第7話 僕と親友と君
集合時間十分前、僕は駅のベンチで、静かにスマホをいじっていた。周りを見渡すと、子どもが、父と母と両手をつないで、切符売り場に並んでいる様子が見える。全くもって微笑ましい光景である。彼には、父と母の愛をまっすぐに受け取って、これからも健やかに育っていって欲しいものだ。僕は、見知らぬ子どもの未来に思いを馳せた。
「なあ、星見さんまだ来ないのかな」
そのようなことを考えていると隣に座っていた海斗が僕に話しかけてきた。彼はまるで初めて遊園地に来た時の子どものように、キョロキョロと視線を動かしていた。
「まだ十分前でしょ? もう少し気楽に待ってあげなよ」
「だってもう三十分以上も待ってるんだぞ。あードキドキして落ち着かない」
「それは海斗が早く来すぎるからだろ」
言葉の通り、海斗は僕よりも十分以上早く集合場所に来て待機していた。長い付き合いである僕でも、今まで見たこともないような気合の入りようである。彼の黒髪の短髪はワックスで綺麗に整えられ、首元には、今まで見たこともないようなリングネックレスがぶら下がっていた。
「いや、緊張するな。世のカップルはみんなこういうことを乗り越えてるわけだもの、そう考えてみるとすごいよな」
唐突に海斗がそのようなことを口にする。きっとくだらない話でもして、緊張を紛らわせたいのだろう。
「あー、そうだね。考えてみるとすごいね」
さして興味があるわけでもないが、優しさと憐みから彼の話に相槌を打つ。しばらくそんなやり取りを重ねていると、駅の入り口に差し込む光とともに、揺れる金色の髪が見えた。
「お、間に合った。二人ともこんにちは」
彼女は、僕たちに気づくと速足でこちらの方にかけてきた。そしてぺこりと頭を下げる。
「うん、こんにちは」
「あ、えっとどうも」
海斗は、ほほを掻きそっぽを向きながら、挨拶した。自ら人見知りであることを堂々と誇示するような海斗の姿勢に僕は呆れ、不安になって星見さんの方を見る。彼女は、落ち着いた笑顔を浮かべながら、初めて話す海斗に対して挨拶をしていた。どうやら、まだ彼の残念な部分は彼女に露呈していないようだ。よかった。海斗と星見さんの仲を深めるために開催されたイベントなのに、第一印象からくじかれてしまっては、こちらとしても立つ瀬がない。
ほっと胸をなでおろしながら、僕はスマホで現在の時刻を確認する。六時三十分。今日に備えて一応レストランの予約は済ませてきている。予約した時間は、七時。目的地はここから十分程度で着くが、何かトラブルがあってもよいように少しだけ、早めに集合時間を設定した。今から出発するとしばらく待つことになるが、まあその時は、近くのコンビニで時間をつぶせばいいだろう。
「おっけ、じゃあそろそろいこうか」
二人に関心を戻すと、話が一度途切れ、次の話題を探している最中だった。なんとなく予想していたが、やはり異性と二人の状態で海斗が話を続けるのは難しいようだ。少しだけ居心地の悪そうな星見さんを見て、僕は、心の中で深くためいきをつく。海斗は、本当に恋を成就させる気があるのだろうか。
しばらく歩いて目的地に着くと、予約より割と早い時間についたのにも関わらず、店員は僕たちを中に通してくれた。開店したばかりということもあって、まだあまり客も集まっていないようだ。
淡くオレンジ色にきらめく照明が、きれいに磨かれた丸机を照らし、そこには、水色で縁どられた真っ白でかわいらしいテーブルクロスがかかっている。JK語で言うところのインスタ映えするような内装で、店内は彩られていた。
「わあ、きれいな店内だね」
星見さんが声を弾ませてそう言った。男子とはまた違う、高くて透き通るような声に、自分が女子を連れて、食事に来ているのだということを再認識する。その事実に、どこか感動を覚えて親友にも目を向けると、海斗はうつむき、店の床をただ見つめていた。だめだ。完全に緊張して余裕を失っている。
「こちらの席へどうぞ」
店員さんに誘導され、椅子二つとソファー二つに囲まれたテーブルを進められる。今日のような場合どのような席配置が適しているのか僕には良く分からなかったが、とりあえず僕は、ソファーに星見さんを座らせて、向かいの椅子に海斗を配置した。とりあえず、向かい合わせに座らせておけば間違いはないだろう。僕は、海斗の隣に腰かけて、いつでも席を離れられるようにした。
「じゃあみんな、何食べる?」
星見さんがメニューを取って、僕らの前に広げる。ゴージャスな内装であったので、価格も割とするのかと思ったが、どのメニューも、千円から二千円程度。バイトをしていない高校生という身分でも決して払えない金額ではなかった。
僕は、メニューの右上にあったクリーム系のパスタに決める。ほかの二人もそれぞれ自分のメニューを決めて店員に注文する。今日はなぜか全員白に近い色の服を着ていたため、トマト系のパスタを頼んだ人は、一人もいなかった。
注文も頼み、水も届いたので、いよいよ今日もっとも不安としていた会話の時間が始まる。果たして海斗はここでどれだけ頑張れるのだろうか。部活や趣味など、話題の絶えることのないよう配慮しながら、双方に質問して慎重に話を回していく。
だが、結局僕が心配しているほど、会話が盛り上がらなくなることはなかった。なぜかと言えば、海斗と星見さんは、会話を弾ませられるほどの共通の趣味を持っていたからだ。星見さんが以前僕に貸したあのCD。海斗は、あのアーティストの良さが分かる人間だった。
「そういえば、星見さんってギターやってるよね?」
話下手な海斗の部活の話が終わり、しばらく、次の話題を探し始めていた時のこと。店内のBGMから頭にあの日に聞いたギターの音色が浮かび、僕は星見さんに話を振った。
「ギターやってるの?」
海斗が話に食いつきそう尋ねると、星見さんは『うん、まあ一応』とうつむきながら答えていた。
「すごいね。何か好きなアーティストとかいるの?」
彼の関心のある話題だったのか、海斗は珍しく質問を続ける。
「あー、『AFTER CUT』ってバンド知ってる? 外国のバンドなんだけど……」
「え、知ってる。俺もそれめっちゃ好きだよ」
声を弾ませて、海斗はそう言った。好きな人と好きなものが一緒で嬉しかったのだろう。またほんの少しだけ彼の口角が吊り上がっていた。
それから二人はしばらく『AFTER CUT』の話題で盛り上がった。好きな曲の話や、歌詞のフレーズ、ボーカルのライブ前のエピソード。ずっと前から星見さんはこのバンドのファンを続けているのだろう。
話題が長引くにつれて、どんどんコアなファンしか知らないような話が飛び出していた。そして海斗も、熱弁する星見さんの話になんなくついてこれていた。
「海斗はそんなにそのバンドが好きだったんだ。知らなかった」
幼いころから海斗とは、仲が良かった。カードゲーム、釣り、スケボー。彼がはまり、そして飽きていった趣味を、一通り話には聞いているはずだった。それなのにこのバンドだけは、今まで海斗の口から聞かされたことが全くなかったのだ。そのような疑問が浮かんでくるのも無理はない。
「だって和也の性格なら、絶対このバンドは合わないだろ?」
そんな僕の疑問に対する海斗の答えは僕にとってとても納得できるものだった。なにせ、その曲を聴くだけで涙を流すほどの拒否反応を見せたのだ。そんな僕にその歌手を勧めなかった海斗の判断は、懸命なものであっただろう。
「あー、まあわかんないけどね」
しかし、この場でそれを言われると、自分としてはやりづらい。僕は、決まりの悪そうな顔を浮かべて、星見さんの顔色を伺う。確かに、自分にあれほど自己の主張を歌いあげるバンドの曲は合わない。それは間違いないのだが、一応星見さんには、そのバンドの曲が好きであるということで話を通している。
自分の性格があのバンドの曲に合わないという話を長年付き合った幼馴染にされてしまったら、星見さんに、気を遣ってあの曲が好きと言ったことがばれてしまう。それは『AFTER CUT』の熱烈なファンを冒涜する行為なはずだ。
「そうだね。確かに苦手そう」
しかし、星見さんは、僕の予想と反してそのように言葉を発した。彼女は、海斗の言葉に対して、驚きも怒りも決して見せず彼の言葉に同意したのだ。はて? 僕は思わず内心で首をかしげる。なぜ何も反応を見せないのだろうか。もしや僕との会話など星見さんの頭には大して残っていないのか。
「失礼します。料理をお持ちしました」
彼女の言葉に振り回されているタイミングで、店員が料理を持ってきた。中心にこぢんまりとスパゲッティーがよそられている大皿を、手と腕に三つ器用に乗せて店員はバランスをとっている。
あまりに安定しなさそうな運び方だったので、僕は見ていて不安になったが、その慣れた手つきで、三つの皿を一つずつ丁寧に机に置いた。よほど皿を運ぶのがうまい店員なのだろう。他人がとった行動が危険かどうかなんて、やはり他人から見てもわからないものだ。
注文が届いてからも、僕らはパスタを巻きながらのんびりと『アフターカット』についての話をした。海斗と星見さんが楽しそうに話をする中で、なんとなく入れるときを見計らって会話に参加する。
僕が大して自分の話をすることはなかったが、この時間は、自分自身にとって決して退屈な時間にはならなかった。僕は相手に気を遣って話を振ることも多いが、本当は話すことよりも聞くことの方が楽な人間だったから。
だから、この食事会は僕にとって、すべてがうまくいっているはずだった。自分から嬉々として話を振る海斗に、彼の話に笑顔で耳を傾ける星見さん。海斗と星見さんの仲を深めることが目的である今日の食事会において、この状況はもはや非の打ち所がない。
しかし、なぜか今この瞬間において、僕の心が落ち着くことはなかった。原因はわからない。ただ二人が楽しそうに話している様子を見ると、台風の日の木々のように、心がざわざわと音を立てるのだ。僕は、この心のざわめきを必死で抑え込みながら、二人の話に、努めて笑顔でついていった。
だらだらと話が続いているときは、意外と予想しているより時間が経っているものだ。星見さんは、はっと何かに気づいたようにして腕時計を見ると、言葉を発した。
「あ、もうこんな時間だったんだ。帰らないと」
彼女の言葉につられて、携帯で時刻を見る。二十時半。普通の高校生なら部活も終わって、家に着いているころだ。
「じゃあそろそろお開きにしますか」
すでにバッグを出し、財布を取り出しながら海斗がそう言った。もはや彼は変に普通な顔を装うことなく、顔全体で満足そうな表情を浮かべている。あまりにも順調に行き過ぎていて、なんだか腹が立ち、彼の顔に直接水をかけたくなる。
机の下にしまわれたレシートを出す。うわ、表示価格税抜きだったのか。端数に目をしかめながら、財布の小銭を確認する。
――あれ? こういう時って奢るのが正解なんだろうか?
レシートの合計金額を眺めていると、そんな疑問が頭をよぎる。実際誘ったのはこっちだし、星見さんはもてなされる側だ。普通に考えればここは奢るべきところなはずである。でも、高校の一クラスメイトというだけの存在で、急に目の前の男が奢りだしたら調子に乗っていると思われないだろうか。
奢るべきか否か。頭の中で二つの考えを戦わせていると、星見さんに、ひょい、とレシートを取られた。そして、頭の中ですでに計算していたのか、すぐに財布から代金ちょうどのお金を引き出し「はい、私の分」と差し出してきた。「あ、ありがと」なんだか情けなくて苦笑いを浮かべながら、僕はそのお金を受け取る。もっとこういうことがスマートにできる人間になりたいものだ。
海斗からもお金を受け取り、会計を済ませる。荷物を持ってのろのろと店を出る。もうすっかり日は沈んで、月が顔を出している。しかし、きれいな弧を描く下弦の月も、都会の街頭や店の照明に負けて、空ではそれほど目立たなくなっていた。
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