第2話 あなたには、そんな太陽になって欲しいなぁ

 まるで、太陽のように笑う人だな。


 夢の中でサンは、4歳の子どもながらに、目の前の彼女に対してそんなことを思った。


 顔を思い切りくしゃくしゃにして、にーっとはっきりと歯を見せる。そんな穏やかで朗らかな彼女の笑顔を、4歳のサンは太陽以外に例えるものを見出せなかった。


 それに加えて、サラサラと風に揺られる、深紅に染まった長い髪。自分の頬に触れる、暖かくて優しい手のひら。


 彼女のどこをとってみても、サンはその優しさと暖かさに対して、自然と、澄んだ青空に浮かぶ太陽を思い浮かべるのだった。


 ――母さん。


 サンには幼い頃の記憶はない。よって、彼女と親子として関わりを持った記憶などない。


 しかし、夢の中のサンは確かに、眼前の彼女を母と認識していた。


 我が子に笑顔を浮かべる母親。そして、その心をまっすぐに受け止める子ども。


 きっと今この瞬間は、理想を切り取ったような、なんの不純物もない、純粋な家族の団欒であると誰もが思うであろう。


 そう、眼前の彼女の腹に、ぽっかりと穴など空いていなければ。


 彼女は、今まさにこの時、生死の狭間にいた。


 周りには羽も鱗もない、二人の誰かが彼女の様子を見守っていた。


 そして。彼らは静かに、母親が子どもにかける最後の言葉へ耳を傾けていた。


「ねえ、サン。きっとこれが最後だからさ。母さんの願いを伝えるね」


彼女は、わずかに顔を歪ませながらも、決して笑顔を絶やさなかった。


サンの頬に一つの雫が伝う。当時の自分も、子どもながらに、親の最後を感じ取っているようだった。


 そして彼女は喋りだす。


「決して、難しいお願いじゃないのよ。あなたそういうの嫌でしょ。だから一つだけ、一つだけ、あなたにお願いするね。ねえ、サン。きっとね。太陽みたいな存在になって欲しいの。苦しい人を優しさで照らし、寂しい人を笑顔で暖める。あなたには、そんな太陽になって欲しいなぁ」


 彼女はゆっくりと目を閉じ、サンにもたれるように倒れていった――。


「うわぁぁぁぁぁ」


 ぜぇぜぇと一定のリズムで上下する胸。変わらない天井。サンは思わず、額に手の甲を当て、ため息をつく。


「また……また、この夢かよ」



「あらおはよう。随分遅いね。サン。もうスアロもクラウも先行ってるわよ」


ケイおばさんは、そう言ってサンに朝ごはんを持ってきてくれた。相変わらず、頭の上の赤いトサカと、背中の白い羽が美しい。彼女はもう50にもなるというのに、シワはほとんどなく、朝早くから明るい笑顔で、サンたちに料理を振る舞っている。きっと鶏の獣人だから朝が強いというのもあるんだろう。


「まじか、二人とも早いなぁ。また寝坊したから怒られるんだろうなぁ。いやあ、気が重いなぁファル先生の道場いくの」

「何言ってるの? 強くなりたいんでしょ。それなら今のうちに鍛えておかなきゃ。私が9番目に付き合った男はね、それはそれは強くてモテる男だったよ」

「そうだね。確かに強くはなりたいよ。でも俺才能ないから。それだとモテるのはだいぶ先になりそうだなぁ」


 サンは、少しだけ笑みを浮かべながら、また深く溜息をつく。


 ファルというのは、陽天流(ようてんりゅう)という流派の剣術道場の師範であり、またサンなどの身寄りのない子ども達をケイとともに預かってくれている、この施設『フォレス』の主でもある。


 今そのフォレスにいる子どもは、サン、スアロ、クラウの3人。ファルはそんなサン達に、一人でも生きていく力をつけるため、剣術を教えてくれているのだ。


 机の上にあるパンとスープ、そしてハムエッグを平らげる。もちろん、この卵はケイおばさんのものではなくうちで飼っている鶏のものだ。


 サンは手を合わせ、御馳走様でしたと呟き、ケイおばさんに伝える。


「ケイさん。ご飯おいしかった。じゃあ行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい。後、サン」

「何?」


 急に呼び止められ、サンは、座っているのか立っているのか中途半端なポーズになる。


 そんなサンに対して、ケイおばさんは、相変わらず若々しい笑顔でこう告げる。


「サンにもね。ちゃんとサンの強さがあるんだから自信を持ちな。あんたは充分魅力的だよ。昔モテモテだった私が言うんだから間違い無い。あとこれ、昨日風呂場に落ちてたよ。大切なものだろ?」


 するとケイおばさんは、刀のようなものにチェーンがついたネックレスをサンに渡す。


「あ、あぶな。無くすところだった。ありがと」


 サンは慌ただしい様子でそのネックレスを首につける。


 これは何かというと、ファル曰く、サンを拾った時に、彼が力強く握っていたものらしい。もちろん幼少期の記憶がないサンにはこのネックレスに対して何が思い入れがあるわけではない。


 しかし、サンには、これが母親の形見であるという確信があった。なぜなら――。


 あの夢の女性も首にこのネックレスをしていたから。


「よし、これでいいか。じゃあケイおばさん、行ってきます! それとさっきの言葉もありがと」


 さっきの言葉というのは、サンにはサンの強さがあるというやつだ。きっと気を遣っただけの言葉なのだとは思うがきちんとお礼は伝えておく。


 そして、サンは、陽光を真っ直ぐに浴びながら、道場へと出発するのだった。

 


「いらっしゃい、今日はシーラ地方からいい魚入ったよ!」

「おい。カモメのおっちゃんよー。今日はどんなの入ったんだい?」

「ちょっと、ハチさん。この牛肉高いんじゃないの? もっと安くしてよ」

「仕方ねえだろ。最近グランディア地方は治安良くねえんだから」


朝早くから鳴り止まない喧騒。


 今サンが歩いているこの場所は、近所で1番大きな商店街であり、道場までの通り道だ。


 ちなみにサンはあまりうるさい場所が好きではない。


 少しでも早くこの場を通り過ぎるため、自然と早足になるサン。そんな彼に先程の肉屋の店主が話しかけてくる。


「おう、朝から急いでどうした、サン。今日も遅刻か」

「遅刻だと思うなら話しかけないでよ。もっと遅れるだろ」


 威勢のいい声で話しかけてきたこの40代ほどの男は、ハチさん。サンが幼い頃から良くしてくれている、ハチドリの獣人だ。


 相変わらず、青緑の華やかな羽根は息を呑むほど美しいが、全く食欲をそそる色をしていない。


「ガハハ、悪い悪い。お詫びに何gか鶏肉でも持っていくか?」

「いらないよ。それにしてもまた鶏肉なの? ケイおばさんも怒ってたよ。最近は鶏肉ばかりで共食いしてるみたいで嫌になる。たまには牛やブタの肉も食べたいって」

「あーケイのやろうも怒ってたか、そりゃ俺も仕入れてやりたいけどよ。グランディア地方の治安の悪さでうちの店は大打撃だぜ。あー俺も向かいのカモメ野郎みたいに魚売ろうかなぁ」


 ちなみにここらでこの世界のことを説明しておこうと思う。この世界は大きく三つの地方に分かれている。


 一つ目は空に浮かぶ島、スカイル。もう一つは水の中に浮かぶ島、シーラ。そしてそれ以外の地方がグランディアだ。


 もちろん、スカイルには、鳥などの空を飛ぶ獣人が、そしてシーラには魚などの水中を泳ぐ獣人がいる。そしてそれ以外の獣人は基本的にグランディアだ。そのためグランディアにはこの国の半分の獣人がいるとされている。


この三つの地方は、物理的には遮断されているが交流は豊かで、シーラには船に、そしてスカイルには飛行船に乗ることで、上陸できる。さて、それならば、サンはなんの獣人なのか。それに対して答えを返す前に、肉屋のハチが、馴れ馴れしい様子でサンにこう声をかけている。


「しっかし、牛や魚と言えばよ。相変わらずサンは、なんの獣人か分かんねぇなぁ。翼も鱗も爪もないしな」


 そこでサンは、自分の手足を見た。確かに自分には、ファルのような鋭い鉤爪や大きな翼は、持ち合わせていない。


 そう、サンは、16にして未だなんの獣人かは分かってはいなかったのだ。


 この国において、獣人以外にこのように道具を使ったり、言葉を話す生物はいない。


 だから必然的にサンもなんらかの獣人であるということになる。しかし、サンには、どれほど成長しても、なんらかの獣人になる兆しは見られない。


「…………」


 サンは、ハチの言動に対して、ただ押し黙ることしかできなかった。


 ハチは、そんな彼の気分を察知し、慌てて、言葉を繕う。


「あ、そうか。これは禁句だったな。うわぁ、ごめんな。でも俺ら鳥人にとっては羨ましいもんだぜ。だって邪魔な翼がないから仰向けにだって寝れるしな。……えっと、鶏肉持って帰るか?」


 ああ、また必要以上に落ち込んで、気を遣わせてしまった。


 サンは、ハチに対して申し訳なくなり、笑顔を作って、彼に言った。


「大丈夫だよ。もう慣れてるから。じゃあ俺そろそろ急がないと。あ、鶏肉はいらないからね」


 そして、サンはハチの次の言葉も待たず、スタスタとその場を去り、道場へと向かった。


 ――翼も鱗も爪もない。


 ハチの言葉が、サンの頭の中をぐるぐると回る。そして彼は、ふと立ち止まり、地面に向かって大きくため息をつく。


 自分が未熟だから翼すら生えてこないのだ。サンは、強くそう思った。


 サンはいつも、自分に自信が持てなかった。それは謙虚と言えば聞こえがいいが、周りから見たら卑屈にすら見える、ネガティブさだった。


 それはきっと、スアロという優秀な幼馴染がいることもあるが、それ以上に母を目の前で死なせるという現象を、何度も夢で疑似体験していることが原因であろう。


 サンはいつもこう思うのだ。


 もし自分が、未熟でなければ、自分がもっと強ければ――。


「まだ母さんは隣にいてくれたんだろうな」

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