第42話 新婚マイナス2日その2

恵茉が身構える力加減はきちんと把握済みなので、じゃれ合うように腕を回しても彼女は表情を変えない。


くるりと腕の中で反転した恵茉が、上目遣いにこちらを見上げて来る。


「それって私褒められてるってこと?」


まるで子供みたいな質問に、思わず声を上げて笑った。


「・・・・うん。そうだな。恵茉は良い子だ。こんな良い子が奥さんになってくれて嬉しいよ」


昔、泣いた恵茉を慰めた時のように、優しく頭を撫でてやる。


そう言えば、ここ最近はこんな風に触れる事が無かった。


恋人同士の距離を意識して欲しくて、恵茉にとっては心臓に悪い触れ方ばかりしていた気がする。


そのおかげで、この程度のスキンシップでは彼女が動じる事は無くなったけれど。


目を細めて嬉しそうに微笑んだ恵茉の額にキスを一つ。


ご褒美のように落としたそれは、けれど以外にもお姫様には物足りなかったようだ。


ぱちぱちと両の目を瞬かせて、恵茉がきゅっと唇を尖らせる。


「そういう顔されると、付け込むよ。いいの?」


告白劇からこちら、会うたび貪るように唇を食べていたおかげで、恵茉はすっかりキスに慣れた。


一度目のキスで震えるのは相変わらずだけれど、そっと唇を離せば、焦がれるように追いかけて来る。


最近では自ら舌を差し出す事も覚えて、こちらとしては色々と我慢が辛い。


短期集中コースのブライダルエステに放り込むことになったのは、全部清匡のせいなので、何かあっても恵茉が困る事がないように配慮するつもりにはしていた。


けれど、少しずつ恵茉が恋人同士の距離に慣れて、キスの合間に甘えるように擦り寄って来るようになると、その配慮が次第に遠のいていき、さすがにまずいなと自分を戒めたら、どこまでアリでどこからがナシか、その境目がもう分からなくなってしまった。


結果、二人の関係は未だキス止まりで、恵茉は一度もこの部屋に泊まったことが無い。


現時点で清匡に許されているのは、恵茉が見せる場所にだけ触れる事のみ。


どれ位焦らされて、どれ位我慢を強いられているか、語り始めれば到底一晩では足りないが、幸いなことに、それを語って聞かせられるような相手がすぐ側にいなかった。


おかげで今日も幸せに蕩けた思考と、燻ったままの身体を持て余して、挙式へのカウントダウンを指折り数えている状態だ。


熱の宿った両頬を包み込んで、答えを待つこと数秒。


「・・・キヨくんのことは、信じてるからね」


小さな囁き声と共に、つま先立ちになった恵茉がキスをくれた。


目を閉じる余裕なんて無かった。


「・・・・」


どうしてやろうかと一瞬だけ迷って、嫌さすがに駄目だと思い止まる。


天井を仰いで息を吐いて、慎重にこめかみにキスを落とした。


「それ、誰から教わった?」


「・・・誰って・・・」


「どうせエステかウェディングサロンで入れ知恵されたんだろ」


「あ。ばれた?」


「ばれるよ」


「担当のエステティシャンさんがね。何か困ったことが起こりそうになったら、そう言えばいいって教えてくれたの」


魔法の言葉みたいだよね、と呑気に笑う恵茉の鼻先を悔し紛れに甘噛みしてやる。


「ひゃうっ」


おあつらえ向きに真横にベッドがあって、しかもここは夫婦だけのベッドルームで、何が起こったって間違いだなんて言わせない自信があるのに。


今、手を出せば、確実に間違いになると思ってしまう自分が心底悔しい。


「・・・・恵茉は今困ってるの?」


低くなった問いかけに、危険を敏感に察知した彼女がそろりと後ろ足を引いた。


早期撤退を決め込む判断能力はお見事、と言ってやりたいところだがもう遅い。


しっかり腰の後ろで組んだ掌の力だけで、彼女をこちら側へ引き戻す。


「こ、困ってないけど、ええっと、今日はこの後また打ち合わせとエステがあるし・・・その」


分かりやすく狼狽える恵茉は、案の定こちらを見ようとはしない。


いつも以上に化粧っ気のない滑らかな輪郭を唇で辿れば、 逃げるように彼女が俯いた。


それならと、つむじにキスを一つ。


「痕、残すつもりなんてないけど?」


決定打を投げてやれば、分かりやすく恵茉が身体を強張らせた。


「・・・っキヨくん!」


「なに?」


「えっと・・・あの・・・あ、そうだ!さっき、リビングに飾ってあった絵、素敵だったね!?前に来た時は無かったのに、いつ飾ったの?」


必死に話題転換されて、乗ってやるものかと思ったが、振られた話題が伝えたいことだったので仕方なく折れる事にする。


そっと組んでいた掌を解いて、横髪を優しく撫でれば、こちらの意図に気づいたのか、恵茉がふうっと息を吐いた。


「夜桜、綺麗だろ?一昨日出先で見つけて、店主に無理言って譲って貰ったんだよ」


リビングの片隅に飾られた日本画は、どこかの庭ではかなげに散る夜桜を描いたものだった。


恵茉が気に入りそうだなと思って、購入を決めたものだ。


「有名な画家さんなの?」


「いや、画廊の家族が趣味で描いてるものらしくて、売り物じゃなかったんだ。でも、どうしてもあれが良かったから、他の絵を何点か買うついでに譲って貰った。夏の絵は恵茉が見つけてくれたら嬉しいなと思って」


「あ、お家の中で四季を作るって事ね?素敵!」


気に入った絵でストーリーを作る事が好きな絵には、うってつけの始まりの絵だと思った。


どこか幻想的な夜桜の次に、どんな夏を迎えてくれるのか、今から楽しみでしょうがない。


「季節が一巡りしたら、また新しい春を探しておいで」


「ずーっと?」


嬉しそうに目を輝かせて、絵が首を傾げる。


無限の春をこれから永遠に、二人で迎えられるように。


「これからずっと」

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