第3話 ようこそ来訪者

「は ?」


 龍人はそれ以外に言いたい言葉が見つからなかった。意味が分からないのだ。これからここで殺されるというわけでもなさそうだが、かといって目の前に置かれている自分の写真意外には何の共通点も無い情報が載った身分証明書の意味も分からない。


「あ~、まあ別に本当に死ぬわけじゃないからさ。あくまでこっちの世界で動くときはこの証明書とこの名前…山田太郎ってベタな名前にしたのは悪かったが、これを使ってくれってだけだよ」

「いやいやいや、ちょっと待ってくださいって。"こっちの世界"ってなんすか ?」

「俗に言う異世界ってやつかな。まあそこのおばさんに後で詳しい話を聞けばいい」


 自分の全く知らない知識を前提に話を進めるタイプの人間というのはいつの世も人をイラつかせる。そんな話し相手に龍人は問い詰めようとするが吉田は佐那に説明を押し付け、龍人の方をまじまじと観察していた。


「しかし…玄紹院さん、養子にするって本気ですか ? 一応経歴も調べてますけど、はっきり言ってこの子は塀の中で一生を終えてくれてた方が世のためになるタイプだ」


 佐那の目的が少し明かされ龍人が驚いたのも束の間、チクリとした言葉が彼の心を突き刺してきたような気がした。ムッとしたように吉田を睨み返す。


「俺の何を知ってんだよ」


 動揺を隠そうともせずに龍人は言った。


「全部さ、事の発端は君が預けられていた養護施設…すみれ園って言うんだっけか。そこで全員が殺され、君だけが生き残った。碌な通学歴も確認できなかったが、恐らく逃げ続けてたんだな、何かから。そして暫くして名前が表沙汰になる頃には、立派な腐れ不良に様変わりってわけだ。最近の非行大好きな少年少女よろしくタトゥーや髪染めでもしてると思ったが、その辺は特にやってないんだな。意外だ。君みたいな年頃の子は皆憧れるもんだと思ったが」

「わざわざ見えるような目印なんか、体に付いてても困るからな。俺の場合は特にそうだった」

「まあ人は見かけによらないっていうもんな。お前みたいな割と考えて動ける奴でも車泥棒と強盗で生計立てて、仲間にアッサリと裏切られてはムショに入れられる…何度かそれを繰り返してるだろ。しかも被害者を調べたら面白い事に、ヤクザや半グレ…もしくは、そういう連中と裏でつるんでおきながら品行方正気取ってるタレントやインフルエンサーどもだ。盗む相手を君は選んでいたようだな」


 随分と調べたらしく、龍人は否定のしようが無かった。マシな点といえば取り調べの時のようにゴミを見るような視線を向け、ぬるま湯育ちの分際で偉そうな物言いをしながら説教がましく怒鳴って来る警察官たちに比べれば多少は親しみやすそうな所ぐらいである。


「どうせ汚い金で買っただろうし、ああいう連中が車を買う時は大体その手の筋の人間に融通してもらう。それこそいろんな国に送って何度も車体番号変えて見つからないようにしてるだけの盗品だったりする事もザラだ。他の金品だってそう…どこで手に入れたのか声に出せない様な代物を偉そうにぶら下げてドヤ顔してるんだ。何されようが警察の世話になんかなれない。なら仕返し代わりに盗まれるのがお似合いでしょ」

「ダークヒーロー気取りか ? 結局、君もその糞みたいな犯罪の片棒を担いでいたんだぞ」

「別に人助けがしたいんじゃない。いけ好かない奴らの無様な姿が見たいだけだよ」

「…そんなんだから、周りに敵ばっか作って生贄代わりにムショへ送られ続けてたってか」


 龍人を疑い、同時に見下げたような態度を吉田は取り続ける。過去に犯罪者と接触をする機会は幾度もあったが、これほど開き直った態度を取る者は初めてだったのだ。佐那は何か口を挟むわけでもなく、ただただ黙って耳を傾けていた。


「ま、俺には関係ない話か。せいぜい次くらいは真っ当に生きて見ろ。玄紹院さん、あなたも立場を少し考えた方がいい。たとえこの子があなたにとって大事な関係にあるとしてもだ」


 吉田は残りの食事を一気に平らげ、二人に忠告をしながら店を出る。言葉が見つからず無言を貫いていた二人だが、やがて遠慮気味に店員が注文を窺ってきたので渋々稲荷二つずつ食してから店を出て行った。




 ――――店を出た後、車内の中で龍人は呆然としたまま肘をついて窓の外を眺めるしかなかった。絶望だとか悲しみだとかは一切無い。単純に状況の整理が追い付いていなかったのだ。この隣で高級車を乗り回し、奇妙な力で怪物を滅ぼしてみせた佐那という人物は何者なのだろうか。吉田といういけ好かない男は大事な関係だとか言っていたが、それはどういう事なのか。そもそも異世界がどうとか語っていたが、これから自分をどうするつもりなのか。答えが全く見えてこなかった。


 暫くすると必要なものがあるからとコンビニへ佐那が寄り、やがて小さめのレジ袋に腕を通し、両手にホットコーヒーを携えて戻って来た。紙コップで助手席側の窓を小突いて開けさせると、そのままコーヒーを渡してくる。やがて自分も運転席に戻ってから少しだけコーヒーを啜った。思ってたより熱かったらしく、すぐに口を離してからドリンクホルダーにしまって再び車を動かし出す。


「俺の事がっかりしました ? 安いからって調子に乗って買ったおもちゃが、傷物でまともに使え無さそうだった時みたいな気分になるでしょ ? ハズレを引いたってヤツ」


 かなりの時間が経過し、車内にコーヒーの匂いが漂うようになった頃だった。コーヒーを完全に飲み切って心地よくなってきたタイミングで龍人が話し出す。


「噂はかねがね聞いていたから想定の範囲内…若い内はそんなものよ。馬鹿な話ばかりして、馬鹿らしいものに憧れて、馬鹿らしい事をして、そして大きな失敗をして学び…少しずつ成長していく。例外もあるけど」


 高速道路で快調に速度を上げながら佐那は言葉を返す。特にこちらに対して負の感情を向けているわけでは無さそうだった。


「俺はその例外って事 ?」

「このまま行くなら、その通りね。でもまだやり直せる。あなたのご先祖様とは違う」

「ご先祖様 ?」

「ええ…私の大事な人だった」


 やがてそんな会話の後、とある神社へと到着する。既にもぬけの殻であり、当然誰も入れない様になってる筈なのだが、黒服の男が一人入口の近くに立っていた。


「お疲れ様です」

「あなたもお疲れ様、車の処分はお願い。いつものガレージに」

「分かりました」


 黒服の男は佐那を話をしてから龍人にも一礼をし、彼女に鍵を渡されてから車に乗ってすぐにどこかへと運び出した。


「あの、俺の先祖って言ってましたたけど、あなたと何の関係があるんです ?」


 境内を歩きながら龍人は彼女に尋ねた。


「私にとっての兄弟子だった…先輩って言った方が分かりやすいかしら」

「ああ成程…因みにそれ何年前です ?」

「戦国時代辺りまで遡る羽目になるけどいいかしら ?」

「………はぁ ?」

「事実よ。そうでもなければ先祖なんて言葉をわざわざ使わない」


 またもや突拍子も無い発言が飛び出し、龍人はいよいよ胡散臭くなってきた。まさかとは思うが新手のカルト宗教か何かではないだろうか。しかしそのためだけにわざわざ脱獄をさせたとは考え辛い。


「分かったぞ、さてはこれドッキリ――」


 そしてあてずっぽうで物を言おうとした直後、佐那が急に足を止めたのを見て思わず自分も立ち止まる。目の前には境内の中でもひときわ目立つ大鳥居があった。


「少し離れて」


 佐那はそう言うとレジ袋から紙パック入りの日本酒を取り出し、大鳥居の前に線を引くようにそれを撒く。三パックほど撒いてから空になったパックをゴミ箱に入れると、再び大鳥居の前に立って手を合わせる。そして刑務所で見せた時とは違う所作で印を結んだ。そして大きな音を立てて合掌を行い、片手を地面に付けて見せる。彼女の片腕から光る糸が大量に放たれ、地を這うように大鳥居へ向かう。そして鳥居を埋め尽くすようにして壁を形成し、巨大な門へと変化した。


「うおっ…すげ…」

「訓練を積めばあなたも出来るようになる。その気があるならの話だけど」


 呆気にとられていた龍人へ佐那が提案をすると、龍人も少し興味が湧いたかのように目を輝かせていた。


「これから向かう目的地の事を吉田さんは異世界と言っていたけど、厳密に言えばこの世とあの世…それも様々な世界にとって中心であり交差点となる空間なの。人が訪れる事は滅多にない。いるのは人ならざる者のみ…私を除いてはね」

「えっと、化け物ばっかりって事 ?」

「安心して、刑務所で見たアレに比べれば話は通じるわ。その化け物たちが作り上げた街に私は住んでいるの。”仁豪町”と呼ばれている」

「仁豪町…」


 彼女の言葉を龍人は復唱した。正直まだ不安だらけでよく分からないが、不思議と怖さは無かった。


「選択は自由よ。あなたが嫌だと言うならここで別れる事も出来る…でも、薄々分かってるでしょうけど逃げ続けるだけじゃ限界が来るわ。私と一緒に来てくれるなら幾らか安全にはなる筈よ。何より…戦う術を教える事も出来る」

「選択肢いります ? ここで別れてもどうせ行く当て無いし。ひとまずゆっくり眠れるところが欲しい。それに、あんたの使ってるその変な…何かの怪しい術!って感じのやつ、それも興味ある」


 佐那からの問いに対しかなりあっけらかんとした軽い態度で龍人は返事をする。虚勢を張ってるわけでもなく、ましてや何か企みがあるわけでもない。思い残すものも、未練も、資産も彼にはなかった。失う物が無いままの日常に戻るくらいならば、敢えて変化に身を任せて大穴を狙ってみる。その程度の安直な考えだった。


「ええっと、分かった…だけど覚悟はした方がいいわ。危険が無いわけじゃないから」


 どうも締まらない返事を前に佐那は困惑しつつも、彼の言葉に応じて門を押し開ける。龍人は彼女の後に続いて門をくぐっていくが、やがて口を開けて感嘆の声を漏らした。


「マジかよ」


 龍人がそんな風に驚いている間に、佐那は門を閉じてから再び糸状に分解させて完全に門を消失させる。どうやら門は広大な川の岸に形成されていたらしく、消失した後は薄汚れた川や淀んだ空気によって微かに滲んでいる向こう岸が見える。そんな光景に背を向けてから突っ立ったままの龍人の方へと佐那は近づいた。


「どう ?」

「どうって言われても…すげえよ」


 龍人は感想に困っていた。化け物が住んでいるというのだからてっきり荒廃した地獄のような場所だと思いきや、目の前に広がっていたのは人工物と思わしき薄汚れた高層ビル群が並び、その側部、窓、入り口には煌めく無数の看板やネオンサインが飾られている。流れている音楽や看板のデザインにはどこか古臭さもあり、昔映像で見た日本の都市風景に似ている。


 少し進めば通行人が散らばっているが、やはり人間とは何かが違っていた。変な甲羅を背負っていたり、角が生えていたり、中には公衆電話を使っている者に文字通り首を伸ばしながらナンパをしようとしていたりと見た目も行動も多種多様である。時折人間と思わしき者もいたがよく見ると足が無く、宙に浮いていた。さながら幽霊のようにである。


「仁豪町へようこそ」


 佐那は少しだけ微笑み、龍人の肩を軽く叩いてから歩き出す。


「退屈しなさそうだねえ」


 すっかり不安が消え失せた様子で龍人は呟き、意気揚々と彼女について行った。

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