第14話 『TRUTH』
救急車が病院に着くと、海斗の両親がすでに来ていた。医者に海斗の容態を伺ったところ、幸い車もあまりスピードが出ていなかったため、命を奪うほどのものではなかったということだった。それを聞いた後に、僕は二人に海斗を託して家に帰った。
もちろん海斗のことは心配だったが、病室で目が覚めるまで彼のことを待っていようとは思えなかった。今の僕には、目を覚ました彼と対峙する勇気が、僕にはなかったからだ。
玄関を開けると、僕の両親が心配した様子で迎えてくれた。花火大会で、東根海斗が事故にあった。この情報は、すでに近隣住民の元には広まっているようだった。両親は、僕に事故の様子をひとしきり聞いた後、「海斗君のことは残念だが、お前は無事でよかった」そう言った。僕は、その言葉に対して、曖昧な笑みを浮かべて、頷いた。
僕が轢かれてしまえばどんなに良かったか。帰り道何度もそう考えた僕にとって、両親からその言葉を受け取るのは、複雑だった。
ひとしきり両親と話した後、僕は部屋に荷物を置いて、風呂に向かった。そして、傷だらけで血のにじむ体を洗った。改めて姿鏡で自分の体を見ると、やはり想像以上に、酷い状態になっているのが分かった。いつもは、腕だけでとどまるが、今日の言葉の傷は、どれも胸のあたりまで伸び、今でも針に刺されたような痛みを残している。
僕は、苦痛に顔をゆがませながらも、何とか体を洗い、あまり体を動かさぬようにして浴槽につかった。僕が湯につかると、透明なお湯が徐々に薄赤く色を変えていったので、気味が悪くなり、早めにあがった。もうすでに両親が入った後でよかった。
部屋に上がってベッドに倒れる。しばらく呆然としていると、携帯のバイブレーションが鳴った。体を起こして机の上の携帯を取る。画面を見ると、星見さんからだった。きっと今じゃなければ、胸が躍るようなシチュエーションなんだろう。内心でほくそえみながら、受信ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
「はいもしもし」
「あ、もしもし、今さっき聞いたんだけどさ。海斗君が事故にあったってホント?」
不安で、今にもジェンガが崩れそうなほど、震えた声。優しい人だな。そう思いながら、質問に答える。
「うん、ほんとだよ」
「そんな、何があったの?」
僕は彼女に対して、目の前で起こったこと全てを伝えた。事故は横断歩道手前で起きたこと。内容は伏せたが、彼がそこを渡る直前に、僕が彼を呼び止めたこと。その時に、飲酒運転をしていた車が突っ込んできたこと。今海斗は、病院にいて、まだ目を覚ましたという連絡はきていないこと。
脳裏にじわじわと浮かんでくる、海斗が跳ね飛ばされたときの様子や、傷跡に記された言葉。それらに対して浮かんでくる感情をどうにか押し殺し、平静をどうにか装いながら、僕は、彼女にすべてを話し終えた。
「そっか。大変だったんだね。とにかく二人とも事故にあったわけじゃなくてよかった。東根君、早く目が覚めるといいね」
両親と同じように、彼女もまた僕の身を案じてくれた。どうしてみんなこんな人間の身を案じるのだろうか。人の善意を受け止めても、冷えて渇くことしかできない心。そんな自分を出さぬように、僕は言葉を発する。
「ありがとう。ほんとに早く目を覚ましてほしいよ」
「うん」
すると、しばらく星見さんが何も聞かなくなってしまった。僕はもう少し質問が来るだろうと身構えていたので、心の中で首をかしげる。電話の向こう側ではうまく読み取れないが、相手の出方を伺うようなそんな沈黙。数十秒ほどその空気が維持された後、星見さんの方から、声が発せられる。
「ねえ平谷君。もし違ってたら申し訳ないんだけど、もしかして自分が事故にあえばよかったのにって思ってない?」
心の中全てを見透かされたような、そんな感覚に僕は陥る。その瞬間、僕は潜めていた心の奥底を、彼女に対してすべて打ち明けたくなった。体を覆うメッキをすべて引きはがして、彼女のやさしさに包まれたいと、心の底から望んでいた。
「いいや。思っていないよ。心配してくれてありがとう」
しかし、僕は、心の奥底にあったその弱い感情をすべて押し殺す。それだけは、彼女の優しさに甘えるのだけはしてはいけないと感じた。海斗の不幸を利用し、彼の思い人と弱さを共有する、悪気がなかったとしても、今僕が望んでいるのは、そういう行動だ。例えどれほど自分が辛くても、これ以上彼を裏切るような真似をしてはいけない。
「ほんとに? 大丈夫?」
彼女は、温かい声でそれでも僕を包み込もうとする。僕は、その悪魔のような天使のささやきをそっと振りほどき、相手に伝わらなくても、精一杯笑顔を作って言った。
「うん。ほんとに大丈夫だよ。きっと海斗もそんなこと望んでないってわかってるし」
言葉を飾り繕って、思ってもいないような嘘を並べる。
「そう? ならいいけど」
彼女は不安そうな声を出しながらも、一応形だけは納得の意を見せる。これ以上電話を続けると、ぼろが出そうな気がしたので、僕は、会話をまとめて話を終わらせようとする。
「とりあえず、海斗の件はそんな感じだったかな。目が覚めたって連絡が来たら、星見さんにも知らせるよ。後、もし機会があればお見舞いにも言ってあげてほしいかな。きっとあいつも喜ぶと思うから。それじゃあ」
言葉を言い終えた後、僕は、スマホから耳を話して、赤の終話ボタンに手を伸ばそうとした。すると、ボタンに指が接する前に、かすかに星見さんの声が聞こえてくる。
「ねえ、平谷君も海斗君のお見舞い、行くんだよね?」
答えを恐れるようにして、おずおずとした様子で彼女は尋ねた。
――なんでこの人は、これほどまでに人の考えていることが理解できるんだろう。
「――うん。行くよ。きっと」
そして僕は、赤い電話マークを指で押した。電話が終わった途端、あらゆる音が消えて急に静かになる部屋。真っ黒で冷たい独りの空気が、徐々にこの部屋を侵食していく。さらにその冷気は徐々に脳内にも侵入していき、深い暗闇へ心をいざなおうとする。
――この雰囲気はだめだな。
僕は、辺りを見回して、まとわりつく孤独から逃れるすべを模索する。すると、やはりこういう時に限って目に付くのは、やはりあの『AFTER CUT」のCDだった。もちろん、以前借りていたCDは返したので、いまだに星見さんの所有物が僕の家にあるわけではない。これはまだ、仲良く三人で遊んでいた数か月の間に、僕が星見さんや海斗にすすめられて購入したものだ。
『AFTER CUT』が作曲した曲の中でも、最もファンに愛された曲。それらをいくつかかき集めてCDに収録したものらしい。ちなみに以前星見さんから借りていたものと同じものだ。
かつてはこのバンドの曲は聞くだけで拒絶反応を示していた僕の耳も、公園の件から少しずつ彼らの曲を受け入れるようになっていた。とはいえ、一番初めに聞いた、最もメッセージ性をぶつける曲にはまだ手を付けられていないが、『Don`t be invisible』くらいの間接的なメッセージ性は受け付けられるようになっていた。
僕はCDをパソコンに入れて、なんとなくよく二人に勧められた『TRUTH』という曲を探した。真実を意味する英語で綴られたその曲は、星見さんが最も演奏しやすいと言って、よくギターで弾いている曲だ。僕が初めて星見さんの演奏を聴いていた時、彼女はこれを弾いていたらしい。
イヤホン越しに、ベースの重厚な低温が響いてくる。そして八拍子が経過するたびに、キーボード、ドラム、ギターと徐々に楽器が演奏してくる。そして山場まで登っていき、音が最高点に達したときに、ボーカルが『TRUTH』と叫んで、曲が本格的に始まる。
曲の内容はこうだ。父親と二人で暮らす主人公。母親は、主人公の物心がつく前に、離婚していなくなってしまっていた。主人公は、よく読む本の中にある子どもを愛する母親の姿に憧れを抱き、父親に秘密で母親を探す旅に出る。泥棒に物を盗まれても、何かトラブルに遭遇しても、立ち止まらず前に進んでいく主人公。彼が目的はただ一つ、物語のような優しい母親に出会うことだった。
数週間旅を続けていた時のこと、主人公はようやく自分の母親の情報を手に入れる。やっと母親に会える。そう思い、息を切らせて母の家へ駆けだす主人公。このドアを開けば、物語のような愛溢れる自分の母親と出会える。希望を胸いっぱいに秘めて、彼はドアを開けた。そんな彼を迎え入れたのは、主人公よりも幼い小学生くらいの少年だった。
主人公は、混乱する頭を抱えながらも、少年に要件を伝えた。『○○さんっているかい?その人に会いたいんだけど』少年は、怪訝な顔を浮かべながらも家にもどって主人公の母親を読んできた。彼女は、主人公の顔を見て言った。はい○○ですけど何か御用ですか。
主人公の心臓は跳ね上がった。目の前に、自分の母親がいる。フィクションでしか見たことのなかった本物の母親が。主人公は、こみあげる気持ちを抑えきれず、早口で彼女に向かって言う。『僕です。○○です。あなたの息子です』彼は、自分のことを満面の笑みで迎える母親を期待した。
しかし、主人公の言葉を聞くと母親の目はどんどん冷たいものへと変わっていった。彼女はまるで悲鳴でもあげるかのように彼に言った。
「出ていって。あなたなんか知らないわ。私は人殺しとの子どもなんて生んでないわ。もう二度と顔を見せないで」
主人公は、彼女に家を追い出された後、呆然と立ち尽くしていた。この日、彼は、二つの真実を知ったのだ。優しかった父親は過去に人を殺していたこと。そして彼は母親に愛されていなかったこと。はたして彼にとってこれらあの真実は必要なものだったのだろうか。
こうして曲は締めくくられている。真実が必要か、必要でないのか。結局訳をみてもこのバンドは明示していなかった。真実を知った少年がこれからどうなるのか。それは聞き手の解釈に任せたということなのだろう。
僕は、ベッドに戻り、目を閉じて海斗に思いを馳せた。彼はどうだったのだろうか。彼にとって僕が抱えていた真実は必要なものだったのだろうか。僕は、彼に対してこの気持ちを本当に打ち明けるべきだったのだろうか。
――でも、そんなこと考えるまでもないよな。
僕は、横向けに寝そべり、目の前にある腕をじっと眺める。ようやく血は止まったものの、ぼろぼろになり見ているのもつらいほど痛々しい腕。親友の激情から浮かび上がった、僕の罪の象徴。
そうだ。あの言動が正しかったかなんて、あの事故が、この傷が、一番よく表しているじゃないか。僕は決して彼に真実を伝えるべきではなかったのだ。自分という箱の中に鍵をかけて、決して開くことのないようがんじがらめにして封鎖しておくべきだったのだ。そうすれば、今こんなにも見ている景色全てがグニャグニャにゆがむことなんてなかったろうに。
特に意識もせずに天井を見上げると、そこには、部屋中を照らす光があった。いつも浴びているはずのその蛍光灯の光、今日はなぜだかそれがひどくまぶしくて、煩わしくて。僕は、ふらふらとした足取りで、部屋の電気を完全に消す。そして真っ暗な暗闇の中、僕は手探りでベッドを探し、布団を深くかぶった。何も見えない暗闇の中、何も聞こえない沈黙の中、目じりを伝う滴がわずかに頬を濡らした。
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