくなることは、ご存知かしら? ピンク髪さん?」


「き、貴様、な、な、何を言っている!」 


 挙動不審な王太子よりも、何倍も堂々とルシアに問いかけるピンク髪の令嬢は逞しく感じられた。


「そうです!殿下はそんな情けない男じゃありません! それに王太子じゃなくなるってどういうことですか!?」


「やっぱりご存知なかったのね。殿下は陛下の第一子だけれど愛妾様のお子ですもの。我が家の後ろ盾なしに、第二王子や第三王子を押さえて王太子で居られるわけないでしょう?」



「……知りませんでしたわ、殿下」


 そう言って上目遣いに微笑むピンク髪令嬢は、可愛らしい笑顔なのに何故か睨んで見えるという素晴らしい高等技術を披露した。


「とりあえず、今日はもう帰りますね!」


 スタスタスタとあっさりピンク髪令嬢が帰ってしまった。

 王太子は動揺し、その動揺は怒りとなってルシアに向かったようだった。


「お前のせいで! リリアンヌが帰ってしまったじゃないか!!」


「そうですか。帰ったくらい、別によくありません? 死にそうな時に手を振り払われた訳でもなしに」


 ルシアは小馬鹿にしたようにフッと笑う。

 その時、ブレスレットはキーンと音を立てて割れたのだった。

 誰に何を言われた訳ではないが、この瞬間に誰かが王太子を殺める運命の輪が解けて消えたのを感じた。


「……よかったですわね」


「さっきからお前は何を言っている! こうなれば婚約破棄で終わると思うなよ! 覚悟しろ。投獄してやるっっっ」



 ルシアは頭痛がするのを抑えられない。彼女の周りが殺気立つのを感じたら尚更だ。


 ルシアは捨て忘れた生ゴミを見るような眼差しを、王太子に向ける。


「罪状がさっぱり分からないのですけれど。っというか、殿下こそ覚悟は出来ていて?私まだまだ百二十分も踊らされた恨みを晴らせていなくてよ」


 優雅に微笑むルシアは誰よりも美しかった。

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