ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

壱ノ章:災いを継ぐ者

第1話 予期せぬ邂逅

 ────O県に位置している刑務所。


 一人の青年が独房で監禁されていた。陰謀によって嵌められただとか大層な物では無い。自動車の盗難と抵抗した被害者への傷害による逮捕、そこから芋づる式で詐欺や複数の暴行事件に関与していた事がバレたのだ。その上で刑務所内でも乱闘騒ぎを起こし、この様な処罰を下されたというだけである。


「食事だ、三百七十八番」


 ドアが開き、無愛想な刑務官が食事を運んでくる。きっと私生活でも友達がいないのだろうと察せられる堅物的な態度のまま、彼は青年の前に食事を置く。少年は何か言うわけでもなく食事の乗った盆を前にして静かに貪り始める。


「君が危害を加えた囚人五人の容体については聞いたか?」


 刑務官の声は、刺激しないように気をつけてるのか静かな物言いだった。


「肋の骨折が複数本に眼底の損傷、その他に腕や脚の骨も折れている…一人に至っては前歯が全て折られていたそうだ。お前の名前を聞いただけで怯えている」

「…向こうが先に仕掛けてきたんです」

「リンチにしようとしたら返り討ちにされた、だろ?それも白状されたよ。だがそれはそれだ。過剰防衛という言葉があるのは知ってるだろ?どんな理由であれ限度はある」


 刑務官は心配しているかのように語り掛けるが、青年にとっては耳障りだった。こちらがリンチにされかけていた事を気づかない節穴ぶりの癖に、外野の分際で事が起きてから説教をしてくる。都合がいい時だけ心優しい大人を演じてるように見えて滑稽だった。


「ところで話は変わるが…」


 刑務官は青年の腕に注視しながら次の話題に移る。とても奇妙ではあるが、彼の腕にはニジイロクワガタのように光る脈のような物が彫り込まれていた。恐らく服を脱げば、血管のようにその脈が張り巡らされているのだろう。


「君のその腕は…いつからそうなっているんだ?その…光る糸のような模様だ、体に刻まれてる」

「…!」


 さっさと消え失せてくれないかといった具合に無愛想だった青年の顔色が変わる。そして驚いた様な顔で刑務官を見ていた。


「見えてるんですか?これ…」

「ああ。生まれつきか?」

「ええまあ…俺以外の人には見えてなかったっぽいんですけど」

「そうか」


 青年は自分の腕をマジマジと眺めてから語る。刑務官はそんな彼に頷き、やがて部屋を出ようとした。


「それはまだ隠し通しておいた方がいいかもしれないな」


 そう言い残して独房を出ていく。そして少し離れて事務室へ入ると、すぐに携帯電話を取り出して少し慌てているような手付きで連絡を取り始めた。


「お久しぶりです…ええ…ええ…見つかりましたよ。名前は霧島龍人きりしまりゅうと。年齢は十九歳。信じられませんが、彼は"見えている"みたいです。何の訓練もしてない筈だというのに…えっ、今夜すぐ?相変わらず無茶な…」


 電話の主の勇み足な頼みに四苦八苦しながら刑務官は応じる他無かった




 ────夜、青年こと霧島龍人は不意に目が覚めた。全身の毛という毛が逆立ち、鳥肌が現れ、僅かにかいていた汗が恐ろしい程冷たく感じる。ふと腕を見れば脈が更にギラギラと光り出している。決してこれが初めての体験ではない。だからこそ彼は恐怖していた。


「嘘だろこんな時に…」


 パニックに陥りかけたその時、激しい呼吸音と共に靴音が聞こえる。足を怪我しているのか、時折靴底が床と擦れる音がした。やがて自分の部屋のドアがガタガタと音を立て、すぐに勢いよく開く。腹部と頭部から出血し、片手に古臭いリボルバー拳銃を握りしめている刑務官が立っていた。昼間に自分へ話しかけてくれたあの男である。


「出ろ!早く!」


 よく分からないが助かった。龍人は口答えする事もなく部屋の外に出る。鉄格子付きの窓に雨が打ち付けられて音を出す。


「ギャアアア!!」


 周囲の状況を把握する前に耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。廊下の曲がり角、その向こう側に何かがいる。そして襲っているのだ。


「いいか、よく聞け」


 刑務官が自分の肩を掴んでくる。


「すぐに中庭…運動場に出ろ!君に会いたいという人がいる。君を助けてくれる筈だ」

「は?」

「行け!早く!」


 困惑する龍人を突き飛ばし、刑務官は震えながら拳銃を廊下の突き当り、こちらへ向かってくる影へと向けた。


「ダメだ…」


 龍人は呟く。彼は分かっていたのだ。そんなチンケなものでどうにかなる相手じゃない。やがて突き当りから姿を現したそれは、目を背けたくなるほどにおぞましい異形であった。


 それはまるで蜘蛛であった。四肢、頭部、内蔵…どこかから奪ってきたのであろうありとあらゆる人体のパーツを、まるで子供が調子に乗ってくっつけ合わせたような歪な蜘蛛の形をした怪物。それがよろよろと蠢きながら現れる。


 頭部には蜘蛛のように複眼こそあるが、目の代わりに囚人や刑務官の頭部が埋め込まれていた。口を開いて呻いている。あんな姿になっても生きているのだ。


「モタモタするな!」


 龍人に刑務官が怒鳴る。やがて我に返った龍人は決して振り返る事なく駆け出した。数発の銃声が耳をつんざき、やがて何かが折られる音、潰される音、そして悲鳴が聞こえた。


「クソクソクソクソクソ…」


 罪悪感を一身に背負い、思い鉄の扉を開けて龍人は中庭へと転がり出る。雨のせいで滑ってコケてしまったがどうにか外に出た龍人だが、ここからどうすればいいのかが分からなかった。ましてや後ろを振り向きたくなかった。


 その時、何かがチラリと見えた目の上にかかる雨水を拭いながら刑務所の壁の方を見る。誰かが壁の上に立っていた。レインコートを来て、フードを被っているせいで顔は分からない。五メートルはありそうな壁だがどうやって登ったのだろうか。


 やがて何の躊躇いもなく飛び降り、水しぶきを立てながら着地する。あの高さでは怪我をしてもおかしくない筈だというのに、これといって苦しむ様子すらなく歩いてきた。


「え、あの…えっと…」


 こちらへ迫る人影に怯えて後ずさりをする龍人だが、すぐに自分が異形に追われている事を思い出した。振り返ると、先程出てきた扉から耳をつんざくような叫び声を上げて異形が這い出て来る。どうすればいいのか分からなかった


「下がって」


 自分に迫って来た人影がそう言い残して自分の横を通り過ぎる。女性の声だった。若くはない。怪物を前にしても一切動じていない彼女の姿に見とれていた龍人だが、やがてある部分に目が留まった。確かに見えたのだ。彼女の手の甲に、自分と同じ光輝く模様が浮き出ていたのを。


 女性は静かに手を動かし、やがていくつかの印を手で結ぶかのような動作をした。そして雨の音が掻き消されるかのような音で合掌を行い。静かに手を離す。すると両手の掌から小さな光る糸が幾つか現れた。やがてそれらは伸び、互いに絡み合い、槍を形成したのだ。


「は… ?」


 困惑する龍人を余所に女性は出現した槍を掴むと、走り寄って来る怪物に目がけて投擲する。目にもとまらぬ速度で放たれた槍は怪物に刺さり、怪物は大きく怯む。人間業ではない威力だった。


 それでも尚怪物は激高しながら女性へと襲い掛かろうとする。だが彼女は静かに右手を胸元で構え、やがて中指を折り曲げて親指とくっつけた。


「”散蔓獄さんばんごく”」


 一言唱えた直後、怪物に刺さっていた槍が糸状に解け出す。すると解けた糸の一つ一つが槍の形へと変貌し、次々と怪物の肉体を貫いた。おびただしい血反吐を吐きながら怪物は倒れ、やがてピクリとも動かなくなる。そして肉体が塵のように瓦解して消失してしまった。


 その末路を確認した女性は再び龍人の方へと歩み寄って来る。


「怖がらないで。あなたを助けに来た」


 へたり込んだまま後ずさりした龍人だが、女性はしゃがみ込んでそう伝える。その声を聞いて動きを止めた龍人を見ながら彼女はフードを取った。絹のように美しい白髪が月明りで照らされ、口元や目じりに少し皺があるが確かな端麗さを感じさせる顔をした初老の女性である。


「霧島龍人で合ってたかしら」

「えっと…はい」


 女性は穏やかな声で語り掛けて来る。そして龍人の名前の確認が取れると静かに手を差し伸べてきた。


玄紹院佐那げんしょういんさな…あなたさえ良ければついてきて」


 女性が名乗り、助け舟を出してくれた。正直信用していいのか分からない。優しい声で近づいておきながらどん底に突き落とす者など腐るほど見てきたし、味わってきた。だが他に道はない。意を決した龍人は静かに彼女手を掴む。雨に濡れている筈だが、心地のいい温もりを感じる手だった。

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