第七章(前)
——僕はまだ生きていた。
もはや再び起きることもないだろうと思って目をつむったのだけど、結局また起きることになった。
左目はもう開かない。転がってきた手榴弾の盾にされたとき、爆圧で潰れてしまった。それが三日前の話。そのせいで左腕も砕け、左足も破片で切断されてしまった。
僕の左半身は見るに堪えないほど、グチャグチャになってしまった。
そしてこの……ゴミために捨て置かれている。
まぁ、当然だよね。
片目片腕片足でどうしろというの。
千切れた足の傷口は針金で締め付けて止血しているだけ。先端が腐ってウジ虫が這っている。
左腕も臭う。壊死して、ガスが出ているらしい。
……要するに、僕は生きていながら腐りつつある。そして久しく排尿もしていない。熱もある。それ以前に、この状況に陥ってから、状況に抗おうという気持ちが失せている。
——いよいよ、ダメかもしれない。
どうしてこうなってしまったのか。
彼らは『楽園を創ろう』と言って僕らを鼓舞してきた。僕らは愚かだし、目先の美味しいものや暖かい寝床につられて必死になった。
その結果がこれ?
楽園を創るのって、こんなに大変なものなの?
どうして誰かが死なないと・誰かを殺さないと、楽園を創れないの?
なんで僕らの楽園なのに僕らが死んで、君たちは生きているの?
僕はこうやって、生きながらウジに食われ、腐り落ちる自分の肉を眺めている。楽園の創成に殉じて、僕は土に還るのに、僕は君たちの言う楽園に行けないの?
殉じたらあの世の楽園に行ける?
……嫌だよ。
あの世があると、百歩譲って認めるとしてもさ。
僕は僕の手で殺した母さんに、どんな顔で挨拶すればいいの。
みんな、みんな頭が悪い。
みんなが戦わなければ、争わなければ簡単に楽園が創れるのに。
すぐに奪ったり、競ったり、比べたり……。
——ああ、そうか。
そんなことばかりして、死ぬ直前になってやっと気づくような愚かな生き物が、楽園に行けるハズもないよね。
良かった。
「——配置につけぇっ! 戦闘配置ィ!!」
ゴミためになっている部屋の外が慌ただしくなった。
僕は条件反射的に体を動かそうとしたが、背筋に激痛が走って意識を失いかけて、やめた。そもそももう戦わなくていいんだから、ここで横になっていればいい。
そう考えると、なんだかサボってるみたいでドキドキして、楽しくなっていた。
——戦闘が始まったらしい。上の上の、さらにその上で起きている攻防が振動として伝わってくる。時折ダクトを通じて怒号が聞こえてきて、彼らの決死の防衛が行われているのがわかる。
数ヶ月前に組織の拠点が地球政府の鎮圧部隊によって壊滅させられてから、僕らはゲリラとして地下に潜っていた。
この地下拠点は最後の基地で、一番大規模だ。だけどそこで戦闘が行われているということは、いよいよ組織の命運も尽きたということだ。
「………の野郎! 地上階の機銃陣地が全部やられたぞ!」
「B1階の廊下を封鎖しろォ! 対戦車ロケットを廊下でつるべ撃ちしてやれ!」
相手は凄腕らしい。どのくらいの規模の部隊だろうか。
「———う告ッ! B1の防衛ラインが壊滅!」
「何言ってやがる! ロケットをたたき込んだんだろうがッ!」
「それが……全て着弾前に撃墜されまして……」
銃声。
「臆病者は要らねえ! 相手はたったの一人だぞ! お前ら、動けるヤツ全員で突っ込め! 圧倒して囲んでブチ殺せ!」
彼は半狂乱だ。あんなあの人、見たことない。
僕に銃を教えたときも優しかったし、パイナップルの缶もよくくれた。栄養剤もケチらずくれたし。だけども、作戦はいつも無茶だったかな……。
しかし、この根拠地に一人で乗り込んでくるなんて。
地球政府の特殊部隊の人間だろうか。
すごい人がいるんだな、地球には。
そんな人が生まれて、育つ地球って、どんなところなのだろう。
パイナップル缶を、好きなだけ食べられるくらいには、楽園なのだろうか。
「——……目が……目がみえねえ……」
「血が止まらねえよぉ! た、助けて……」
「俺の、俺の腕、あそこに置いてきちまった……誰か拾ってきて……」
負傷者が後送されてきたらしい。それだけ防衛線がさがってきているみたい。
みんな死ぬのだろう。
生かしておくはずがない。
だって彼らは、それだけのことをしてきた。
楽園の創成はただの口癖となり、死体から金目の物をむしり取り、第三者から一般市民へ宛てられた援助物資すら独占しようとし、子供は奴隷にし、女を犯し……。
然もありなん。
今、死に物狂いで戦っている彼らに比べれば、僕は幸せなのかも。
だって、ここで地獄を眺めているだけで、あとは静かに腐って死ぬだけなのだから。
「クソッ! 銃も持ってねえヤツに押し込まれてんじゃねえ!」
「あんたは何も見てないからそんなこと言えるんだ! 一〇メートル以内に近づくだけで死ぬんだぞ!」
銃も持っていないのか。すごいなぁ。それなのに一人で?
ちょっと頭おかしいのかも。
——やがて絶叫と怒号が聞こえてきた。何か、金属が衝突するような音が断続的に聞こえて、近づいてくる。
「押し出せえ! 近づけるなァ!」
自動小銃の連射音が部屋の外に充満する。もうここで撃ち尽くさなければどこで撃つのかというほどに、銃弾が扉の外を通過していく。
「弾幕張れェ!」
そのまま、何十分たっただろうか。次第に音が小さくなり、先細りになっていく。
「……気が済んだかァ?」
気の抜けた声。組織の人間じゃない。
次の瞬間、何かが扉の前を駆け抜けた。そして連続した悲鳴と絶叫が、銃声の代わりとなって響いてくる。
「やめろ! やめてくれ! 地球政府に俺を連れて行けば済むことだろう! やめ……!」
それが、あの人の最後の言葉だった。
何か硬いものが地面に落ちた、鈍い音がして、静寂が訪れた。
全てが終わったらしい。
これが、僕の終着地か。
僕のいたところの終焉を見ながら最期を迎えることができる。
——僕としては、結構な贅沢じゃないかな。
「これで全部かァ? めんどくせぇ」
襲撃者が扉の前を闊歩している。血の海を気にも留めず踏みつけているのか、水音が聞こえてくる。
「——ああ? まだいんのか?」
……気づかれた? いや、他の生存者かも。
「——オイ! 出てこいやァ!」
扉が襲撃者によって蹴飛ばされ、蝶番が外れそうになる。ノックのつもりなのかもしれない。
本当に、皆殺しにするつもりらしい。
「臭えなァ! 死にかけかァ!? 引導渡してやっから返事しろぉ」
くそっ。
どうして、静かに朽ちさせてくれないんだよ。
もう嫌なんだよ。
「オラーッ! 憂国の志士(笑)さんよォ! 死に様で格好つけられると思うなよォ!」
手元には自決用の手榴弾と拳銃がある。相手は油断している。だったらチャンスはある。
まだ動く右腕で手榴弾を持ち、歯でピンを引き抜く。
体中が痛い。
もう、生物として限界だと絶叫している。ピンを引き抜いた歯からも血があふれ出し、口中が鉄の味で一杯になる。
殺されてたまるか。
僕はいつだって、誰かを殺してきたんだ。
今ここで誰かの手で息の根を止められたら、あの人達と同類になってしまう。
「ビビってションベン漏らしてんのかァ? いたーくしないからジッとしてなァ」
ふざけるな。
「お邪魔するゾー?」
安全ピンを静かに外し、二秒保持。扉がゆっくり開いたのを確認して、ゆっくりと投擲。
手榴弾は大きく弧を描きながら、ドアの隙間へと向かっていく。そしてドアの向こうの暗がりへと吸い込まれ……。
「——てめェ!」
轟音。
扉が粉砕され、埃が部屋に飛び込んでくる。扉の破片が腐った左足や左腕にぶち当たって悶絶するような衝撃が走ったが、一方で僕は、人生最後のキルをとったことに昂揚していた。
流石に粉々だろう。
良かった。
これでまた、静かに朽ちゆくことができる。
「——良い度胸じゃねぇかよガキィ……」
うそでしょ。
紅い残光を薄暗がりに引いて、ソレは部屋に飛び込んできた。
僕は半狂乱になって銃を向けたが、変な手応えがあった。
よく見れば安全装置がかかって、電子ロックと弾倉の無効化までされている。
トリガーが、トリガーが引けない。
「あ……あぁ……!」
襲撃者はあっという間に距離を詰めてきて僕の銃を剣先で弾き、僕の喉笛を左手で鷲づかみにした。そして目一杯の力を入れて締め上げてくる。
タダでさえ呼吸が苦しいのに、喉が潰されるようなことをされては僕に勝ち目はない。
「げっ……かはっ! が……っ」
襲撃者の男は左腕1本で、僕の体を持ち上げた。首つり状態から抜け出そうと抵抗したが、左腕が砕けていて左足もないのに何かできるハズも無かった。
「おゥ。ニンゲンどころか腐れ肉かよ。ガッツあるじゃんか。このまま首へし折ってやっから安心し……」
『ねぇ、シキシマ』
酸欠でよく分からなかったが、女の人の声がしたような気がする。
『その子、まだ成人してないよ』
「だからどうしたよ。任務は皆殺しだろが。テメーは黙って遠隔採点してろ。ああ、コイツの銃の電子ロック、ご苦労さん」
右足と左の太股が温く湿る。
体が苦痛から逃げるために全身の筋肉を弛緩させた反射で、僕は失禁していた。
『少年兵はもう、その子だけでしょ。その子に罪は……』
「今さっき、俺のコト殺そうとしてたろうが」
『アンタには人権ないから』
「てめェ!」
「や、やめ……っ。やめ……てっ……い、やだ……」
生まれて初めて懇願したかもしれない。
今までは懇願しても意味が無かった。そういう人種しか、周囲にいなかったから。
でも。
目の前で怒り狂っている、この紅い瞳の、野良犬のような男なら。
どこかで呟いている、姿なき女の人なら。
初対面だし、もしかしたら……。
「た、たす……け……」
意識が白んできた。
こんな、惨めな死にかたを、するなん、て。
『今回のあなたの評点、最高得点つけておくから。だから、その子を見逃してあげて』
「………」
『子供一人見逃して一〇〇点とるのと、皆殺しで九〇点。どっちが良いかは瞭然だよね』
僕の首は急に解放された。
体がコンクリの地面に衝突し、腐った左足の切断面に鈍痛が走る。
息が苦しいのと痛みとで、僕はぶるぶると震えて浅い呼吸を繰り返し、やっと見えている右眼で男を見上げた。
「……ケッ。助かったってツラしてやがるぜ? コイツ、敗血症だろ」
『クルーザーでそっち向かってる。担ぎ出す準備して』
「汚えよ。ションベン漏らしてるしよォ」
『帰りにエビカツサンド、三つ食べていいから』
「あの売店のねーちゃん、修行足らなくて先代とはソースの味が違うからなァ……」
えびかつさんど、って、なんだろう。
男は僕を背中合わせで背負い、歩き出した。
血の海となった床を歩く度に、暗がりに水の音が響く。
うめき声も聞こえない。ここは死人だけの世界となってしまった。
「……げほっ! げほ、げほっ……」
咳がひどい。結構前から出ているので、もう喉がすり切れたような痛みを発している。
「オメー、熱もひでぇなぁ? もうくたばっていいゾー」
くそっ。
気軽に死ねとかくたばれとか。
なんなんだよ、こいつ。
よく分からないけど、無性に腹が立つ。さっきまではここが僕の終の場だったと思っていたのに。こいつに【許可】を貰って死ぬのがすごく嫌になってきている。
死ぬことまで、僕は他人に指示されたくはない。
「あー……腹減った。今日は何食うかな……」
血溜まりを見て、空腹を感じられる人種なのか、こいつは。
「今日は俺の初陣だからなァ……なんかごちそうを……」
……うそでしょ?
これが初陣?
僕らは、こいつの試し斬りに使われたのか。
「おいガキ。何がいいと思うよ。ティーボーンステーキとかよォ」
知るかよ。
「オメーのごちそうってなんだよ。ああ?」
「……どうして、そんなこと……聞くんです」
「ニンゲンより良い物食ってるってマウントとりてえんだよ。ニンゲンはバカだからよォ。美味いもの食ってエンドルフィン出すよりも、同族ぶっ殺して気持ちよくなってやがる。ホントくっだらねぇよな」
——それは、わかる。
「んで、オメーはどんなのがごちそうなんだ? ああ? 野菜クズの入ったスープか?」
男の口が、にちゃ、と割れる音が聞こえる。下卑た笑みを浮かべているに違いない。
「……パイナップルの、シロップ漬け」
「はァ?」
「あなたは、パイナップルの缶詰、見たことは? 食べたこと、は?」
「あるぞ」
「……僕は、あれが、好きです」
——男は黙ってしまった。
地下三階をそのまま静かに歩き、地下二階の階段に差し掛かったとき。
男は口を開いた。
「んー。おれァ、あのくどい甘さがあんまりな」
「ぼくは、好きです」
また男は黙ってしまった。だが、何かを考えているようだ。
「そんなら、今日はハンバーグだなァ……。乗ってるパイナップルはオメーにくれてやるよ」
「一切れですか?」
「別に、コンビニいきゃ一缶あるだろ。それでもくれてやる」
「本当に?」
夢みたい。
あのパイナップルを、一缶独り占めできる?
シロップも飲み干していいのかな。
あの焼け付くように甘いシロップを。
ああ。
おねがいです。
この世界にわかれをつげる前に。
一切れだけでも良いので。
どうか。
僕を、幸せな気分にひたらせてください。
***
:システムが予期せぬダメージによって強制終了されました.
:この問題の要因: 敵性ナノマシン.
:ホットフィックスは失敗しました.
::::::::::
:システムが不明のイベントによって修復中.
:システムが不明のイベントによって修復されました.
:システム全体の復旧が完了しました.
:システム再起動は進行中...
:システム再起動は進行中..
:システム再起動は進行中.
:ようこそ.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます