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新巻へもん

第1話 修道院からの追放

「ということで、オルシーニ家の全財産はアンジェリーナ様の叔父セルヴァ様が相続されます。アンジェリーナ様への仕送りも打ち切られることになりました」

 セルヴァ・オルシーニの使いという男は隙の無い身なりをしている。格子の向うで私の手の届く範囲からギリギリ外れる位置で書類を広げて見せた。

 古ぼけた造りの修道院の面談室は窓が小さく少ないので薄暗い。

 そんな中で書類を広げられても文字が読みづらかった。

 分厚い革の表紙に挟まれた書類に目を凝らす。

 確かに説明を受けた通りのことが書いてあった。右下には叔父が父の全財産を相続することを承認する国王陛下の御名御璽。

 使いの男は私が手を伸ばして書類を破り捨てるのではないかと警戒している。

 その一方で怜悧な顔の片側に薄笑いを張り付けていた。

 さすがは叔父の関係者。陰険なところがよく似ている。

 ふと横を見ると立ち会った修道院長が深刻な表情をしているのが見えた。

 まあ、それはそうよねえ。私を預かっていることで修道院が得られていた収入が途絶えるとなればそれなりに痛手のはずだ。

 でも、今さら事を荒立てるつもりはないけれど、修道院に支払われている金額からすれば、私への待遇はもっと良くてもおかしくないんだけどな。

 ワインは薄いし、パンは固いし、季節の果物は萎びている。

 その差額はどこに消えているのかしら?

 いけない。今はそれどころじゃなかった。父の財産を相続できないことの方に集中しなきゃ。

 普通の女性なら半狂乱になって暴れてもおかしくはないところだ。

 女の身では家は継げないにしても、遺された財産の少なくても百分の一ぐらいは、化粧料として相続できるのが通例だ。

 その百分の一すら渡さないという叔父の執念が凄まじい。

 まあ、王国内きっての裕福さを誇るオルシーニ家の財産は百分の一であっても、この修道院のあるシリルーの町を含んだ一帯がまるまる買えてしまうのだけど。

 相続した資金を手土産にし、実家の家名を背負ってできるだけ条件のいい貴族の家へ嫁ぐ。世間一般ではそれが令嬢が選びうる唯一の幸せな人生行路とされている。その門が閉ざされようとしていた。

 さて、どうしよう。

 期待通り騒いでみせるか、悲嘆にくれて洗面器一杯ほどの涙を流してみせるか。

 目の前の男は私の痴態を戻って報告するように命ぜられているに違いなかった。ただ、それって普段の私っぽくないのよねえ。

 オルシーニ家の変人令嬢。いつも本にかじりついていて、衣装や帽子、宝石や花などに女性が好きそうなものに興味を示さないことから私に密かに名付けられたあだ名だった。

 あまり平然としすぎた姿でも叔父が色々と余計なことを勘繰りそうで面倒だけど、かと言ってやりすぎるとやっぱり疑われそう。

 間をとってこれぐらいがベストかしらね。

 私は悔しそうに唇を震わせながら声を絞り出す。

「陛下が認められたのであれば、やむを得ません。お話は承りました。それではお引き取りを」

 私のこの演技力なら野外劇場で主役を張れるんじゃない?

 男は相続裁定書の写しを格子の下の隙間に滑り込ませる。私たち二人に向けて形だけは完璧に礼をすると反対側の出入口から部屋を出て行った。

 通常なら怒りに任せて引き裂くところだろうけど、あいにくと私は文字が書かれたものを粗略にすることができない。書類に罪はないし、言い回しが何かの参考になるかもと考え、丁寧に折りたたんだ。

 手を動かしながら、出て行った男を思い浮かべ、ささやかな呪いをかける。今後毎朝家から出たところで犬のホッカホカのアレを踏みますように。

 修道院でそんなことを願うのは罰当たりかしら?

 でも、神様もセルヴァのような男に天罰を下すことはないんだし、これぐらいなら目をつぶってくださるでしょう。

 そんなろくでもないことを考えていると、修道院長はため息をつきながら私に声をかけてきた。

「アンジェリーナ。非常に残念なことですが、あなたをこちらで預かることはできなくなりました。大変心苦しいのですけれど……」

「院長様。分かっております。せめて今月はこちらに」

「そうしたいのはやまやまですが、決まりは決まりなので」

 よく言うよ。まあ、この返事は想定内だけど。

「では、明日にはこちらを出ますから。せめて今宵だけは皆さまと最後のお別れをする時間をお与えください」

 頭の中で素早く計算している様が見て取れる。半年に一回送られてくる預かり料の今回分が滞っている私をさらに一日住まわせることはさらなる無駄な出費になってしまう。それでも総額では黒字のはずなんだけどね。

 一方で、無慈悲に追い出すことがどう世間に受け止められるかの評判も気になるのだろう。

 業突く張りな一方で世間体を気にする院長様もどうやら答えが出たらしい。

「確かにあまりにも急なお話です。身支度もあるでしょうから、今夜はこちらに滞在することを許します。ですが明日にはお気の毒だけど出てもらわなくてはなりませんよ」

「ありがとうございます。院長様」

 しおらしく顔を伏せて感謝の意を示した。心の中で舌を出しながら。


 翌朝早く、朝食が出てくる時間よりも前に私は修道院の門を潜って外に出る。

 食料品や日用品などを運んでいる馬車に、シリルーの町の中央広場まで乗せていってもらうことになった。

 たいした距離ではないけれど、荷物も重いので歩かなくて済むならそれに越したことはない。

 身の回りの物を詰めた大きな鞄を馬車のおじさんが荷台に乗せてくれた。

 修道院長をはじめとする見送りの一同に丁寧に頭を下げる。

「今日までお世話になりました。ごきげんよう」

 数人はばつの悪そうな顔をしていた。金の切れ目が縁の切れ目とばかりに私を放り出す修道院長の方針に思うところがあるのかもしれない。

 身寄りもなく無一文で世間の荒波に揉まれることになる私の行く末を案じてくれているはずだ。基本的には善良なのだと思う。

 ただ、私に救いの手を差し伸べるだけの余裕はない。

 私を追い出す修道院長も別に非道というわけではないのかもしれない。建設から年数が経ちあちこちガタがきている修道院の補修費がこれから必要になる。

 そんな状況で日常生活に関することがまるでできない私を置いておくことは他の者にも示しがつかないだろう。

 掃除、洗濯、料理、裁縫。なに一つ私は満足にできなかった。

 まあ、修道院長は吝嗇なのは間違いない。神に仕える立場にしては金に汚いとは言えるだろう。

 修道院から出るということに関しては私の利害と一致するので、そのことに関しては恨みはない。

 私は胸を張って荷台に乗り込むともう一度だけ頭を下げる。

 ガタゴトと走り出した馬車の上で私は膝を抱えた。

 見上げれば空は雲一つなく晴れ渡っている。新しい人生の門出に相応しい天気だった。元々このセルリア地方は晴れの日が多い。

 中央広場で馬車から降ろしてもらった。

 人の良さそうなおじさんは何か言いたそうにしていたが、帽子を取ると馬車に乗って去って行く。

 さて、これからどうしようか?

 実はすぐには生活に困らない程度のお金などは旅行鞄の二重底の下に隠し持っている。今は亡き母が持たせてくれたものだった。

 もちろんいつまでも遊び暮らすわけにはいかない。

 そして、お金より大切なのは、いくばくかの本と数葉の母からの手紙。

 私に遺された貴重な財産だった。それと母譲りの明晰な頭脳。

 まあ、なんとかなるでしょう。

 これだけは父譲りの楽観的な性格の命ずるまま、修道院で食べ損ねた朝食の代わりを求めて、私はいい匂いをさせている軽食屋に足を向けた。

 

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