第五章(前)

 洞穴を走って小一時間。地下の小川は途切れることなく奥まで続いており、僕らは煉瓦で整備された明らかな地下水路へと到達した。GPSはとっくの昔に切れているが、位置の記録と移動距離が正しければ、ここは王都近郊の地下らしい。


 水路には照明もなにもなく真っ暗だが、ナイトビジョンを有効にすれば問題はない。


「……! ……!」


 後ろから誰かが僕の頭を叩いた。まぁレトヴィアしかいないのだが。


「どうしました?」

「あなた、私の声が聞こえていないのですか!」


 消音にしていたことは黙っていたほうがいいな。僕は彼女のために肩の高輝度ライトを点灯し、ミュートを解除した。


「すみません。転倒しないよう、集中していましたので」

「——もう結構です。降ろして下さい。これだけ地面が整備されていれば……」


 僕が制止する前にレトヴィアは固定していたハーネスを外してしまった。すると、両の足でしっかりと立って着地するのを見て僕は驚いた。


「……我慢されてます?」

「……何が、です?」


 僕の疑問に、彼女はきょとんとしている。


「ああ、秘薬による接骨は急激に行われますから」


 本当に【秘薬】だったのか。なおさら成分や構造を解析しなければならない。こんな未開の地でこれだけの性能を保証できるのなら、地球の研究機関でさらに有用な——それこそ、軍用の応急薬が作れるかもしれない。ブレイクスルーが起きる。


「どうしたのです。はやく行きますよ!」


 レトヴィアは僕の思惑も知らず、ずんずんと歩き出す。まぁここは自分の家の下水の末端なのだから、気も大きくなろう。


 僕はレトヴィアを追い抜いて前へ出た。肩のライトを外してレトヴィアに渡す。本来、僕には不必要だから。


 ナイトビジョンを通して、観察しながら進んでいく。

 アーチ状に組まれ、セメントで固定された煉瓦は頑丈そうだ。一体いつからこの施設はあるのだろうか。この王都に入るとき、遷都して数百年と言っていた。なのに、多少の水垢などの汚れはあるものの、とても綺麗に整備されている。


「殿下。この下水は清掃されているのですか?」

「いいえ。当然、詰まったりすれば人の手は入りますが」

「詰まるって、例えば汚物とか?」

「砂礫です。雨で溜まるのですよ」


 彼女が知らないだけか? いや、知らなかったら彼女なら「知らない」と言えるハズだ。

 この水路は下水なのに臭いがない。水温は排水らしく多少高いようだが、汚物が混ざっている様子がない。煉瓦も腐食している様子がない。浄化してから放流しているのか?

 そんな高度な技術があるようには見えないのに。


 シキシマの報告通りネズミも虫もいない。

 やはり、不可解だ。


 僕は王都の全体図を頭に描き、それに歩数と進行方向を考慮した道筋を書き加えていく。水路の本筋に沿っていけば王宮にたどり着くようだ。やはり一番太いラインは重要施設に通じている。


「ジニス」


 僕の歩きながらの逡巡が打ち破られる。


「なんです?」

「この先です。王宮の裏庭の、生ゴミ用のシュートがあるハズです」


 やがてレトヴィアの言ったとおり、頭上にぽっかりと空く、はしご付きの垂直通路が天井に現れた。

 確かに真っ暗な穴の先に星の光を感知出来る。出口だ。


「生ゴミ入れということは、ここに残飯を放り込んでいるのですか? 粉砕もせず?」

「ええ」


 即答だった。獣の肥育にも使わないのか。

 とりあえずはしごの強度を確認するが、どう考えても僕の体重に耐えられるようには見えない。僕だけナイフで垂直登攀するしかない。


「では僕が先行します。殿下は後からついてきて下さい」

「無論です」


 ナイフを煉瓦の隙間に突き立てて昇っていく。だが、すぐ後ろからレトヴィアが着いてきてしまった。


「殿下、危なすぎます。はしごを昇るときは一人ずつ……」


 諌めるとレトヴィアは渋々とはしごをおりていく。こんな重要な局面で労災案件なんて冗談じゃない。

 星空が近づいてくる。その間に喧噪も聞こえてきた。


 ——人の声じゃない。


 シュート入り口から顔を出す前にファイバースコープを出して先行させる。先端を九〇度水平にして周囲を撮影すると、すぐに僕の視界に映像が送られてきた。


 生ゴミシュートは王宮の目立たないところにある。だから周囲に誰もいないようだった。だが、映像と同時に取得される音声に人語が入ってこない。いや、こんな夜分に音声がわあわあ入ってきているのも変だが。


「……どうしたのです、ジニス」


 いつまでも周囲を偵察しているのを見て、レトヴィアが痺れを切らしたように訴えてくる。

 これはちょっと、まずいかもしれない。


 ***


 王都は食屍鬼達の手におちていた。

 窓から不安げに外を覗く市民を見るに、彼らに類は及んでいないらしい。火付けや略奪が起こっているようにも見えないが、大通りを屍蝋が闊歩し、腐肉が無秩序に行進している。あの異様に強力な食屍鬼は数こそ少ないが、精鋭のそれらしく三体でまとまって警戒を行っている。

 もう、占領下に置かれた敗戦国の姿だ。


「死体が動いて、ここまで脅威となったことはあるのですか?」


 灌木の影に隠れながら、僕は隣で歯がみしているレトヴィアに話しかけた。


「いえ……。死者の行進など、冒険者が遺跡の奥で目撃するぐらいです。そもそも、こんな実害があるのでしたら土葬などしません」


 それもそうか。


「そもそも死者が動くなんて……ありえない……」


 レトヴィアがブツブツと何事かを呟き始めた。 


「まさか黄泉帰り? 父祖の精霊達が私たちの治世や民の有り様に不満があって、あの世からお戻りになられた?」


 彼女のキャパシティはもはや限界に近い。彼女は立場上知識をよく身につけてきたのだろうが、それらは全て初歩的な科学知識でしかない。それらは最終的に信仰や哲学に帰結するのだ。


「——殿下。これは黄泉帰りなどではないですよ」

「どうしてそう言い切れるのです!」


「電波です」

「で、でん……ぱ?」


「目に見えない、耳に聞こえない合図のようなものです。それを使って、僕らも連絡を取り合います。大聖堂での襲撃から同種の電波が、どこからか発せられているようです」


「……その合図は今も?」

「ええ。しかも、より強くなっていると思います。僕の通信機ですら拾えますから」


「誰がそんな合図を……」

「殿下、王宮に遠距離と連絡を取り合う手段はありますか?」


「鳥と発光信号機と、手旗ぐらいしか……」


 まぁ、そうだろうな。

 この電波とあの食屍鬼達の関連は間違いなく、有る。彼らはこの電波でコミュニケーションをとっているのか、あるいは操られているのか。おそらく後者だろう。だとしたら電波の撹乱で一掃できそうだが……。


「——!!」


 僕の眼は虚空に見つけたソレ釘付けになった。

 その様子を見ていたレトヴィアが心配してくる。


「ど、どうしたのです」


 城下町の、屋根より少し高いところを浮遊する、逆さの桶のような物体。


「アレです、か? アレは……なんです?」


 偵察ドローンだ。

 マズい。僕はともかく、体温があって金属をまとっていて、隠密行動がとれないレトヴィアは絶対に探知される。

 いや、すでに、か。


「……殿下。僕らは見つかっているようです」

「な、なぜです!」


「色々理由はあります。当然、相手が一枚上手だったことも含めて」

「あなたが……嵌められたというのですか!?」


「嵌められたとは聞こえが良いですが、僕のミスです。申し訳ありません」


 僕は立ち上がり、レトヴィアを抱えて王宮裏手の林に駆け込んだ。

 遮蔽物に隠れながら、包囲網を突破するしかない。


「ど、どうすれば……」

「いまのところ八方塞がりです。ですが挽回できないワケではありません」


 僕は通信機の出力を最大にして、C&O社共通の秘匿チャンネルを開いた。そしてブリッツだけが受信できるビーコンを発する。これなら、惑星の裏側に居ない限り絶対に届く。


「ブリッツへ連絡をつけました。複雑な通信はできませんが、ここに居ることは伝わっているハズです。辛抱してください」


 ——夜空にサイレンが響きだした。

 それを聞いたレトヴィアは何事かと思ったに違いない。夜を惑う死霊の嘆きと解釈してしまうかもしれないほどに、僕らの焦燥を煽って精神への追い込みをかけてくるからだ。


 逃走する僕らの前方に、あの食屍鬼が現れだした。数は十五。

 コイツらは雑魚だ。ショットガンを効果距離で次々と撃ち込んでやれば、この程度の数なら処理できる。


 だが。


「——逃走中のサイボーグに告ぐ! 直ちに停止し、武装解除せよ!」


 空を飛ぶドローンから浴びせられる声。普通の人間の声だ。

 もう自分たちが何者かということを隠すつもりもないか。


 そして前方に詰めてくる装甲機動アームスーツ兵。ねずみ色を基調とした、都市用デジタル迷彩で塗装された二足歩行のロボット。……のような人間の兵士である。


 排除するためショットガンを撃ち込むが、効果がない。下手をすると徹甲榴弾HEATすら無効化する最新の素材工学理論を取り入れているんだ。スラッグ弾でどうこうできる相手じゃない。


 こんなことなら、僕も条約を無視した武装を持ってくるんだった、クソッ!

 アームスーツ兵は二重三重に横隊を組んで、僕が跳躍で突破するのを防いでいる。当然、こんな中身が人間のからくりもどきなんて、僕一人だけだったら素手で皆殺しにできる。


 だけど今、僕は腕にレトヴィアを抱えている。

 完全に行き足が止まり、僕らは周囲をぐるりと囲まれてしまった。

 現状、ここまでか。


「……ここまで、ですか」


 僕の心を代弁したレトヴィアは、落ち着き払っていた。周囲を取り囲む鉄仮面達を射貫くような眼で見据えている。よほど僕の方が冷静ではないかもしれない。


「ここまで囲まれてしまったら、二人での脱出は無理です。僕一人なら可能ですが」

「——なら、あなただけでも逃げて援軍を」

「いえ。侍従長殿から受けた契約はまだ続いています。殿下を置いて行くわけにはいきません」


 僕はレトヴィアを降ろして立たせ、ショットガンの弾を抜いて放り投げる。銃も正面に投げ捨てた。そしてナイフも明後日の方向へと捨てて武装解除の様子を見せる。


「な、何をしているのです!」

「殺すのならすぐにでもそうしているでしょう。でも彼らはそれをしない。ということは僕らに利用価値があるということですよ。大人しく捕まりましょう」


 時間を稼げばブリッツ達が来る。いずれにせよ手数も火力も足りないのだ。ここで暴れるのは無駄な抵抗だ。


 僕らが観念したと認識したのか、アームスーツ兵が数人近づいてきた。その頭部に、協会の機甲部隊マークがあるのを見て、僕はこの騒動の全てをある程度理解するに至った。

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