第10話 動き出す軍

――朱音視点(時は遡り、青人たちがまだ大日向たちに会う前のころ)――


 幸は、持ってきていた毛布の上に寝かせ、木陰に移動させておいた。


 だいたい診てみたが、特に気を失った以外にうなされてる感じでもない。呼吸もあるし、心臓も正常だ。ただ疲れててしまっただけだろう。


ひとまず安堵していると幸が目を覚ました。


「あれここどこ? そうだ。早くこの島から出ないと捕まる」


 よくあの無感情から、こんなに責任感の強い子に育ったものだ。私はそれに感心したが幸の言うとおりにする気は微塵もなかった。


「だめよ。幸。今日は飛ぶのはもうだめ。ゆっくり休んでなさい」

「でも」

「大丈夫。男どもが、絶対に何とかしてくれるわよ」


 正直、そんな保証はどこにもない。私だって、事態の深刻さはよく理解している。だが、そうかと言って、幸をこれ以上飛ばせるわけにもいかない。今の幸は、さっきまで飛べていたのが不思議なくらいで、いつ倒れてもおかしくはなかった。陸に降りるまで耐えられたのは、幸の気持ちの強さだろう。


 ――幸を守る戦いなのに、どうして、あんたがこんなに無茶してるのよ。


 私は、一つため息をつき、青人たちに幸の安否を伝えようと思ったが、やめた。どうせ今行っても役に立てるわけではないし、もう少し幸の様子を見てからにしよう。


「ねえ、幸。誰かに恋したりとかしてるの?」

「へ?」


 ふいに、そんな言葉が口からでたのは、しばらく無言で様子を見ているときだった。全く自分は、何を聞いているのだろう。流石の幸もこれには驚いているようだ。


「ごめんごめん。今のは忘れて」

「テレビでもよく見るけど、恋って何?」

「へ?」


 今度は、私が驚く番だった。


 だが、ありえない話ではないか。幸は、見た目こそ私たちと同じではあるが、無感情だったころからは、まだ九年しか経っていない。


 恋愛感情というのは、複雑な感情である。その感情が芽生えて、すぐにこれは恋だと分かるというのは、九年という年月では、苦しいだろう。しかし難儀なものである。青人は、こんなに幸のことが好きなのに、幸は、その感情自体よく分かっていないんだから。


 さて、恋って何ねえ。どう説明したものか。


 しばらく考えてから、どこかの本で見たことのある言葉を口に出してみた。


「そうね。その人とずっと一緒にいたいって思える人に対する感情かしらね」

「私、朱音とも、みんなとも、ずっと一緒にいたいよ」

「・・・・・・」


 ・・・・・・何で幸は、この期間でこんなにいろいろ感じるようになったのに、こういう言葉は、恥ずかしげもなく言えるのだろう。


 とはいえ、幸のいうとおりでもある。私だって幸がこれから帰ってしまうというのは、耐えられない事実なんだから。


 しかし、今の言葉がだめなら、どう説明したものだろう。自分の恋の対象である、青人のことを思い出すと、ああ、私にとってはこれだな、という意見が思い浮かんだ。


「その人が言ってくれた些細なことがずっと心にある。その人のことを理解したくなる。 …・・・その人のためなら命だって惜しくない。私にとっては、それが恋かしら」


 四つ目のことは言うかどうか迷った。これをやられると残されたほうはいい迷惑である。だが、青人が幸にやったように、実際そういうことが起きると命をかけずにはいられない、それが本当に好きな人に対する気持ちだろう。


「そうなの?」

「そうよ」


 やはり幸には難しかっただろうか。幸は、少しうなりながら、考えていた。


 ただ、黙って幸の考える様子を見ていると、幸が真顔で口を開いた。


「私にはよく分からない」


幸は、その言葉を呟いた後、続けた。


「でも、最初に思い浮かんだのは青人の顔だった。青人と初めて会ったときの言葉は今でも覚えてる。それに、九年前から私は、青人のためなら、青人と同じことをしたと思う」

「そう、じゃあ、幸は最初から青人のことを好きなのよ」


 私が言った二つ目のことは幸に当てはまらないのは当然だろう。もう二人はお互いのことをほとんど分かっているのだから。それは、今日一日を見ても明らかである。


 納得している幸を、私はどこか微笑ましく感じていた。


――やっぱり、私が付け入る隙なんて最初からなかったんだ。


 おそらく、幸と青人が初めて会ったときから、うすうす分かってはいたのだ。青人が度胸なしで幸が鈍感だから現状何もないわけで、この二人は、最初から両思いだったのだろう。


 何というか、晴れやかな気分だった。嫉妬とか妬みとかの感情は今の私には全くなかった。


 そして、この二人が結ばれるべきだと思った。この九年間互いのことを思ってきたこの二人は、残された時間がどんなに短くてもしっかり互いの気持ちをぶつけ合って、結ばれるべきだと強く思った。


 だが、だからと言って告白するよう促すつもりはなかった。それは、二人のどちらかが、自分で決断しなければ、今までの九年間を否定するようなものだ。


 自分にできることは、この二人を見守ることだけだ。


 納得した様子で、今はただ休んでいる純粋で綺麗な親友を見て、私は、自分の悩みが解決したことを理解した。


 幸はもう様子を見ていなくても大丈夫だろう。あの男どものところに行くかと腰を上げたら、その男どものやけにでかい声が聞こえてきた。


 何かあったのだろうか。私は、その男どものところへ急いだ。


――幸(時は戻り、青人が来るころ)――


 私は、朱音が言ってからずっと恋について考えていた。


 最初に青人と会って、それからずっと青人と過ごしてきた。あの四人、そして島の人たちとこんなに仲良くなれたのは、青人のおかげだ。青人がいなかったら、私はずっと喜び、怒り、哀しみ、楽しむこともできずにただただ時間が過ぎていったろう。


 それに対して私は、青人に本当に感謝している。だが、感謝ではないがよく分からない感情も昔からあった。それは、青人と過ごせば過ごすほど、大きなものになっていった。


 これがテレビのドラマでも言っていた恋と言う感情なのだろうか。


 朱音が帰ってこないので、自分も声のしたほうこうに行ってみようかと思ったとき、その恋の相手が来た。


「幸、ああ、良かった大丈夫そうで」


 その相手、青人は、かなり息が上がっていた。


 青人が大丈夫ということは他のみんなも大丈夫だろう。ひとまずそのことに安堵し、またさっきのことを考える。


 ――この人が私の好きな人。


「ど、どうした。幸。そんなに見て」


 ――やっぱりよく分かんない。


 あの正体不明の感情が恋だと分かっても、だからといって、なにが変わるというのだろう。


 だが一つだけ、まだ体験したことのないことが起こった。


ドラマのように、青人にその言葉を言ってみようかと考えていたのだが、こうして本人を目の前にするとなぜか言葉が出てこないのだ。言おうとすると、動悸が速くなって、顔が少し熱くなる。


「なんでもない」

「そうか」


 青人は、私の顔を見て不思議そうな顔をしたが、それほど気に留めなかったようで、私の寝ている横に腰を下ろした。


 私たち二人は、しばらくただ黙っていた。


 ――やっぱり、青人と一緒は落ちつく。


 さっきの感情は、よく分からない。だが今は、どうやら少し休めるときらしい。余計なことは考えずに、今は体を休めよう。恋のことも今は、青人と一緒に居られればそれでいい。


 今までの疲れもようやく取れてきて、このまま眠ってしまおうかと考えていたとき、青人が口を言った。


「幸、ごめんな」

「なにが?」

「お前がこんなになるまで気付いてやれなくて」

「別に平気。それに青人だって疲れてた」


 何も青人が謝ることはない。正直な話、自分でも限界が分からなくて、ただ、空中でみんなを落とさないことだけしか考えていなかった。それに青人もお父さんに追いかけられたことで、他のみんなよりは疲れているはずだ。


 そんなことを考えていたら、お父さんのことを思い出し、少し顔が曇るのを感じた。だが、青人にそれを悟られる前に、そのことで、朱音に気圧されて、あの時あまり言えなかったことを言った。


「青人、それを反省するなら、東島で飛び降りたことを反省して。青人が死んだら、私はすごく悲しい」


 青人は、またその話かとうんざりしたような顔をした。確かに朱音にあれだけ言われればそういう顔にはなるだろうが、今の言葉だけは伝えたかった。


 青人の表情など気にせずに、ずっと目を見ていると、青人は、やれやれといった様子で口を開いた。


「分かったよ、幸。なるべくやらないようにする。でも、もしまたさっきと同じことが起きたら、俺はまた死のうとすると思う。お前が捕まるのが俺にとっては一番嫌なんだよ」


 青人は、少し顔を赤くしていた。


 ふと、朱音の言葉を思い出した。


(その人のためなら命だって惜しくない)


 朱音の言葉が本当なら、青人は、私のことが好きなのだろうか。私のためなら命だって惜しくないと思ってくれているんだろうか。


――もしあなたが、今、私があなたに抱いている恋という感情を、私相手に抱いてくれていたのなら、私は今までで一番嬉しいと感じると思う。


 頭の中でそんなことを考えて、また頭の中でそれを否定する。


――でも、青人は優しいからきっと誰にでもそうする。


 それに、もし青人が私のことを好きでも、私はずっと青人のそばにはいられない。なんとなく分かるのだ。自分にはあまり時間がない。


 最終的に私は、青人には、好きであることを伝えないことにした。青人が、私を好きであろうがなかろうが、そもそも私は青人とは根本的に違う。そんなことを言っても迷惑をかけるだけだ。


 私は、青人がもう言うことがないのを悟り、今度こそ眠ることにした。


 寝る前に一つだけわがままを言ってみた。


「青人、私これから眠るけど、その間そばにいてもらってもいい?」


 青人は、少し驚いた顔をしたが、快く応じてくれた。


「ああ、いいよ」


 この戦いに、勝っても負けても私に残された時間はないだろう。だからその残された時間、少しでもあなたと一緒にいたいと、強く強く思った。


――青人――


 幸、眠ったな。


 時刻は、五時を回った。こうして見てみると俺たちはよほどあちこち飛び回ったらしい。今日は本当に、休む場所が確保できて本助かった。


 だが、明日もこうして休める場所を確保できる可能性はないだろう。夜通し飛び回らなければならないかもしれない。


 そう思い俺も休むかと横になろうとしたとき、土門さんが来た。


「それが例の幸ちゃんか」

「はい、眠っているので静かに話してくださいね」

「分かってるさ」


 土門さんは、元気の塊である大日向さんとは対象的で落ち着きがあり、威厳に満ちていた。二人はよく行動を共にすることが多いそうなので、暴走する大日向さんを土門さんがいつも抑えているのだろう。そういう光景が簡単に目に浮かぶほど、その二人は並んでいる姿が様になっていた。


 土門さんは、俺の隣に座り、続けた。


「しかし、ずいぶん頼りない女の子じゃないか。とてもドラゴンになるとは思えないな」「そうなんですよ。だからこそ俺は、こいつを守らなきゃならないんです」


 俺は、目の前で疲れて眠っている幸を見て、俺はいっそうその決意を固くした。


 土門さんは、そんな俺を見て言った。


「あんまり、背負い込むなよ。視野が狭くなって考えが読まれやすくなるぞ。お前の親父にやられたように」


 俺は、その名前を聞いて、また怒りが込み上がってきた。


 土門さんは、その様子にあきれたように言った。


「それだそれ。相手はお前の父親だぞ。感情的になりながら判断していたんじゃお前に勝機はない」

「でも、あの男、自分の娘を戦争に使おうとしてるんですよ。感情的にならない方が無理でしょう」


 幸は、眠る前に父さんの話をするとき一瞬だが、表情を曇らせた。それが俺の怒りを助長していた。土門さんに静かにしろというジェスチャーをされ、俺は慌てて黙った。幸が寝ていることをすっかり忘れ、怒鳴っていたのだ。


 土門さんは、俺が黙ったのを確認すると一つため息した。


「いいか、青人。竜泉大佐はな。相当有能な人だ。部下からの信頼も厚く、いずれ陸将になるんじゃないかとも言われてる」

 ――だからなんなのだろう。それぐらいの階級だから、蛇塚にこびるのも仕方ないとでも言いたいのか。


 俺のその考えは、すぐに次の言葉で打ち消された。


「そんな地位なのにも関わらず、あの人は革新派に頻繁に手を貸してくれている」


 俺は、目を丸くした。それは父が戦争には、反対であることをさすからだ。


 土門さんは静かだが強い声で続けた。


「だから、あの人がこんな作戦に協力するわけがないんだ。それに、三等大佐以上の階級でで革新派に属しているほかの人もこの作戦には参加している。だから、きっと何かあるんだ。俺たち下っ端には知らされてないけど、あの人たちを動かす何かが。だから、幸ちゃんを守ることは、平和につながるとは限らない。もしかしたら悪化する可能性だってある。それでもお前らは、幸ちゃんを守るんだろう、違うか?」

「違いません」

「なら、もっとがんばれ。お前の親父は、自分の強い意思で敵に居るのは間違いないんだ。虎谷にだって頼れないときがくる。そんなときにお前が父親に負けてるようなら、幸ちゃんを守るなんてできっこない。怒りに身を任すな。それに押し勝ち支配する、父親よりも強い意志を持て。分かったか」


「はい」


 そう言って、土門さんは去った。


 今の話の内容は衝撃的だったが、土門さんの言うとおり俺のやることは変わらない。


 東島での作戦は、確かに失敗だった。今考えれば天井から出るとかいろいろ方法はあった。だが、父親をうまく欺こうとしてまさに視野が狭くなっていたのだろう。


 だが、もうあんなことはしない。父親も蛇塚も今はどうでもいい。


 幸を守る。それだけを考えるんだ。

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