第9話、筋トレ

 夕食を終えたその後、俺は食器を片付けて舞に風呂へ入るよう勧めた。妹が一番風呂を浴びている間に俺は自室に戻って、大量に残っている課題の消化に取り掛かる。


 机の前に座って黙々とペンを走らせていく。その途中でふと体がむずむずと何かを求めている事に気が付いた。


 そして視線が勝手に動いて、それはベッドのすぐ横に置かれているダンベルに吸い寄せられてしまう。


(もしかして……この衝動は俺の体が筋トレを求めているんだろうか?)


 転生した直後から思っていた事だ。進藤龍介という男は不良であるが、単に不健康な生活を送っているとは思えない程に筋肉がついている。


 その事から考えられるのは『この肉体は日常的にトレーニングを行っているのではないか』というものだった。それもかなりのハードメニューをこなしている。


 健康志向ならタバコを吸ったり未成年のうちから酒を飲んだりはしないはず。となればこの体に習慣付いた筋トレの目的は健康とは別にあるはずだ。その理由は一体何かと部屋を見回して気付くのだ、本棚に詰められた大量の不良漫画に。


(なるほどな。不良漫画に出てくる主人公達に憧れて、あんな風になりたいと思って筋トレを始めたわけか)


 これは作中で決して語られる事のなかった裏設定だろう。


 進藤龍介が不良になった理由は不良漫画に憧れたのがきっかけなのかもしれない。でも残念ながらこの世界は不良漫画の世界ではなく、主人公とヒロイン達でハーレム築く典型的なラブコメの世界。


 どれだけ不良漫画の世界に憧れても、待っているのは不良同士の熱い物語ではなく、主人公達の噛ませ犬にしかなれない結末だ。


 しかし、普段から筋トレをして体力が付いているというのは好都合だった。ラブコメにはバスケやサッカーで良い所を見せつけてヒロイン達から憧れられる展開があったりする。


 タバコや酒を止めて健康な体を取り戻せば、悪役から運動の出来るモテキャラに昇格する事だって不可能じゃないはず。


 このまま体を鍛えていこう。勉強や家事だけじゃなく出来る限りの努力を積み重ねていかなければ。


 そうして俺は一旦課題を中断して、体が求める筋トレを開始する。前世の体と違って重いダンベルがすいすい上がる。腹筋だってずっと止まらずに出来るし、スクワットや背筋などの筋トレも難なくこなせる。


 流石は作中屈指の悪役キャラ。

 主人公に悪の立場として立ち向かうだけあって運動神経も抜群かもしれないな。


 俺が転生してくる以前の進藤龍介という男は不良漫画に憧れて努力する方向をずっと間違えていただけなんだろう。真面目で健全な青少年として努力を積み重ねれば、きっとこの筋トレもいずれ報われる日が来るはずだ。


 そんな希望を抱きつつ、俺はひたすらに汗を流し、息が乱れてきたら今度は机に向かって勉強するのを繰り返す。


 それをずっと続けていたかったが、転生してきた初日という事もあってまだ夜の九時になってもないのに眠くなっていた。


 頑張りすぎて夜更かしして明日の学校に遅刻するのは本末転倒だ。


 今日はほんの小手調べ。明日からが本番だと自分に言い聞かせながら、俺はシャワーを浴びに空いた風呂場へと向かうのだった。

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