第47話 新婚30日その1
「キヨくんっ・・・・・・ほん・・・と・・・にっ・・・マズいってば」
必死に自由な上半身を捻ってソファの縁に縋りつこうとする恵茉の手を下から掬い上げて、絡め取りながら清匡は何食わぬ顔で問い返した。
「なにが?」
優しく指の隙間を擽りながら恵茉の表情を窺えば、とろりと蕩けて食べごろの果実のように熟れていた。
これのどこがどうまずいのか、是非とも具体的に教えて貰いたい。
ここは自分の執務室で、入室には必ず許可が要る。
執務フロアを仕切る優秀な秘書鶴見が、空気も読めずに無断で入って来ることなんてまずあり得ないし、アポなしの馬鹿者がこのフロアまで辿り着いたとしても同じことだ。
鶴見という巨大な壁の前では、許可なしの人間は皆一様に肩を落としてすごすごと引き下がることになる。
そうできる権限と実力を兼ね備えている彼女だからこそ、このフロアを任されているのだ。
役員ふくめ彼らが鶴見に寄せる信頼は、ある意味清匡以上に大きい。
清匡の頭に入っているこの後のスケジュールは、今のところ会議が二件。
その前の会議が10分ほど押しているため、開始時間が遅れるという連絡も入っていた。
こういうちょっとした時間のズレはしょっちゅうで、議題が紛糾すれば20分30分余裕で押すこともある。
つまり、朝から深夜までホテルに缶詰状態で真面目に仕事をこなしている清匡が、たまたま訪れた新妻に癒しを求めても怒る人間なんてどこにもいない。
だからこうして人目もはばからず嫌がる恵茉を膝の上に抱き上げているのだ。
ジタバタもがく膝小僧を軽く押さえて、真っ赤になった耳たぶをぺろりと舐めれば大げさなくらい腕の中の身体が震えた。
嬉しいばかりの反応に思わず舌なめずりしそうになる。
ようやく手懐けた可愛い妻はどこにも出したくないくらい可愛くて愛らしい。
彼女の元来持つ天真爛漫さに人妻の色気が加わったいま、恵茉の魅力は増すばかりなのだ。
定期的に通わせているエステのエステティシャンからもお褒めの言葉を預かるくらいに彼女は綺麗になった。
手を掛けて愛でて可愛がったのは当然清匡なのだから、こうして味わう権利も清匡にしかない。
ちょうど休憩したいなと思っていたタイミングに、一番の好物が飛び込んで来たのだから手を出すなと言う方が無理である。
喉元を擽ってあやすように耳殻を舐めれば恵茉が必死に首を振った。
「ひゃぁっ」
「このフロアは防音だけど、あんまり大声は出すなよ」
囁いてそのまま耳の後ろを唇で擽ると、むずがるように恵茉が俯く。
それでも離すことなく二度三度と背中を撫でてやれば、観念したようにソファの縁を引っ掻いていた手のひらが肩に回された。
最初からそうしてくれればいいのに。
「あの・・・でも・・・・・・誰か・・・・・・来たらどうするの・・・っ」
迷う視線の意味は、期待半分戸惑い半分といったところか。
これが二人きりのベッドルームだったら、一気に期待でいっぱいにさせてやれるのに。
「そんな不作法者はうちにはいないよ」
選定に一番時間と手間と金をかけて集めた優秀な人材ばかりだ。
「まあ、もし鶴見さんが来たら・・・・・・」
優秀な彼女が邪魔をしに来るわけがないのだけれど。
「キヨくんっ」
耳元で本気で怒っている声で名前を呼ばれて、背中を撫でる手のひらを後ろ頭へと移動させた。
機嫌を損ねたいわけでは無かった。
ほんの少しだけ癒されたいだけなのだ。
「ごめん、来ないよ。俺が呼ばない限り絶対に来ない。とくに恵茉がここに居る間は」
「そ、それもなんか嫌なんだけど・・・」
「どうして?邪魔されたら困るだろ?」
「邪魔されて困るようなこと・・・・・・しなきゃいいと・・・思う・・・」
可愛くない正論が返って来て、鼻の頭を甘噛みしてやる。
「きゃっ」
ぎゅっと目を閉じた恵茉を抱きしめて、こめかみにキスを一つ。
二人きりの時間はいくらあっても足りないから、こうして腕の中に閉じ込めているのだ。
清匡にとって勿論仕事はやりがいと生きがいの塊ではあるが、癒しかと問われると答えは否。
レガロマーレは求められる成果をきちんと出すための研鑽と実践の場である。
だから、癒しや温もりはすべて恵茉一人に委ねられている。
清匡の心の柔らかい部分はもうとっくに恵茉が独占してしまっているのだ。
そしてこの先誰にもそれを譲るつもりは無い。
たぶんそれは、もしも二人の間に子供が生まれても変わらないような気がしている。
今のところ身内以外に入室権限は与えていない。
その最上位者が目の前の彼女である。
自分の在席、不在に関わらず、恵茉にはこの部屋への入室許可を下ろしている。
そうしているのだから、多忙な夫を癒すためにもっとサプライズ訪問してくれても良いものなのに、彼女は結婚してからますます、清匡の仕事の邪魔はしたくないと言うようになった。
邪魔なものかとどれだけ懇切丁寧に説明しても、恵茉が来ると仕事の手が止まることに違いは無いと言い返されてしまい、さすがにそれ以上は言い返せず。
ところが、その後で思いついたのだ。
彼女を側に置きながらさらに効率よく仕事を捌く方法を。
それを実践して見せようとしたら、物凄い勢いで拒絶されて有り得ないと突っぱねられた。
見られて困るものはないし、全く分野外の彼女は見たところで内容を理解も出来ない。
それでも、仕事をしている人間の側にただただ居座るのは気が引けるというのが恵茉の言い分だ。
分かるような、分からないような、分かりたくはないような。
それなら五分だけで良いからと抱きしめたら、やっぱり堪え性がなくなって、結局彼女を抱えてソファに移動する羽目になった。
新妻が可愛いと、色々と弊害も増えるようだ。
どちらにしても、幸せこの上ない弊害ではあるが。
最近では、恵茉が来ている時は紅茶のサーブすら自ら行う清匡なので、鶴見は執務フロアの受付で二人を見送るだけになっている。
これくらいのスキンシップ、見られたところで大したことは無いのだが、恵茉が嫌がる。
調子に乗った挙句、やっぱり二度と来ませんと言われるのが一番困るので、圧したり引いたりを繰り返しながら妥協点を探しているところだ。
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