第45話 新婚初日その1
ごろんと寝返りを打って、シーツに頬ずりする。
清潔なリネンの香りをいっぱい吸い込んで、それからまた一回転。
あ、駄目だ、落ちる。
そう思ったのに、まだ頬はシーツにくっついていた。
なんで?と疑問が浮かぶと同時に、頭上から笑い声が降って来た。
「恵茉、さすがにそれ以上は落ちる」
前髪をするんと撫でられて、あれ、と違和感と共に目を開ければ。
手にしたトレーをサイドテーブルに乗せた彼が、こちらに身を乗り出して来た。
「おはよう」
寝乱れた所なんてどこにも見当たらない爽やかな笑顔で告げられて、あ、とこの現実を思い知る。
「・・・やだ」
思わず零した声に、清匡が眉を顰めた。
「やだって・・・新婚初日には聞きたくない言葉だな」
誤解を招きかねない発言だったと今更ながら気づいて慌てて身体を起こす。
「だって、ごめんなさい・・・」
「なにが?」
「・・・・シてない」
「んー・・・」
ちらっと天井を見上げた清匡が、曖昧に言葉を濁す。
え、そんなまさかと自分の胸元を確かめれば、皺の寄ったワンピースが見えて、ないないと過った妄想を振り払った。
「してないよね!?」
「どっちか分からない?」
キングサイズのベッドの端に腰を下ろした清匡が恵茉の跳ねた横髪に指を絡める。
初めては痛いと聞くし、違和感だってきっと残るはずだ。
たぶん、恐らく。
「・・・っだ、って、したことないもん。分かる訳ないよ」
唇を引き結んで答えれば、シーツに手を突いた清匡が覗き込むように恵茉の唇を塞いだ。
閉じる直前の口内にするりと入り込んできた体温に、ぞくりと肌が粟立つ。
どうすればいいか頭では分からないのに、身体はもうちゃんと知っていて、彼の舌をちゃんと受け入れて追いかけ始める。
ゆるく口内を探った後で、上顎を擽られて逃げれば、歯列を辿った舌先が濡れた唇の端をぺろりと舐めた。
「酒は、抜けた?」
「んー・・・うん」
「頭は痛くない?」
「平気」
「それなら良かった。紅茶、持ってきたよ」
恵茉の体調を確認した清匡が、あっさりと距離を広げて、サイドテーブルの上のトレーからティーカップを持ち上げた。
「紅茶・・・?」
「アーリーモーニングティー」
「なあに、それ?」
いい匂いのするティーカップを受け取って質問を投げる。
直訳すれば早朝の紅茶、という意味だろうか?
アッサムの深い味わいと、ミルクのまろやかさを味わって目を閉じる。
「ベッド・ティーとも呼ばれてるけど、朝、起き抜けに夫が妻に入れる紅茶の事」
夫が妻に、の言葉に罪悪感と居た堪れなさがじわじわ忍び寄って来る。
新婚初夜に夫を放置して爆睡した妻に味わう権利のある紅茶なのだろうか。
「美味しい?」
「ん・・・美味しい」
それはもう文句なしに美味しい。
茶葉はいうまでも無く一級品だし、ミルクだって提携牧場から毎朝届けられる極上品だ。
「本当はもうちょっと甘ったるい雰囲気で飲ませてやりたかったけど」
「お、起こせば良かったのに」
「それも実はちょっとは思ったよ」
「・・・・なんで」
ティーカップを恵茉の手から取り上げて、サイドテーブルに戻した清匡が苦笑いを零した。
「こんなに長い時間寝顔を見た事は無かったな、と思って。そうしたら、意外と貴重だと思えた。だから、退屈では無かったな」
「・・・それは何より・・って言えないよ・・・私寝ぐせ酷いし・・・」
「寝言言ってたよ」
「嘘!やだ、なんて!?馬鹿みたいな事言ってたんでしょどうせ!」
眠っている自分にまでさすがに責任は持てない。
何か夢を見ていた気もするが、内容を覚えていないので、言いそうな寝言がさっぱり分からない。
これ以上新妻の資質を疑われるような失態を犯しませんようにと祈るよりほかにない。
今更ながら寝起きそのままの状態で彼の前に居る事が恥ずかしくなって、ベッドの中に避難する。
大きいベッドなので、隠れ場所はいくらだってある。
心地よいスプリングと、清潔なリネンの香り。
口元までデュベの中に潜り込めば、清匡が真上から覗き込んできた。
「・・・教えない」
絶対に何か恥ずかしい事を言ったに違いない。
楽しそうな清匡を睨みつければ、寝ぐせの残る髪を撫でられた。
その手がするりと首筋を辿ってデュベの内側まで潜り込んで来る。
スクエアネックの襟元を指の腹が行き交って、心臓が跳ねた。
爪の先がほんの少しだけ隠れた肌に触れる。
ただそれだけのことなのにビリビリと肌を電流が走った。
まだ誰にも暴かれたことの無い肌に、彼の熱が触れるのだと思うとそれだけで心臓がどうにかなってしまいそう。
少女漫画が可愛くて胸キュンで素敵だけれど、肝心なところはなにも教えてくれないから困る。
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