ユロロジー
戦い終わってノーサイド。蒔田(律)対中寉(矢束)の舟券対決は、的中率でも回収率でも全くの同率で並んだ。驚くべきことにあの三万円の配当のレースは「あーやばい、俺おしっこチビっちゃったかも」と蒔田がほざいているころ、中寉も矢束の「三摩くんたぶん四の選手から買うと思います」という理由で同じものを買っていたらしく、レース後に「僕おしっこチビりました」と矢束に告白していたそうである。二人合計して七万円以上のプラス収支、これで解散、というかあんたたちはマジでチビったんならとっとと新しいパンツを買えよと思っていたのだが、駅前のスーパーで本当に替えの下着を買って来て、
「もうちょっとだけお付き合いいただけますか。久しぶりに大勝ちしたので晩ごはんをご馳走させてください。でもまだ時間が早いので、いいところにお連れします」
なお矢束と二人、拘束されることとなった。
中寉言うところの「いいところ」にて、ぶくぶくと弾ける泡の中に身を委ねて、
「うーん……、幸せぇ……」
蒔田が恍惚の声を漏らした。
「やっぱり引っ越そうかなぁ……、いま住んでるとこも二部屋あって狭くはないんだけどねぇ、やっぱり足伸ばして入れるお風呂があるといいなぁ……」
これは独り言であろう、と解釈しているので、隣で同じくぶくぶくぶくぶく泡に浸かっている律は返答しない。しかし、独り言であれなんであれ声を発してくれていることはありがたいのだった。さっき、黙って浸かっているときに目の前を通ったじいさんが、ぎょっとした顔をしていたのが見えたので。
スーパー銭湯に来ているのだった。
晩ごはんにはまだ早いので、しょんべんチビった成人男性二人に連れられて。
彼らは脱衣所で「あー」「あーあ……」と自分の下着をひっくり返して溜め息を吐いていた。
「あの、やめないすか二人ともみっともない……」
「だってさぁ……、ねぇ……? めっちゃ黄色いよ、めっちゃ臭いよ」
「見せないでください馬鹿なのかな……、近付けないでください!」
その情けない姿から順番に突っ込んでいては、律はいつまで経っても入浴出来なかっただろう。
「俺も行こうかな泌尿器科……」
「『おトイレ遠いより近い方がいい』程度のこと言われるだけですよ」
「中寉さんもそのパンツ摘んだまま振り返らないでくださいっていうか何で二人ともブリーフなんすか」
週に一度は近所の銭湯に通って足を伸ばしての入浴を愉しんでいる律である。無論、同性の、主におじいちゃんたちの下着に興味はないのだけれど、おじいちゃんはブリーフが多いねえ、という印象だけはずっと持っていた。五十代より下になるとほぼボクサーブリーフばかり、児童以下になるとキャラクターがプリントされたカラフルなブリーフもいないではないが、それもレアである。
しかるに、二十代前半のお兄さんが二人揃って白いブリーフを穿いているというのは、それだけで何かしらの意味を持ってしまいそうな、ちょっと、あんまり触れないでおいた方がよさそうな雰囲気を感じる。ただでさえ相貌の美しさでやたらに目立つ二人なので、なおのこと。
「ブリーフ、お嫌いですか」
「好きとか嫌いとか思ったことはないすね一度も」
「僕は少し前から穿くようになりました。安定感がいいのです」
「俺も前はボクブリだったけど、了にすすめられて穿くようになったら、もうブリーフじゃなきゃ駄目な身体になっちゃったんだよね。三摩くんもブリーフにしたら?」
「いえしないてすけど……、なんで」
律の右後ろでズボンを下ろした矢束が穿いているのもまた、ブリーフであった。公共の場でズボンを脱いで女性ものの下着が現れたとしたらそれももちろん大問題であるが、矢束にはブリーフを穿く習慣はなかったはずである。
「その……、今朝、中寉先輩がくれて……」
「矢束くん似合うなー、ねぇ了、矢束くんブリーフ体型なんだねぇ」
なんだよ「ブリーフ体型」って。
「どのみちマスターのだっさいボクサーブリーフではぶかぶかになりそうでしたので、僕のお下がりです」
律はいつも通りのボクサーブリーフなので、局地的にブリーフ男の方が多いという状況。いまは令和四年なのだが。
「失礼。うん、ちゃんと綺麗に穿けていますね、おりこうさんです」
「ほんとだぁ……、俺たちは悪い子だねぇ」
中寉が矢束のブリーフのウエストゴムをくいと引っ張って、蒔田も一緒になって覗く。矢束は真っ赤になって縮こまっているばかりだ。
「やめてくださいよマジで公共の場なんですから……、お前も拒め……、あと、あとっ、中寉さんも蒔田さんもなんで……」
この辺りでだいぶ突っ込み疲れを感じ始めていた律である。言葉を呑み込んだのは、口に出していいものかどうか、瞬時に判断出来なかったからだ。
中寉も蒔田も、生えていないのである。
いや、二人とも間違いなく男であって、その証明たるものを足の間に生やしているのだが、どちらも一本の毛も生えていない。矢束も矢束でそこの毛を剃る習慣がある男であるし、最近では男がそこを剃毛するケースもだいぶ増えていると聴くのだが、それにしても四人中三人がブリーフ、そしてつるつる、という中にボクサーブリーフで毛の手入れなんて全くしていないというのは。
蒔田は、サイズ感はどうあれ大人の形をしている。一方で中寉はこどもっぽい形であって、背も低くて痩せていて、本当にこの男が自分より一つ歳上なのかと思う。高校生か中学生かと思っていたが、小学生かも知れない。
「何か」
「……いえ、もういいっす。いいんで、その小汚いブリーフさっさとしまってください……」
長湯をすると少しく疲れるものだが、入る前からどっと疲れてしまった律であった。
それだけに、ジャグジーが気持ちいい。中寉に連れられてサウナに入っていた矢束が真っ赤に茹って出て来た。中寉も、あの白くて平板な男が色付いている。しかし、少しは前を隠すべきだと思った。さすがに彼より背は低いが、しかし特徴的にはよく似た男児が目を丸くしてすれ違った中寉と矢束を振り返って見ていた。
「了はサウナ好きだねえ」
冷水浴を済ませたせいで一層男児然とした中寉が膝下だけを湯に浸して「好きです」と頷く。
「皐醒もマスターもお付き合いしてくれません。今日は矢束くんが一緒でしたので、僕はとてもご機嫌です」
無表情でよく言うものだ。矢束は浴槽の縁にぺたんと座って、まだ熱を身体に籠らせている様子だ。
「……変なことされなかったか?」
「うん、先輩は紳士だから」
「出来ればそこは『王子様』と言って頂きたいところです」
とてもどうでもいい話である。
「しかし、矢束くんは可愛いですね」
中寉は無表情のまま言って、蒔田を挟んで反対側に座った。蒔田がうんうん頷いて、
「可愛いよねぇ」
同意の言葉を口にする。
「あの、あの、やめてくださいそんなの、公共の場で……」
「サウナには他に人が何人もいましたし、最近のトレンドは黙浴ですので言うのを我慢していたのです。いまは幸いにして周りに誰もいません」
それは、この異様な男三人に臆して自然とディスタンスが設けられているからではないのか。
「『黙浴』ってサウナの中だけのことじゃないと思うけどね、でも、矢束くんが可愛いのは間違いない。俺もしフリーだったら矢束くん今夜帰さないよ。っていうか、了みたいにお持ち帰りしてた」
「あまりご自身のパートナーを困らせないであげて欲しいものです」
「結人、了が泊まりに来たときも一睡も出来なかったって言ってたもんね」
「その節は申し訳ないことをしました。しかし矢束くんが泊まったら、アパートから逃げ出してしまうかも知れませんね」
「あ、それいいな、そうしたら矢束くんと二人きりだね」
「何をするか判らなくて危なっかしいので、僕も行きます。二人きりになんてしませんし、君一人に矢束くんを独り占めなんてさせるものですか」
「あーじゃあ了もおいで。三人で遊ぼう」
矢束は周囲の目を気にするやら好き勝手言う二人の「先輩」に慌てふためくやら。律は何度吐いても無尽蔵に湧いてくる溜め息のせいで腹が膨れてしまう。
「あのですね、あの、どう考えても誰が見ても、先輩たちの方が可愛いですし綺麗です、お二人に比べたら僕なんて垢みたいなもので」
慌て過ぎて、めちゃめちゃなことを口走る。
「だってさ、了。……そういえば、皮の中ちゃんと洗った?」
「『垢』から僕のおちんちんのこと思い浮かべないでいただけますか。ちゃんと洗ったに決まっているでしょう、マスターのお口に入れるものなんですよ」
「あのっ、ですからお二人ともっ……」
和やかに話していれば許されるというものでもないだろう。律は数え切れないほど重ねた溜め息をまた一つその場に置いて、湯から上がった。この「先輩」二人と同類であると見做されるのは沽券に関わる、というか、こういう場所を発展場的に用いた同性愛者のせいで男一人で利用するのを「ご遠慮願う」スーパー銭湯もあるほどだそうだから、いくら周りに人がいなくて聴き取られる懸念がなかったとしても、一緒にいるのは不快である。
それに、ジャグジーばかりではつまらない。露天風呂もあるようだから、……主にそういう理由で律は三人のそばを離れた。
夕食前という時間帯だからか、祝日の割りには空いている。露天風呂にも親子が一組入っているだけで、彼らも入れ替わるように出て行った。静かに暮れゆく空を見上げてぬるめの湯の中で身体を伸ばすと、ようやく少し、疲れが癒え始めた気持ちである。
「三摩くん」
まだ紅い顔で、矢束が露天風呂に入ってきた。
「……まだのぼせてんじゃねーのかよ」
「平気。……っていうか……、あの二人の話聴いてると、なんか変な気分になっちゃいそうで……」
前を隠したタオルを頭に乗せる、僅かな瞬間垣間見えて、矢束がもう既に「変な気分」になってしまっていることが判った。
「……早く落ち着けろよ」
「判ってる……、公共の場だからね……」
膝を抱えて深呼吸をするが、目は閉じない方がいいだろう。ホラー映画の残虐シーンと同じで、鮮烈な印象というのは瞼の裏に焼き付いてしまいがちなものだろうから。
「……非常識過ぎんだろ、あいつら」
矢束は首を振った。
「僕のために、だと思う」
「何が」
「中寉先輩が、……蒔田先輩も、あんなえぐいこと言うのは、僕のためなんだと思う」
矢束の、恥ずかしそうな横顔を見た。湿った前髪はいま、全部降りている。
「昨日も、今日も、中寉先輩ずっと紳士で、……『王子様』だったよ。へべれけになった僕を、マスターさんと一緒に優しくおうちまで連れて行ってくれて、……すごく上品だった」
あれが、上品ねぇ。
「蒔田先輩もね、僕がもうぐるんぐるんなってるとき、すごく優しくしてくれて、……最初は僕、蒔田先輩のおうちに連れて行ってもらうかも知れなかったんだ。でも、結人さんいて、結人さんは前に中寉先輩が泊まったとき、さっきも言ってたけどほら、中寉先輩はすごく、……可愛くて、その、性的だから、翌日仕事なのに本当に一睡も出来なかったらしくて。だから、中寉先輩とマスターさんが……」
矢束が中寉と蒔田の、だいぶいい部分をたくさん見た二日間だったらしいことは判った。蒔田のいい部分、もう一欠片ぐらいでも見ていれば評価も変わるところだったかも知れないが、今のところは公共の場で平気で人に抱き着きしょんべんをチビったどうしようもない人たちである……。
「……あのね、僕……、あのね、夕べ、……おしっこ漏らした」
「あ?」
思わず、そんな声が出てしまった。矢束は全身を縮こませて、羞恥に震えていた。きっと、泣きそうな目になっている。
「……マジで?」
矢束は膝を抱えて、身を縮ませて、湯の中にありながら凍えているような唇で、
「中寉先輩の家に着くまで、我慢出来るって思ってたのに、足が全然前に進まなくって、それで……、気付いた時には、全部出ちゃってた……」
自身の罪を告白した。
アルコールには利尿作用がある。まだ酒にまるで慣れていない矢束は、そうした知識もなかったのだろう。
居た堪れない話ではあるが、仕方のないことではある。
「先輩も、マスターさんも、気にしないでいいって言ってくれて、……僕、泣いちゃったんだ。恥ずかしいのと、申し訳ないのとで、……二人で、慰めてくれた。マスターさんは、『こいつだって週に二回はしょんべん漏らす』って言って……」
「あの人は見た目だけじゃなくて機能も小学生並みなのか。いや小学生だってもうちょっとしっかりしてんだろ、幼稚園児じゃねーか」
矢束がブリーフを穿いていた理由がそれで判った。それよりも、中寉もそうだがあのプラスティックで出来ているような「マスターさん」がそんな血の通った言葉を矢束に掛けてくれたという事実に、不思議と何やら温かい気持ちになった。
「さっき、ボートのところでね、大きな配当の……、まん……しゅーけん? 当たったあと、しばらくして中寉先輩言ったんだ」
隠しても仕方のないことなので白状しますが、パンツの前が冷たいです。
とはいえ、いつものことです。いえ、いつものことでは困るのですが、どうも僕のおちんちんというものは、嬉しいことがあると反射的におしっこを出してしまう癖があるようなのです。マスターに初めて頭を撫で撫でしてもらったときも、マスターに初めてキスをしてもらったときも。
いえ、初めてのときに限ったことではありません。週に二回は、あのプラスティック製の人は僕に驚くほど大きな喜びをくれるのです。だもので、僕は。
ああ失礼、メールが来ました。
あっ。
「なんだ、その『あっ』は」
「なんか……、マスターさんからメールが来て、僕が大丈夫か、中寉先輩は大丈夫かって訊いただけだったみたいなんだけど……」
普段優しさの欠片もないように見せて不意にこんな温かなメールを送ってくるのです。とても迷惑です。僕がどれだけ惚れているのかもうちょっと自覚しておいて欲しいものです。それはそれとして失礼、おトイレに行ってきます。ズボンに染みが出来てしまいかねませんので。
「どういう体質だよ……、っつーかハードル低過ぎねえか」
僕は臭くないですか、おしっこちびった人に見えませんか。そのあとかなりの頻度で矢束は中寉に訊かれたそうである。とりあえず蒔田も含めて、律がその類の臭いを感じることはなかった。
矢束は少しだけ微笑みを取り戻していた。
「幸せそうだなって思った。……あんな、大人なのにおしっこのコントロール出来なくなっちゃうぐらいに誰かのこと、好きになれるなんて、すごいなって」
あの男の小便で黄ばんだブリーフを「幸せの証」と表現する感性は律にはない。多分、「マスターさん」もそれは同じではあるまいか。
「……三摩くんは、嗤わないんだね」
「あ? 何を」
「僕が、……その、おしっこ漏らしちゃったって知っても……」
矢束蒼が、少なくとも中寉や蒔田よりはずっとまともな男であることを、律は知っていた。こいつ、だから待ち合わせのとき元気なかったのか、と納得が行ったし、成人してから公共の場で失禁したことによるのなら無理からぬことではある。
「……昨日、お前確か女の穿いてたんじゃなかったっけ?」
矢束が頷く。しかるに、中寉や「マスターさん」がそれについて何らかの意見を述べた様子もない。「マスターさん」も同性愛者がある種のフェティシズムを下着という形で発露させるケースのあることは、自身のパートナーがブリーフを穿くことを好むという時点で認識していただろうし。
「先週の、ジョギングのときもお前、しょんべんチビってたじゃん」
「……うん」
「でも、俺ぜんぜん平気だった。そもそも飲めるしな」
もし、こいつが目の前でしょんべんを漏らしたら。
それでも平気、ぜんぜん平気。嗤うには及ばない、ただ微笑みだけが浮かぶだけ。もちろんパンツを濡らした本人の方はそんな余裕もなかろうけれど。
あーでも大きい方はしんどそうだな……、どうなんだろ。
「俺は別に、お前がとんなんでも平気なんじゃねーかなって思う」
矢束の顔がこちらを向いた。自分がどういう顔をしてその言葉を口にするのか、律ははっきりと把握できてはいなかった。だから、出来れば見ないで欲しいと思う。
けれど、きっと矢束は、重たい髪の向こうから見詰めている。三摩律がどんな顔でいるか、前髪の向こうの、どうしても悪く見える形の、しかし今となってはそれすら愛嬌と捉えられてしまう双眸で、見詰めている。
もっとマシなことを言わなければいけないと、思っていたのに。
「……よかった」
口から零れてから、顔を顰める。とても情けない言葉だということは、これでもかというぐらい判っているつもりだったので。
「お前が中寉とやったんじゃなくてよかった」
「え……? 先輩には、ちゃんとマスターさんがいるんだよ」
「知らねーよ、知らなかったよそんなん。だからさあ、お前置いて帰ってからめちゃめちゃ後悔したわ。お前がしょんべん漏らしたっていま、聴いて、ああ、そんなら俺が連れて帰ったらそれ、俺の目の前であったかもしれないことなんだって。そうだったら、お前が泣くことなんてなかった。だって俺はお前に言ってやれるもん、しょんべんだって平気だって、いいにおいだって言ってやれたし、何なら」
誰かの入って来る気配を感じて言葉を止める。前を隠すということをしないでいいのは小学生ぐらいまでだろうと思うのだが、小学生並みの輪郭と機能を持った二十二歳なら許されるのだろうか? もう一回り大きくてちゃんと大人である男は、とにかく隠すべきである。いやあの人の場合は隠すと逆にどっちだか判らなくて要らぬ混乱を平和なスーパー銭湯に持ち込むことになりかねないからやっぱりいいのか。
「このあとどこで晩ごはんを食べようか、いろいろ考えたのですが、考えているうちに眠くなってきてしまいました」
矢束の向こう側に座った中寉が、涙袋の目尻側が紅い目を両手で擦った。
「なので、勝手ながらごはんはまた今度にしましょう」
「あと、よく考えたら黄色くしちゃったパンツ早く洗わないと汚れ落ちなくなりそうだしねぇ」
蒔田は律の隣に座る。矢束は黙りこくって膝を抱えていた。
「今日はとても楽しい一日でした。是非またボートレースにお付き合い頂けたら嬉しいです」
「またでかいの当ててね」
またしょんべんチビられるのも困るのだが。
「では、行きましょうか皐醒」
「ん。あ、そうだ。ねぇ三摩くん」
「顔の高さにあるときに振り返らないでもらえませんかね!」
「そうですよ皐醒、君はいつからそんなに見せたがりになったのですか」
中寉もである。蒔田は恬として恥じない。律も別にそこまで不快に思っているのではなく、つまりこれは単純にエチケットの話である。
「二人はさぁ、付き合ってるんだよね?」
きゅっ、と矢束の肩が震えたのが判った。
嘘をついたことになるのか、これから嘘をつくことになるのか。どっちでもいいやという気に、律はなっていた。
「そうですけど」
そう言うときの顔は、矢束に見られても悪くないものになっていたらいいと願う。律が矢束の「悪い」目を見ても、いつしか「可愛い」という、彼が望んでも到底手に入れられないものと諦め切っていた言葉を贈ることで自分の審美眼を独自のものに変じさせることになっても構わない気持ちになってしまったように。
矢束が見たときに、どんな「王子様」よりも三摩律がいいと思ってもらえたらいい。
「それが何か?」
中寉と蒔田の視線が交わる。見た目だけは本当に整った二人の男が静かに微笑みを交わして、露天風呂を出て行くのと入れ替わりに、こんどは兄弟らしい幼いこどもが二人が入ってきて、「ねえ今のお兄ちゃんたち大人なのにおちんちんに毛が生えてなかった!」とまだ小学生らしい弟の方が屈託のない声で言った。
「あんまでかい声でそういうこと言うなバカ」
咎める「お兄ちゃん」の方はきっちり隠している。声は透き通って高いが、そろそろ毛が生え始めてもおかしくないぐらいの背丈に見える。
「おちんちんだけ大人じゃないのかなあ、おねしょしちゃったりするのかなあ」
「だっ、だからでかい声で言うんじゃねえよそういうこと! 公共の場だぞ! すいません……」
お行儀のいい「お兄ちゃん」は律と矢束に向けてぺこりと頭を下げた。全く反省する気配もない弟君は、律と矢束をじーっと見て、
「お兄ちゃんたちはおちんちんに毛ぇ生えてる?」
なんて屈託なく訊いて来るものだから、矢束はもう真っ赤である。
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