第28話 発症患者A


―――発症者患者A―――


 『あの日』から私、星見京子は、人にどう思われているのかが怖くて仕方がなくなってしまった。


 『あの日』のことはよく覚えている。古くからの友人に、私の秘密を打ち明けた時だ。友人の名前は、月下湊。本当によく気が利く子で、美人で、私にとってはあこがれの人だった。そして今まで、お互いの事のほとんどを打ち明けてきた親友のような関係でもあった。


 だからこそ、私は、今まで自分の心の中で、封じ込めていた最大の秘密をあの日、彼女に話そうと思った。秘密というのは、私が、LGBTの中でLesbianに該当する同性愛者であることだ。小学生の時、自分のこの個性に気づいてから、私は家族以外にこのことを隠してきた。女なのに女の子が好きだということが知られたら、他の女の子にひかれてしまうかもしれない。そして距離を開けられることがたまらなく怖かったからだ。


 しかし、そんな自分にこのままでいいのかという気持ちもあった。自分の個性は、きっとこれから先変えることはできない。だからこそ、いずれ私は自分のこの個性と寄り添って生きていかなくてはならない。テレビ番組で、LGBTの方が取り上げられる際、私はいつも憧憬の目で彼や彼女らを見つめる。そして、いつか私も、この人たちのようにこの個性に胸を張って生きていきたい、といつも思っていた。


 『あの日』はそんな私が、今までの自分を変えるために勇気を振り絞った瞬間だった。きっと湊なら、そんな私の事を理解してくれる。だからこそ、湊から少しずつ個性を打ち明ける人を増やしていって、最後にはみんなに私の個性を理解してもらおう。そして、自分の個性に胸を張って生きていけるよう頑張ろう。私は『あの日』そんなことを考えていたのだ。


 でも、湊はこう言った。


「え? 嘘だよね? 京子はレズじゃないでしょ? 冗談やめてよ。だって同性愛なんて気持ち悪いじゃん」


 それを聞いて頭が真っ白になったことをよく覚えている。だから私は冗談で取り消せばよかったのに、震える声で『ごめん、ほんとなんだ』って言っちゃったんだ。それっきり湊とは話さなくなって、私は、普通じゃない自分のことが大嫌いになった。


 司君から急に告白されたのはその二週間後ぐらいの事だった。司君は顔が整っていて高身長で、クラスでも人気があったけど、自分に自信がありすぎるところがあまり好きじゃなくて、私は断った。


 当時は知らなかったなあ。その司君が、湊が好きだった子だなんて。私の記憶では、確か他のバレー部のエースの悠人君が好きなんじゃなかったっけって思ったけど、まあ湊は結構好きな人変わるしね。それが分かってたら、司君と同じグループだった時、もっと愛想悪くしたんだけどなあ。


 それからしばらくして、なぜかみんな私がレズだってことを知るようになった。もともと少しずつ打ち明けていくつもりだったけど、こんなことになるとは思わなかったなあ。それから机の上に『気持ち悪い』とか書かれるようになって、消しゴムがなくなるようになって、教科書がなくなるようになって、上履きがなくなるようになって。


「京子、流星群を見に行こうか」


 お父さんがそういったのは、私が不登校になってしばらくたった時の事だった。名字に星はついてるけど、正直私自身、星にはあまり興味なかったんだ。だけど、これが、昼に周りの視線が怖くて外に出られない私を、外に出すための苦肉の策だということが分かっていたから、両親の気持ちを無下にできなかった。だから私は、今夜、夜空に降り注ぐといわれている流星群を見に外へ出た。


 星のよく見える新月の夜だった。たくさんの星が命を燃やして夜空を彩る姿は、人生に希望を見出せなかった私には、あまりにもまぶしく見えた。


 星が願いをかなえてくれる、そんなおとぎ話を信じているわけではなかった。しかし、その日の星のまばゆさには、自然と願いをつぶやいていた。


 ああ、神様お願いします。これ以上、人の評価に怯えるくらいなら、人の顔色を窺い続けるくらいなら。


 ――人の感情が理解できるようにしてください。


 それから私には傷跡が、体に浮かぶようになった。


 当時は思わなかったが、今思えば、ずいぶんと親不孝な願いをしてしまったと思う。両親にそのことを打ち明けた時、二人は『ごめんね』と潤んだ声でしきりにそう言った。


 それから二人は、私のためにいろいろなことをしてくれるようになった。転校先もすぐに見つけてくれて、有休をたくさんとっていろいろな場所に連れて行ってくれた。


『いい? 京子。せっかく転校してきたんだから、あなたは目いっぱいここで学校生活を楽しみなさい。勉強とか、別にいい高校に行こうとしなくていいから。あなたはここで大好きなものを見つけて、それを目一杯楽しむの。そうすればきっと、あなたは自分のこともきっと好きになれるはずだから。自分らしい自分が見つかるはずだから』


 母さんの言葉は、今でもしっかりと覚えている。


 私は、このままじゃダメだって、強く思った。だから、自分の事を好きになるために、一つの努力をした。それは、私が大好きな存在「AFTER CUT」に自分を近づけることだった。


 この曲は、私が何度も死にたいと思った時に引き留めてくれたバンドだった。特に一番私が大好きな曲『AFTER CUT』は、私もこの痛みの後で、自分を見つけるんだって辛い現実に抗わせてくれた。


 そんな努力もあって。私の傷は少しずつ浮かび上がらないようになっていた。少しずつ自分という者も、確立していっているような気がして、人の評価も気にならなくなっていた。


 でもまだ、私は、自分の事を好きになっていたわけではないということは、痛いほどわかっていた。私が好きなのは。『AFTER CUT』に近い自分であって、本当の自分ではない。結局誰にも自分の個性を打ち明けられていないことが、その何よりの証拠だった。


 そんな悩みを抱えているときに、私は君を見つけたんだ。


 最初は、君のことは正直、良く周りが見える人ぐらいにしか思ってなかったんだ。視線に君が映るときは、いつも君は誰かに相槌を打っていたね。いつも人の感情を先回りして考えて、その人の望むように動いて、やさしい人だなって思ってたよ。でも、同時に大変そうだなとも思ってた。そして不思議と、黒髪の頃の私に似てるなって感じてた。


 だからかな、あの日の放課後、君の腕を見ても、そんなに驚かなかったんだ。私と同じ傷がある人は初めて見たはずなのに、不思議だよね。でも、君は私が驚かないことに驚いていた感じだったからさ、私も変なこと言っちゃった。タトゥーみたいな傷だってさ。いくらタトゥーにあこがれても自分から傷を付ける人なんて中々いないのにね。


 あの日の後、家に帰って思ったんだ。もしかしたら、経験者である私なら君の傷も無くすことができるんじゃないかって。そうしたらさ、君の過去に何があったのかはまだ知らないけど、そのトラウマを乗り越えさせてあげることができるでしょ。それで君が君の個性を好きになってくれたら、私も私のことを今より好きになれるんじゃないかって思ったんだ。

 

 今考えたらずいぶんと打算的な女だよね。自分の事を好きになるために、君の境遇を利用したんだよ。過去の自分と君を重ねて、結局私は自分を助けたかっただけなんだ。本当にごめんね。あの時は、自分の過去を乗り越える方法がわからなくて必死だったんだ。そして、こんなに罪悪感を覚えるほど、君が私にとって大切な人になるって思わなかったんだ。


 それから私は、君の傷をなくすために君に関わるようになった。でも確か、先に声をかけてくれたのは、君だったよね。『きれい』なんて簡単に女の子に言っちゃいけないよ。まあ私もすごくタイプの女の子がいたらそう言っちゃうのかな。


 あの後に学校でCDを渡したんだよね。今思えば、急にCD貸すなんて変な奴だよね。でも、なんとしてもさ、君に『AFTER CUT』を聞いてほしかったんだ。君はロックなんて聞かないだろうし、この曲を最初は好きになれないだろうなって思ってた。だけど、そうだとしても、君に彼らの存在を知ってほしかったんだ。自分とは対極にいる人たちの声を聞いて、君がどう考えるのか知りたかった。


 君からご飯の誘いが来たときはびっくりしたよ。『AFTER CUT』の感想を聞きたくて連絡先は交換したけど、まさかその日のうちに誘いが来るとは。今思えば、あれは東根君に誘わされたんだよね。


 東根君と話した時はびっくりしたなあ。正直、司君の件で、背の高いイケメンは若干トラウマだったから、彼が司君の性格と対照的でびっくりした。あんなに女子としゃべれなくなるイケメンいるんだね。でも、話してみたら本当にいい人だし、『AFTER CUT』も好きな人だったし、会えてよかったと思ってるよ。


 そうあの日だよね。平谷君が泣いていたのって。びっくりしたなあ。でも平谷君がかかえているものを打ち明けてくれてうれしかったよ。それでさ、私も、なんか言う必要もないこと言っちゃったな。色を見つけたいだとか、言う気はなかったのに。きっとさ、私自身も、君という人間に不思議な魅力を感じていたんだろうね。そして君の存在が少しずつ私の中で大きくなっていったんだ。


 それからは三人でよく遊んだね。あと、やっぱり平谷君って夏は長そでなんだ。あれ暑いよね。私もやってたけど、暑そうな平谷君を見て、ちょっと面白かったよ。そう、それを面白いって思えるくらい、私たちは仲良くなったんだね。


 でも夏には、夏祭りがあったのか。あれは楽しかったけど、いい思い出とは言えないね。東根君、生きててよかったなあ。あと、東根君が入院してる時に君と傷の事も話したんだよね。いやあ、うかつだった。きっとあれがあったから君に私の傷の事も勘付かれたんだよね。でも、自分を打ち明ける恐怖とか、そんなの頭にないくらいさ、君たちに親友に戻ってほしかったんだ。友達を失う辛さを私はよく知ってるから。


 あ、そうかその仲直りよりも前に、病室で東根君に告白されたのか。面白かったんだよ。東根君十六時くらいに話があるって病院に呼び出してさ。それから一時間無駄話をした後に、やっと告白してきたの。なんなんだろうね、あの踏ん切りのつかなさは。しかも告白する時さ、私と目を合わせなかったんだよ。まじめな空気だったけどちょっと笑っちゃった。でもきっとそれが彼の良さなんだろうな。


 それから君も告白してきたんだよね。あれはびっくりしたなあ。東根君の気持ちには薄々気づいて、どうしようか悩んでたけど、君にも好かれていたとは思わなかった。きっと東根君のためなんだろうけど、君は自分を隠すのが本当にうまいね。結局君も振ってしまったけど、私は、そこら辺の誰よりも君の良さを知っている自信はあるよ。だから、今度は……普通の女の子に恋をして、幸せになって欲しいな。


 本当に君たち二人との日々は楽しかったよ。正直何度も私の秘密を打ち明けようと思ったんだ。でも、気持ちの踏ん切りがつかなくてさ。そしたら、まさかこんな形で伝わるなんて、思わなかった。


 君たちがさ、私の事気持ち悪いって思うなんて、本当は思ってないよ。でも、怖いんだ。真実を知って、君たちの態度が変わるのが。君たちは私に振られても、私と関わる態度を変えないでいてくれたのに、なんで私は、そんなことも信じられないんだろうね。


 あーあ、レズであることをもっと早く打ち明けていたら、こんなことにはならなかったかな。三人でさ、好きな女優のタイプの話とかしたかったな。私、女子の髪が好きなんだけど、そういうフェチの話とかできたかな。同じクラスの誰々がかわいいとか、女子の誰々にやさしくされてドキドキしたとか………誰かを、好きになったとか、そういう話が君たちにならできたのかな。……ああ、ダメだ……自分で距離を空けたのにね……こんなこと考えちゃ……ダメなのに。やっぱり……私――。


――離れたくないなあ。

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