第12話 夏祭り、そして射的
提灯のぼんやりとした光が、優しく辺りを照らす。周囲の人たちは、ソースのにおいを漂わせながら、店ごとにしきりに進んだり立ち止まったりを繰り返している。夜に集まった浴衣の人の群れは、大きな音と形を成して、昼の日差しにも負けぬほどの確かな熱を宿していた。職員室の件から数日経過した頃、僕らは例の夏祭りに来ていた。
「ねえ、星見さんまだ来ないのかな」
和服姿の海斗が、僕に尋ねた。彼は、落ち着かない様子でうろうろと下駄の音を鳴らし、しきりに髪を気にしていた。僕は彼の様子に呆れながら、答える。
「うーん。どうだろうね。もうすぐ来るとは言ってるけど、もう集合時間過ぎてるしなあ」
「なあ、星見さんって今日浴衣で来ると思う?」
唐突に海斗がそんなことを僕に尋ねてきた。いまいち何を意図とした質問か汲み取れなかったため、僕は怪訝な表情を浮かべる。
「分からないけど浴衣なんじゃないの? 何、そんなに浴衣姿観たいの?」
「いやだってお前、女子がこういう時に浴衣着てくれるかどうかって結構大事なんじゃないの? だって浴衣って着るのにめちゃくちゃ手間かかるんだぜ? それなのに着てくるってことは、脈ありの可能性高まるんじゃないか?」
多分、昨日の夜に夏祭りデートで検索をかけたら出てきた記事なんだろうな。そんなもの人によって変わるに決まっているだろうに。きっと僕の親友は、今日までにそのような情報を調べ、自分と照らし合わせては、一喜一憂していたのだろう。
けれど僕は、そんな海斗のことを決して自分が笑うことはできないということを自覚していた。なぜなら、今、海斗にこの話を聞かされて、星見さんが浴衣で来るかどうかに関心を抱いてしまっている自分がいるからだ。
「ああ、どうだろうね。まあそう考えたら確かに、着てきてほしいかもな」
平静を装って、普段通りに言葉を発する。すると、人ごみの中から、カツカツと速足で下駄の音が聞こえてくることに気づいた。僕と海斗は、その方向へ目を向ける。そしてその人ごみの中から彼女はゆっくりと出てきた。
「ごめん。また遅れてしまった。いつも私ぎりぎりだよね」
彼女は、息を切らしながらそう言った。ぶかぶかの袖から通る細い腕で、呼吸の度上下する胸を押さえている。青の鮮やかな朝顔の柄に巻かれたえんじ色の帯が、とても苦しそうだった。しかし、今苦しそうな表情を浮かべているにもかかわらず、そんなこと気にも止まらないほど、浴衣姿の彼女は、とても美しかった。
彼女の浴衣姿を見た後、僕は海斗の方に目を向けた。浴衣姿を着ていたら気があるかもしれない。そのような理論を提唱していた彼が実際、意中の女の子の浴衣姿を見た時、どのような顔を浮かべているか気になったからだ。今頃彼は、物事が自分の思い通りに進んで、満足げな笑みでも浮かべているのだろうか。
ところが、海斗の表情は、そんな僕の予想とは全く違っていた。彼は確かに笑みを浮かべていたが、その笑みは、決して僕が考えたような狡猾なものでは全くなかった。彼は、周囲の情報など全く入る余地もないくらいに、呆然と星見さんを見つめ、わずかばかりの柔らかな笑みを浮かべていた。そう、彼は親友の僕でしか気づかないほど、ささやかに、ただただ彼女に見とれていたのだ。
――ああ、この人は本当に彼女のことが好きなんだな。
屋上にて、星見さんへの自分の気持ちを再認識した日。あの日から、僕はずっと、自分が自分の恋をかなえていいものなのか葛藤していた。星見さんと関わった頻度は、海斗より僕の方が多いとはいえど、僕は所詮後から好きになった身。その上、僕は、彼の星見さんへの気持ちを知った後で、好きになったのだ。だとすれば、僕は身を引いて彼のことを応援するのが筋の通った行動である。
けれども心の中には、どんな理由でも、自分の気持ちに嘘をつくべきではないのでは、という気持ちが残っていた。今まで僕は、周囲の人間の形成する流れに対して決して逆らわないようにしてきた。自分の思いをひたすらに隠してきた。
だが、それをこの親友にも行ってしまったら一体自分の色はどこに行ってしまうのだろうか。そんなことをしてしまえば、僕は、『Don`t be invisible』の画家のように、透明な絵しか描けなくなってしまうのではないのだろうか。
そうした葛藤に対して、数日かけてもまだ、僕は答えを出せないでいた。だから僕は、彼女の浴衣姿に見とれる海斗に対して、どんな感情を覚えることが正解なのか、見つけ出すことができなかった。
「どうしたの、東根君? 私の顔に何かついてる?」
星見さんは、困ったような顔を浮かべながら、海斗に言った。
海斗は、星見さんの声が届くと、そっぽを向いていった。
「いや、なんでもないよ。ぼーっとしてただけ。あの、えっと、似合ってるよ」
「ほんと? ありがとう」
星見さんの笑顔から目を背け、海斗は、ただ人込みをぼーっと見つめていた。僕の方に向けられた左耳が、紅葉のように真っ赤に染まっている。彼の気持ちが表出されたその色、僕はそれを一種の憧憬を伴ったまなざしで見つめる。
僕は、海斗から目を背けるようにして、星見さんに向き直った。
「よし、それじゃあ行こうか。まだ花火が始まるまでには時間があるし、ゆっくり屋台でも回ろう」
それほど規模の大きくない花火大会ではあったが、想像以上に出ている屋台の数は多かった。わたあめやたこ焼きなどのメジャーなものはもちろん、えびすくいやサメ釣りなど、今まで見たことのないようなものもあった。
「え、あれ、かわいいな」
しばらく歩いていると、そう言って星見さんが足を止めた。彼女は、射的の景品の中で、堂々と後ろに座しているくまのぬいぐるみを見ていた。
「あ、ああいうの好きなんだ。てっきりあまり女子っぽいのは好きじゃないと思ってた」
僕が、そうこぼすと星見さんは応える。
「何さ。私だってちゃんと女子なんだから、ああいうかわいいのも結構買うよ」
パジャマになって、熊のぬいぐるみを抱き、子どものように眠る彼女。無意識にそんな想像を浮かべてしまい、なんだか自分が恥ずかしくなる。でも、そういう女子と同じように、彼女もあのようなかわいいものが好きだったとは。数か月ほどの月日を一緒に過ごしても、きっと僕が彼女について知らないことは、まだまだたくさんあるのだろう。
「じゃあ俺が取ろうか」
海斗がそのように声を挙げた。射的なんてできたためしがないくせに。好きな人の前で必死でかっこつけようとする海斗に、僕は、呆れた目を向ける。
「ほんと? じゃあお願いしようかな。平谷君もやってみてよ」
「僕も? まあいいけど」
射的は僕も得意ではなかったが、彼女の無邪気な笑顔に流されて、海斗と二人で射的屋に向かう。代金は五発で三百円。五発か。これは支払い一回で当てるのは難しそうだ。
海斗と僕は、お互いに店主から銃を受け取って台に着く。こうやって実際に屋台の中に入ってみると、思ったよりも景品が遠くにあることに気づく。これは、本当に届くのか。不安な気持ちを浮かべながら、銃に弾を詰めていると、海斗がこちらに視線を向けているのに気付いた。
彼は僕と目が合ったことに気付くと、星見さんを見てから景品を見て、そのあと僕に再び視線を送った。『がんばって倒すから、俺にかっこいいところ作らせて』多分この親友は僕にそう言いたいのだろう。しきりに目を動かす彼の滑稽な様子に、僕は苦笑しながら頷く。
僕は、誤ってくまのぬいぐるみに弾が当たらないよう、なるべく対象から遠い景品を狙った。一発、二発と弾は、クマから遠い他の景品の間を通り抜ける。次に放った三発目の弾も、景品にあたりはすれど場所が悪かったのか、はじき返される。
――これほんとに倒れるようになってるのかな。
そんな疑問を抱えながら四発目の準備をしていると、海斗の声が聞こえてきた。
「うわーだめだ。当たらなかった。ごめん、星見さん」
大方しっかりと狙いも定めずに、五発とも雑に使い切ったのだろう。下手な鉄砲数うちゃ当たるとは、有名なことわざだが、だからといって先人も、下手な鉄砲が五発程度で当たるとは思っていまい。
呆れながら、僕は、適当な場所に四発目を打った。海斗の代わりにくまのぬいぐるみを倒す気は全くない。確かに、星見さんにプレゼントしたいとは思うが、ここで倒してしまっては、親友の顔に泥を塗ることになる。一応彼のアイコンタクトに応じた身であるのだから、なるべくそのようなことは避けていきたい。
僕は五発目を詰めて、再びくまのぬいぐるみから狙いを離して引き金を引こうとする。すると後ろから発せられた柔らかな声援が僕の背中を押す。
「最後だよ。平谷君がんばれ」
僕は、無意識のうちに銃の方向を変えて、引き金を引いていた。開脚前屈でもするかのように、開いた足に二つの手を置き、だらしなく座るくまは、後ろにのけぞり、代の上からゆっくりと落ちた。どうやらちゃんと落ちる仕組みにはなっていたようだ。
「おお、おめでとう。おにいちゃんやるね」
屋台の店主は、人の良さそうな笑みを浮かべると、落ちたぬいぐるみを拾って僕に渡した。僕は、店主にぺこりと頭を下げると、後ろで待っている二人のところへ戻った。
「なんかまぐれでとれたみたい。はい、星見さんどうぞ」
「え、いいの? ありがとう。すごいね」
そういうと星見さんは、満面の笑みを浮かべて、ぬいぐるみを抱きしめた。彼女は、本当に不思議な人だ。いつも人の心を見透かして、高校生とは思えないような大人びた意見をぶつけてくるのに、時々、このように子どもらしくて無邪気な一面も見せる。きっとその相反する二つを持って、均衡を保っていられるのが、他でもない彼女の魅力なんだろう。
彼女の笑顔を見て、思わず僕も口角が緩む。しかし、彼女の後方にいる、親友の顔を見てすぐにそのゆるみも治った。彼女の見えないところで、彼は目を伏せて、口をすぼめて、面白くなさそうな表情をしている。どうやらずいぶん彼の機嫌を損ねてしまったらしい。
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